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宝妙童子の話(1/3)

ブログ「絵巻三昧」において、先週はアメリカ議会図書館所蔵の奈良絵本を取り上げた(「ほうみやう童子」)。とても楽しい話であり、とりわけその絵が可愛らしくて見ごたえがある。ここに絵を掲げながら物語のあらすじを追ってみよう。

五天竺にはらなひ(波羅奈)国というところがあり、そこを支配する大王は、念仏を憎み、仏法を信じる人を殺す恐ろしい悪王であった。
その国に、「だんびり(檀毘梨)」という長者が住み、無数の財宝を持ち、四方四十里、高さ五十丁の極楽城を築き、贅を尽くした。その長者夫婦には一人の男子に恵まれ、三人の乳母、大勢の遊び相手を添え、大事に育てた。男子はやがて三歳になり、輝くような美しさで人々を魅了した。

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その国の「りやうあんのしらたきかつよ」という池に、毎年一人の生贄を捧げることになっている。長者の子が八歳になった年、額に「ゑじき」との文字が現われ、生贄になる運命にあった。

長者夫婦は池の岩屋にお参りし、子供の運命を変えてくれようと、十七日、二十七日と祈願を続けた。人々から深く同情を得たが、一切の験がなかった。やがて三十七日となり、長者は霊夢を受けた。同じ歳の、容姿の似ている子どもがいれば、取り替えてもよい、との内容だった。

そのような子供を探し出すという困難な使命を「りうこう」という人が請け負い、長者から黄金百両をもらい、商人に姿を変え、旅に出た。

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一方では、「しゃゑ(舎衛)国」に一人の女とその息子が住んでいた。女性の夫は高六といって、王のために戦場で討ち死にした。子が三歳のころのことだった。夫を失った家は衰え、親戚も従う人たちもみんな去ってしまった。子が八歳にまで成長し、名を宝妙童子と名乗った。父の死の経緯を母から教えてもらい、復習して父の孝養と誓ったが、母はそのような思いを持つべきではないと諭した。

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貧しくて暮らしが苦しくなった。母は人の哀れみを頼りに里へ出て乞食となることに決心し、止めようとする宝妙に答えて、喩えていえば、若い子は上る日である、自分が沈む日だと話した。宝妙は山に入って木を拾い、母は乞食に出た。

里で、母は親切な人から米を与えられた。しかしながら、つぎの時、慳貪な女に罵られ、その上、憤慨した尼が出てきて、杖を振り回して街中で母を殴り侮った。

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母は気を失った。幸いのことに山から下りてきた聖が現われ、母を助けた。母は自分の身の上のこと、子供が一人家で待っていることを語り、聖に感謝した。

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宝妙が待つ家に母が帰ってきた。二人は互いに慰めあい、強い生きていくことを誓った。

翌日、宝妙は再び里へ出る母を見送った。家に残り、宝妙は一人で読経し、あらためて親の恩の深いことを思い知った。

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ここまでは、三冊からなるこの作の一冊目である。全作は、アメリカ議会図書館の公式サイトで公開され、このリンクから閲覧できる。しかも、全冊をPDFファイルの形でダウンロードするリンクまで用意されている。

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