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"おもしろい人"じゃない疎外感

「誰か一緒に飲みましょう!おもしろい人探してます!」

こんなツイートを目にすることがないだろうか?

これを見たとき、

「あぁ、ぼくはお呼びじゃないんだろうな」

と感じてしまう。


ぼくは自己肯定感は高い方だと思う(そもそも自己肯定感って何?高いも低いも感じたことない、と思ってる)。

それでも、"おもしろい人"かどうかときかれると、「そうだよ、おもしろい人だよ」とは自分では言えないのだ。


それはなぜかというと、"おもしろい人"というのは、何者かである人という固定観念がぼくの中にあるからだろう。

何者かになるには、何かを為さないといけない

ぼくは何かを為しただろうか...?


そこで詰まってしまうから、自分が"おもしろい人"だと思えないのだ。

何者かになる必要はないと分かってはいるが、何かを為したいとは思っている。


その"何か"は何でもいいのかな。

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"何か"を為したときに、ぼくは"おもしろい人"だと思われるのかな。

もしかしたら、"何か"を為しても何も変わらないかもしれない。

けど、ぼくはいつか"おもしろい人"だと言われたいな。


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