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厨房に火を

「古典画像にみる生活百景」(サイトアプリ)は、「厨房」の様子を三つ収録した。貴族家族、戦場、寺と、それぞれの違う状況を知る良い手がかりだ。あらためて三つの画面を横一列に並べてみると、共通するのは火だと気づく。その通りだろう。現代の寿司屋などなら火を視線から追い出すような作りをするにしても、台所といえばやはり火がないと成り立たない。

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そこで、この火の元をはたしてどのような言葉で呼んでいたのだろうか。現代風に考えれば、「いろり」、「火鉢」、「竈」、あるいは漠然と「火」だとごまかすだろうが、平安や鎌倉のころの言葉では、このリストでは捉えきれそうにない。そこで、『今昔物語集』を開いたら意外な言葉に出会った。「地火炉(ヂクワロ/じかろ)」である。

まずは、巻二十八第三十話、数週間前に一度触れた見えを切ろうと大失敗した茂経のエピソードである。まな板やまな箸を珍重に持ち出した茂経のすぐそばに、主人は地火炉に火を新たに起こした。炉はそこにすでに据え付けられ、そして用途に応えて火が入れられるのだという状況が目に浮かぶ。つぎの一例は、巻十六第二十話である。ここに「長地火炉」と、一列に連なった形で設け、その傍らで俎板を七、八枚も張り出したという、いかにも豪勢なものだった。さらに一例は、巻十二第三十四話である。こちらの場合、しかし場所は厨房ではなかった。それはお寺の中の一隅で、修行する昼の時間を過ごす空間であり、炉の役目は暖を取るものだった。なお、おなくじ「日本古典文学大系」の注釈によれば、「地火炉」は同時代の公卿の日記においてしっかりと登場した。

以上のような文字記録に照らして絵巻に描かれた場面を読み直せば、イメージはいっそう豊かなものになる。「百景」はスケッチ風に画像に手入れをしたのだが、それぞれにオリジナル画像へのリンクを添えたので、簡単に参照することができる。それぞれのカラーの画像をここに再録しよう。

貴族家族の厨房は、「石山寺縁起」に収録されたものである。仏の徳により富が得られた信者は、裕福な邸宅に住み、それの一角において綺麗に着飾った女房たちが調理に夢中になる。扇子に煽られて火は勢いがよい。(「石山寺縁起」巻五第一段より)

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戦場での厨房はいかにも急造したものだ。それでも火の面倒を見る男は口で火に風を送り、料理の内容に責任を持つ男は蓋を持ち上げて鍋の中味を確認する。小さな火は鍋のみならず、炙りものを作り、しかももう一人の男に暖を送っている。(摸本「前九年合戦絵巻」第一図より)

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寺の中厨房の風景は一度掲げた。火がしっかりと焚いているこの瞬間ではだれもそれに目を向けいないが、あるいは若い僧を怒鳴っている巨体の僧がその任を担っているのだろうか。(「法然上人伝絵巻」第三段より)

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ところでこのような「地火炉」をどのように仕立てたのだろうか。作る、設ける、用意する、などなど、今日の言葉使いからいくつかの予備が考えられる。おなじく『今昔物語集』を読めば、これまた意外の言葉に出会った。それは「塗る」ことである。「地火炉を塗る」とは、はたしてどのような作業なのだろうか。さらなる宿題ができた。

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