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花見の宴

ここ数日、カナダの西にあるこの街はまだ雪が溶けきれていないが、日本からは、数え切れないほどの美しい桜の写真や動画はSNSなどに載せて、花の香りを思わせながら漂ってくる。

桜の花見という素晴らしい伝統は、日本においては実は千年も変わらないまま今日まで延々と伝わってきている。絵巻の中に描かれたその一つの風景をここで眺めてみよう。

取り上げるのは、天理図書館蔵『源氏物語絵巻』からの一場面である。『源氏物語』の「若紫」と「末摘花」の二帖を描いたもので、鎌倉時代の初期の十三世紀頃の作品だとされる。絵巻の第三段は、一つの花見の様子を真っ正面から描いた。

車座に座っている数えで六人の男は、詞書に対応するのは四人。それはおもむろに笛を取り出し、一声を吹き入れた頭中将。

これに合わし、早速扇を打ち鳴らして拍子を取り、催馬楽の一曲をを歌い出す左中弁。

そして琴を携え、それを慇懃に光る源氏に差し出す僧都。それを受けて琴を撫で、この花見の席を提案し、取り仕切った光源氏その人である。

残りの二人は、篳篥と笙の笛をそれぞれ口に当てて演奏するが、詞書では二人の名前を特定していない。

鮮やかな桜の花びらが舞い上がる中、桜の木の下で管弦の遊びを繰り広げたこの宴の様子は、とにかく言葉で伝えきれないほどに美しい。

この場面を眺めて、花見の様子はなんと千年近く経ってもまったく変わっていないと改めて思い知らされる思いだ。言ってみれば、花見とは、ただ花を睨むのではなく、儚い風景の中、友人知人と集まり、大勢で居座り、歓談を交わし、大がかりな楽器などはいまやさすがに持ち込むのが少なかろうが、カラオケでも一曲歌い出し、やがてみんなで拍手しながら合唱するのは、けっきょくなにも変わらないものだ。そのような席には酒がつきものだ。あえて較べるなら、絵巻に描かれた光源氏を囲んだ花見では、酒などは片隅に追いやられたが、今の集まりになると、間違いなくどそれが一座の真ん中に鎮座することだろう。

酒や歓談や歌の花見は、今年も叶わないでいると聞く。もう二年目だ。来年こそきっとこの非常事態が終わるだろう。そして少しも変わらない賑やかな花見の風景がきっと戻ってくるに違いない。

花見は今や世界に広がり、色々な国では花見のスポットが後から後から現われてきている。ここに中国からの一枚の写真を紹介したい。日本語を習い始めた母校の学校設立50周年にあわせて、1973年入学の日本語クラス全員32名で桜の苗木を母校に寄贈した。私もその中の一人だった。それが行き届いた管理のもと立派に育ち、今年も満開を迎えた。小さな苗がすでにここまで太くなったことをこの写真で覚えておきたい。

ちなみに桜の花を世界の多くの人々が眺めてその美しさにうっとりするが、木の下に座って歌や酒を楽しむような習慣は、日本を出たら、いまだどこの国でも生まれていない模様だ。

桜の苗、寄贈式(2013.11)


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