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天刑星が食べる

平安時代の人びとがどうやって食べていたのだろうか。千年もまえのかれらが理想とする食事の様子とは、どのような流儀を守り、何の流れを辿るのか、興味がつきない。今日に伝わるビジュアル資料はけっして多いとはいえないが、それでもはっと驚かせてくれるものがある。その中から一例を取り上げてみよう。

つぎの一枚は、「辟邪絵」と題する絵巻から裁断された一場面である。

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まず、数えて五十五字の詞書を読んでみよう。

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かみに天形星となつくるほしまします
牛頭天王およひその部類ならひにもろ
もろの疫鬼をとりてすにさしてこれ
を食とす
(上に天形星と名づくる星まします。牛頭天王およびその部類ならびにもろもろの疫鬼を取りて酢に注して、これを食とす。)

綺麗な仮名文字で、半分以上は今日の仮名とそっくりした形をもっていて、千年の時間を感じさせない。記されたことによれば、鬼の形相をし、四つの腕をもつ主人公は、陰陽道で天からの懲罰を与える善神の天刑星、そのかれが手に掴まったのは、牛頭天王はじめ疫病をもたらす諸悪の鬼たちであり、そして天刑星が鬼たちを満足げに食べものとしているのだった。

詞書が触れた天刑星の行動は、あわせて三つ。それは鬼たちを「取る」こと、それを酢に「注す」こと、その上、口に入れて「食とす」(る)ことだった。これを念頭において絵を見れば、四つの腕によって完璧に実行され、持ち上げた右腕が食べ物を口にじかに入れる瞬間のつぎにあたるが、半分消えた鬼の体が恐ろしい視線に浴びて、「食とす」ことを正確に表わしている。そして、四つの腕を時計まわりにつなげてみれば、天刑星の食事を一続きの動きをもってそのプロセスを完璧に再現した。

天刑星の食事における最大のハイライトは、「酢に注す」ということにほかならない。この行動一つで、天刑星の食は動物的で原始的なものから離れ、はるかに進化した人間のそれに上昇した。言い換えれば、天刑星の食事は、人間の働きによって支えられたものであり、そのように受け入れられていた。今日のわたしたちからすれば、鬼を口に入れる豪快な天刑星の姿を眺めながら、つい酢という調味料の存在、その利用法、それを案出した千年まえの人びとの食へのこだわりなどに思いを馳せずにはいられない。

「辟邪絵・天刑星」は、「e国宝」でデジタル公開され、マウスクリック一つで鑑賞することができる。非常に精細な画像は、小さな画像を細部まで思う存分に見せてくれる。ためしに酢に視線をあわせよう。それの色合いや成分など見出そうとするにはたしかに心もとないが、しかしながらそれが鬼の血に染まり、しかもその血がすこしずつ薄められている。そこから漂う匂いまで画面越しに伝わってきそうな気がした。

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紙本著色辟邪絵」(国宝、奈良国立博物館)

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