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食材を厨房にもたらす

国宝『信貴山縁起』は、教科書などにも取り上げられ、絵巻を代表する作品として広く知られている。一連の物語として読めば、奇想天外なものと、しんみりとした姉弟愛に溢れるものが隣り合わせに配置されて、荒削りの感があると言えないこともない。ただ、絵巻表現の基本が示されたという意味で、大いに注目を与えなければならない。

物語が熟知されたものとして絵巻を改めて披いてみれば、食事に関連して、一つの隠されたテーマが描かれたとやや意外に気づかされた。言わば厨房の外の風景、料理が始まるまえ、食材が選ばれ、もたらされるという様子が伺えて、じつに貴重だ。

まずは第一巻にあたる「山崎長者の巻」である。命蓮の神秘な鉢に載せられ、蔵ごとに持ち去られた米の俵が、天から降りてくる形で長者の家に戻ってきた。家中の者たちが驚きと喜びに包まれたことは、言うまでもない。その中、手の中の仕事を忘れ、目をいっぱい開いて天を仰ぎ見る女性がいる。身が置かれたのは野菜畑、右手に握ったのは大きく熟れた瓜のような果実、左手に下げた籠には同じものがすでに詰まっている。

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これと似通った情景は、さらに第三巻「尼公の巻」に現われた。弟命蓮のことを訪ね回る年老いの姉は、助けてくれそうな人たちに一人また一人と声を掛ける。親切に応対をする人びとの住処の裏に、女性は野菜を求めて畑に腰を下ろしてなにかの実を堀り出している。傍には籠が用意され、その中にはすでに収穫が入れられている。

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ここに見た二つの情景とも、野菜が植えられたのは庭の中か住居の傍、もともと「畑」と呼ばれるにはあまりにも狭く、産出する野菜も、その分量は限定的で、暮らしの必要に十分満たせるとはちょっと思えない。このような疑問に答えるかのように、先の山崎の長者の家には、食材をいっぱい詰まった棚を、蔵が飛んで行ったところと、俵が戻ってきたところの二つの場面においてそれぞれ描かれた。食材の詳細はすぐには判別できないが、裕福な暮らしに相応しく、色や形が異なっていて、分量が多く、手入れも整ったと一目で分かる。

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同じ長者の家にある厨房の様子は、そのわずかな一角だが、きちんと描かれている。巧みに切り取られた構図だが、複数の女房たちが働いていることは十分想像させてくれるものだ。

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この巻の物語の主役は、米俵。米こそ食卓において中心的な存在にほかならない。それを引き出すために、厨房の外から取られ、やがて厨房に集まり、豊で賑やかな食事を形作る食材ががスポットライトを勝ち取ったと考えてさほど外れではなかろう。

特別に言い添える必要もないが、これらの野菜畑や厨房の詳細は、詞書の記述、あるいは同じ物語を伝える説話の本文には登場していない。言い換えれば、あくまでも物語が絵になった段階において、絵師によって描き加えられ、物語をビジュアル的に盛り立て、形を持たせられるために生れてきたものだ。絵巻の表現において、これまた一つの基本的な手法だと覚えておきたい。

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