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食と格闘する

厨房の風景は、さまざまだ。それが絵巻に収まると、さらに多彩さを増す。戦場における厨房をめぐり、これまで『後三年合戦絵詞』における場面をめぐり、二回ほど活字にまとめて考察した。(『国文学解釈と鑑賞別冊』2008年10月、『日本研究』2012年9月)後者のほうは、オンラインで読むことができる。極端にいえば、それは厨房の様子を空想の域にまで上昇させた、絵巻ならではの極致の傑作だ。

対して、『前九年絵巻物』という一作はある。早くから上記の姉妹編と考えられ、国会図書館は両者を一セットになる七巻にわたる模写を所蔵している。ここには、同じく生き生きとしたもう一つの戦場の厨房が描かれた。

国立歴史民俗博物館蔵『前九年絵巻物』は、つぎの場面をもって将軍頼義の陣を描いた。(この画像のリンク

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画面は平均的に上下を二分する。上の半分には、戦場の英雄たちを描き、それぞれの人物にその名前を明記するという形で、将軍以下義家、光任、通利らの面々が並んだ。

下の半分には、厨房の様子が展開される。

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ここの厨房は、二つの部分から構成される。巻物を披くに従い先に現われたのは、完成されて食を囲む三人の男である。彼らの前には高く盛り上がった飯や多様な料理が折箱に仕込まれる。なんらかの形ではるばる戦場まで運んできて、これから解かれて将軍たちが集まる場にでも持ち込もうとしているところだろうか。

近接するつぎの一角はさらに動きがあって、絵師の腕前が伺える。大きな鍋や勢いよい火を囲んだのは、同じく三人の男。熱々の煮物はまさにいま出来上がろうとしている。鍋の中を覗く男は満足げな表情を顔一面にし、火力をさらに強めようとする男は、頬を膨らませて息を吹き込むために体全体の力を出している。頭を火のなかに突っ込みそうな勢いで、その懸命さは微笑ましい。思えば武器ほど手慣れていない料理の作業のまえで、武士たちにとってまさに食と格闘しているようなものだ。

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絵師が表現しようとしたのは、はたしてどのようなものだろうか。戦場における苦労、慣れない役目への必死さ、生死に直面する日常と非日常、はたまた贅沢とさえ言える食の内容、そのどれだろうか。当時の読者なら一目で分かるような内容でも、今日のわれわれにはしかしながら謎が多く含まれるものとなった。加えるに、それぞれの三人の男の構図において、ともにその一人は遠慮なく食を口に入れ、その食べぶりは厨房につきものの試食にはほど遠い。

国立歴史民俗博物館所蔵のこの絵巻は、いまだデジタル公開がされていない。国立研究機関のさかんな情報公開の中で、あるいはこれをオンラインで閲覧することがそう遠くない時期に実現できよう。公開が遅い分、なんらかの新機軸が打ち出されることを願いたい。

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