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野菜を植えるところ

先週、『信貴山縁起』に描かれる食材収穫の様子を取り上げた。画像からは状況が鮮明に伝わるが、なにせ詞書に記されていないので、どうしても文字資料を求めたくなる。簡単には行かないだろうと半分覚悟をしていた。野菜などが植えられたのは、裕福な長者の敷地の中、それに街角に展開されたいわば民家の傍。はたしてどこまで共通性があるのか、この配置はどのぐらい人びとの日常の暮らしに入ったのか、いま一つ定かではない。そうなれば、どのような資料を追うべきか、すぐには見当が付かない。

しかしながら、やや意外なところから貴重な記録が目に飛び込んできた。

まずは、慶滋保胤(?-1002年)の『池亭記』である。造園の記録、あるいはその理想像として語られる記録であり、そこに建てられた平安の庭園においてなんと野菜が植えられる一角がきちんと設けられた。保胤が六条の地で築いた庭園は、山、池、阿弥陀堂、書閣、家屋などが設けられ、その全体像としては、「屋舎十之四、池水九之三、菜園八之二、芹田七之一」といった様子である。畑と水田が合わせれて全体の三割強まで占めていて、鑑賞用の庭とばかり想像していたものからはかなりの開きがあったと言わざるをえない。

この記述をどこまで意識しているのだろうか、じつは『徒然草』には、これに呼応する一段が収められている。二二四段である。そこに鎌倉からやってきた有宗という名前の陰陽師が登場し、兼好を訪ねたら、さっそく忌憚のない批判を披露した。それは庭のあるべき姿として、美しさより実用的なものであるべきだとの説であり、しかも「道をしるものは、うゝることをつとむ(物事が分かる人なら植えることに務めるのだ)」と倫理的な言説を展開した。これには兼好はすなおに賛同し、「くふ物、薬種などをうゑおくべし。(食材や薬草などを植えるべきだ)」と具体的な植えものを並べ、書き留めた。

江戸時代の注釈書において、絵をもって兼好の記したところをビジュアル的に伝えた。ただ、いつもながら絵になればつい饒舌的なものとなり、それが表わしたものは、兼好の文章との間にどうしても齟齬が生じてしまう。東国からの陰陽師をめぐるこの段も例外ではなかった。『なぐさみ草』(第二二四段)において、主人の兼好が現われず、有宗一人はまるで雇われ者の恰好をして一人寂しく庭作りの作業に冒頭した。

1229‐植えるb

これに対して、『つれづれ絵抄』(下巻第八八段)となれば、たしかに主客の二人が対座するが、手を差し伸べながら話し込むのは主人の兼好であり、しかも有宗が振り向く先に、ほどよい空間に鑑賞の木々が枝を伸ばしている。

1229‐植えるc

ちなみにこの段の絵注釈について、『なぐさみ草』を利用して小さなGIF動画に仕立てた。ぜひあわせて覗いてください。


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