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me and my xmas vol2

生まれてこのかた暮らしている愛する北海道と義実家のあるニューヨークのブルックリンでの二拠点生活とこれからのわたしの暮らしこと。

ミックスカルチャーのバックグラウンドを持つ子どもたちの日本での子育てがひと段落しそうなころから、少しづつスライドするように、元保護犬の相棒と高齢親の介護サポートがはじまって、つい先日、愛犬と母を立て続けに見送りました。

はて
さて

わたしの50代後半からの再スタートの記録。
まずはロゴスの世界からこんにちは。

春は冬の間に身体に溜まった毒を排出する時期でもあります。

桜が咲き始めてすぐの北海道は寒の戻りがあり、ここのところ風邪ひきさんがまわりに増えています。そういうわたしも久しぶりに風邪をひきました。こういう時は症状を通じて身体が話しかけてきたと考えて、その声を受け止め、ゆっくりと休むしかなくなるので、すべてのやるべきと思っていることを手放して、休養と治癒に専念します。

春の満月のピンクムーンのエネルギーと満開に咲いた桜の花の香りを感じながら、風邪でぼんやりとしたあたまで「わたし自身が捉えている世の中」に思いを巡らせながらお布団の上でこれを書いています。


pink moonの満月とお月さまの色のM


xmas xmas

このコーナーには国内のこと。最近のきらめきや心と身体のことや、日本ベースでの子育てのこと、わたしのおすすめや、思ったこと、これからのことを書いていきます。

今朝、降りてきたこと  母と娘のトラウマ


たまに言葉が降りてくる朝がある。
今日もそう。
そんな日はその言葉が新鮮な旬のうちに、それについて少し書いてみようと思う。


先日、母が他界して、ジャーナリングのようにnoteにも一部書いていることが、まるでわたしと母の関係が常に良好だったように思われがちだが、実際のところは決してそうではなかった。

大人になった年齢からわたしは親への期待を捨てて、まず時間をかけて自分で自分を癒したのだと思う。
その結果、見えなかったことが見えてきて過去の形が変わったのだと思う。

自分がされたかったような子育てをして、もし後から気づいたけどもう遅いかもしれないと思ったことでも、まったく気負いや衒いなく、気づいて良いと思ったことをその日から始める。それが子どもがもう成人していても、そのタイミングに合うような方法を模索して、決して相手の境界線を越えないようにして。

自分という人間は自分のことだけがわかるし、人のことはわからない。だからこそ人の目を気にしたところで本当にその人の気持ちはわかりっこない。

自分の感じ方は自分だけ。だから自分を癒せるのは自分だけ。

自分の子ども時代に親が酷い仕打ちをした。
ひどい!自分が親なら絶対にこんなことしない!

そうして大人になったら結局その親と同じことを誰かにしている人のどれだけ多いことか。「そこ」を自制してどの道を歩んだら、その部分が癒されるかを自分で考えていくことが自分癒しにもつながるという自分の手の中にある出来ることを、はっきりと認識する必要がある。

変えられないものと変えられるもの。
頭の中の整理をして、いつまでも外に求め続けてもまず「欲しいものは自分が一番わかっている」ということを認める。これは全ての人に等しいもので、親もパートナーも大好きなあの人であっても誰にも分からない。言い方を変えると、入ることがなかなか出来ない、みんなが持っている「わたしだけの心の聖域である」ということを理解することだ。


親もまた子ども時代に不遇な経験で、それぞれが経験したことやトラウマを隠して全てそのままリピートした形になっているということも十分考えられる。

わたしの場合はどうしたかというと、自分から初めて家族がはじまった様に過ごした。自分が子ども時代に欲しかった子ども時代を自分の子どもと作った。
それはエゴが過ぎないように、愛がベースで。(←ここ大事)

もしもその過程で間違ったと思ったらその過程を話して子どもにあやまった。
それは過去の嫌いな親の一部が自分に謝っているのだと思った。

これは親と離別とかじゃなくて、そっちはただそのままにしておいた。
関わりも普通にしていた。ただそっちを観察しない。負の確証を何度も取りにいかない。拒絶もしない。そこにある季節の変化や移り変わりを楽しむようにして、あとは、ただ自分の内側を満たしただけ。

貯金と一緒で苦手でも意識するとスィッチが入るので、コツコツしていけば、いつからか出来るようになっていた。最初から自分を自分であきらめないことだなあと経験から思った。


