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元祖・四コマ漫画

新聞や雑誌でほとんど毎日のように登場する「四コマ漫画」、今やすっかり日本的な表現スタイルの一つに定着した。このようなビジュアル表現のルーツを果たしてどこまで求めることができるのだろうか。ここにやや意外かもしれない一つの実例を紹介したい。あえて言えば、四コマ漫画の元祖だ。

遠く江戸時代、あの中世の名作である『徒然草』が半ば情熱的に読まれていた。おびただしい読書人の要望に応えて、多くの解釈、解説書が作成された。その中で、文字による注釈に加えて、『徒然草』に記された豊かな内容を画像で伝えるという試みも盛んに行われた。そうだ、江戸時代のビジュアル表現は、なにも浮世絵や屏風絵にのみ限るものではない。白黒の木版印刷で編み出された多彩な画像は、貴重な読書経験として、数えきれない人々を楽しませたことを忘れてはならない。その結果、いまではちょっと想像もつかないが、あわせて二百四十三段と数える『徒然草』のほとんど全般に対して、それを表わす丁寧な画像が制作された。『徒然草』の多岐にわたる記述、多彩な文体などを知っていれば、なおさら感嘆せざるをえない。

ここに、そのような絵注釈のひとつに視点を絞って紹介しよう。

『徒然草』五十三段は、仁和寺のとある法師のたいへんな失敗談を記した。分かりやすくて痛々しい出来事で、その内容は衝撃すぎて滑稽なぐらいになり、だれもが一読すれば忘れられないものである。記述の原文は、いまは多数の解説書、現代語訳などの出版物、ひいてはオンライン公開のデジタルテキストで読めるので、ここではそれを繰り返さない。一連の出来事がいかに画像に生まれ変わったかに関心を集めることとしよう。

さて、物語の展開を、四つの場面に分割して表現するとなれば、どのような構図が着想できるのだろうか。大まかに捉えて、このようなスケッチにたどり着くのではなかろうか。

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☆酔態が広がり、一座を驚かそうと、主人公の法師はそこに置いてある鼎を逆さまに持ち上げ、なんと自分の頭に被せた。なにも見えなくても懸命に踊り、みんなを大いに笑わせた。

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☆人目を集めたのは良かったが、終わってみれば、鼎は取れない。人に手を引かせてお医者さんのところに駆け込んだ。だがいかなる名医といえども、お手上げだ。袷を被せた道中は、せめての世間への申し訳だろう。

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☆このままでは死んでしまう。年老いた母、親しい友たちは枕の傍で泣き悲しむが、本人の耳には伝わるとも思えない。

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☆最後の手段に出た。首が折れるほど力で引っ張り、ようやく鼎から抜けた。耳や鼻にはたいへんな怪我が残ったが、幸い命を拾った。

ここにきて、江戸の注釈書に描かれたこの場面を実際に眺めてみよう。注釈書の名前は、『つれつれ艸絵抄』である。元禄四年(1691)刊で、絵師は苗村丈伯である。広く読まれたので、複数の伝本が伝わり、全文デジタル化され公開されているものだけでも数点ある。ここで利用しているのは、国文学研究資料館所蔵のものである。

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同書第五十四段の絵を切り取れば、これとなる。

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絵の中に文字まで入っていて、これも現代の漫画スタイルに共通している。『徒然草』の原文を一部当時の言葉に書き直したものである。江戸の人々が用いて、いまとなれば馴染みの薄いくずし字で書かれたもので、いまの字体に置き換えれば、こうである。

京なるくすし(医師)のがりゐてゆ(行)きける
老いたる母、したしきもの、枕がみによりゐてなきかなしめ共、聞らん共おぼへず
わら(藁)のしべをまはりにさし入れて、くび(頸)もちぎ(千切)るゝばかり引

一見して分かるように、これを新聞掲載などの四コマ漫画のスタイルにしたがって並べれば、りっぱな作品となる。

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デジタルのスタイルにあわせるのなら、さらにこれを自動的に動くGIF動画にすることも考えられよう。

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ちなみに『徒然草』の絵注釈は、ここにあげている「絵抄」に限らない。参考にさらに二点あげてみよう。いずれも法師が踊り出す饗宴の場面にだけスポットをあてたもので、原文の記述で大きな比重を占めるその後の展開に視線を及ぼさなかった。

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『なぐさみ草』( 慶安五年(1652)刊、松永貞徳、国文学研究資料館蔵)第五十三段より

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『絵本徒然草』(元文五年(1740)刊、西川祐信、国会図書館蔵)中巻二ウ三オ

上記の画像は、添えられたリンクから分かるように、いずれもデジタル公開されており、クリック一つで特定の画像、そしてそこから辿って注釈書全体を閲覧することができるようになっている。『徒然草』の原文を片手に、文字を追い、画像を眺めるのも一つの楽しい読書経験だろう。ぜひお試しあれ。

すっかり馴染み深い四コマ漫画、そのルーツが一気に三百年もまえに遡ったと言われたら、賛同できるのだろうか。躊躇する向きもあるかもしれない。ただ、結論はさておき、これにより現代の漫画を楽しむ視線、そして古典の注釈を理解する読み方には、ずいぶんと広がりが出てきたと、個人的には思いたい。

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