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巨大なまな板

二週間まえ、アメリカ議会図書館所蔵の奈良絵本『ほうみやう童子』をとりあげた。(「宝妙童子の話(1/3)」)。その続きである二冊目を読み進めているうちに、一つの興味深い場面に出会った。これまで数回にかけて記してきた中世の厨房の風景と繋がり、いささか意外だった。

主人公の宝妙童子は、親孝行をするために進んで自分の身を売り、長者の息子に代わり生贄となる運命を選んだ。きれいに身なりを整えられ、美しく着飾られたうえ、岩屋の前に差し出された。原作はここにおいて、見開きの絵を用いてその様子を煌びやかに表現した。

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これに対応する本文を読めば、大きな儀式を演出するには、百人もの人々が繰り出された。禰宜、神主たち幣を振るなか、この絵ではまったく伝えようとしなかったが、楽師たちはおのおの笛を吹き、鈴を鳴らし、鼓や太鼓を叩き、篳篥を吹いて、さまざまな楽器を総動員して壮大な音楽を演奏した。

このような集まりの先頭に押し出されたのは、宝妙童子だった。高座ならぬ高い台のうえに身を置かれ、直面するのは、岩屋と物語の中で描写されたもので、まさにあの世への入口だった。そこに鎮座するのは、なんとも異様な一くくりの品物だった。絵だけみれば、なにが表現されたのか、すぐには判断が付かない。しかし原文を読めば、思わずびっくりした。それは、まな板、包丁、そしてまな箸だった。なんとも常識を超えた寸法や形をしている。ただ、物語の進行からすれば、その使い道はすぐに分かった。

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ここで思い出すのは、あの地獄の風景だ。これもまえにここで簡単に触れた。(「左手に箸」)益田家本甲卷『地獄草紙』(解身地獄)に描かれたもので、前世の罪への罰として、体がばらばらにされる。それのプロセスは、まさにまな板の上で実施されるものだった。

一方では、宝妙童子の運命は、この巨大なまな板の上でそのまま体を解体されるものではなかった。物語によれば、かれはまな板に押して横にさせられ、その上、神主が切る「まね」を三度行われた上で、岩屋の中に押し入れた。それにあわせて、奈良絵本も、血生臭い場面を描かずに済んだ。

遠い平安時代に語られた地獄のなかのまな板は、くだって室町時代になってもきちんと受け継がれ、ほぼそのままの形で享受されていた。この事実をここではまず記憶しておきたい。

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