崖の上にあるカフェ


ますます

国外、アブロード的なこと。ミックスカルチャーな我が家のわたしから繋がる海外を。

今年からは下の子の進学に合わせてニューヨークとの2拠点生活もはじまります。

日本での(英語/日本語)バイリンガル子育て 英語習得


成人した我が家の2人の子ども達は生粋の道産子です。
北海道の公立学校を卒業。
旅行経験はあっても英語圏に住むこともなく2か国語を話します。

子ども達は、夫は英語担当の人、わたしは日本語担当の人と思ってきました。

夫は日本語は流暢でも、子ども達とは日本語は一切話さない。コレが定着するまでは話していることがわかっても英語で質問しないと返事をしないことを貫いていました。しかし、わたしは夫とは日本語と英語を意識せずミックスして話していて、その様子を見ている人には面白がられます。

今はそんなことはないけれど、子どもがとても小さい頃は、ニューヨークに帰った時などに、うっかりわたしが子どもに英語で話すと「マミー日本語で喋って!』と日本語で言われることもよくありました。お母さんのイメージが違って落ち着かなかったんでしょうね。

外国の動画にはとてもお世話になりました。
最初はわたしが牧歌的な子育てを望んで、電子機器や動画、ゲームなどを制限しようとしたことがありましたが、途中でそれはうちの家庭と子ども達には合わないことだとわかりその部分は少し軌道修正をしました。

「セサミストリート」からはじまり、ニューヨークに帰省した時に現地の子ども達と話題がズレない様に、その時々の流行りの子ども番組を見せていました。
それを夫やわたしも一緒に楽しむように見ることが多く、キャラクターのことを子どもに教えてもらったり、内容を引用して子育てに使うこともありました。

子どもはよく同じ動画を何度もみたがります。
以前はそれって子ども特有のことなのかなあと思っていましたが、それはある意味、語学習得にはとてもとても有効かもしれません。

子ども達の寝る前の絵本の読み聞かせは日本語の本が中心でした。
とにかくよく本は読み聞かせしました。面白そうな本を見つけるとわたしも一緒に読んでみたいし感想を話したいので、寝る前の読み聞かせは高学年になるまで続きました。そしてそれを通して私自身が大人になっても絵本が大好きだなのだと再確認しました。

里帰りで現地に行った後の子どもの順応性は素晴らしいものでした。1ヶ月くらいの滞在でも、発音すら入国時と帰国時では変わっていました。ストリートベンダーと呼ばれる街角の露店を通るとナッツやファーストフードを買い物をさせたりもしました。あちらの人たちは子どもにとても優しいですから子どもの自尊心は鰻登りで、最初は恥ずかしがっていた子ども達も積極的に自分から話しかけていくようになりました。

バイリンガルだと英語が上手な子ほど日本語が少し弱くなりがちですが、小学校に入ると勝手に日本語レベルが上がっていきました。それと同時に動画環境がどんどん向上して、今の様にSNSで世界中の動画を見ることが容易になってきて、あとは自分の趣味の世界の方面での英語圏をそれぞれが探究する様になりました。

子ども達は最初は学校の友達に合わせるようにしていましたが、様々なことを乗り越えるたびに自分のコアを強くしていき、帰宅してから英語で動画を見る時間をゆっくり取ることで精神的なHOMEを感じることもあった様です。

そのまま見ることもあったり、日本語字幕付きからはじめて次に英語字幕に変えて観たり、言い回しを父親に聞いたり、自ら検索したり。

何度も繰り返し聴く。覚えたら文字でも読んでみる。使ってみる。
大人もそうですが、この繰り返しの様に思います。

唯一英語で自由気ままに話せる相手が夫でしたから、子ども達は思春期の父子の断絶などもまったくなく、むしろ会話はよくしています。

わたしも夫もよく話すのは、意図せず結果としてのことですが、子育てを通して自分の子ども時代が癒された様な気がするということです。

それは、子どもの個性は尊重する、無視しない、親都合で曲げようとしない、その唯一無二の個性を受け止めてそこで落とし所を探して、親側も自分と子どもやそのまわりのいろんなことを学びながら、コツコツと時に強く守り、関わり続けた結果、今がとてもいい親子関係を築けたと思っているので、親側に癒しがおこったのだとおもいます。

もしも子どもを所有物の様に扱い、独りよがりの自己実現や、自分の幼少期に経験した不必要な圧力を自分の子どもにかけ続けたりしたなら、今日のわたしたち家族はなかったでしょう。

最後はバイリンガルとは関係なくなっちゃいましたが、今日はここまで。

つづく。


オッドアイのフェルトのバッヂのシロちゃん


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