平等な分配は誰も幸せにしない
平等に接すると、誰一人として大切にできないと知った。
これに半年前の僕は悩んでたみたいだ。
場の調和を求めすぎるが故に、誰一人として大事にできていないかも。すきなひと、ほんとに大事にしたいひとを大事にできていないかも。だいじにしてると伝わってない気もする。
(上記記事より抜粋)
誰かが自分に好意を向けてくれていることに気づいたら、自分だけがそれを受け取ってることに申し訳無さを感じてしまう。だから、その好意を誰かにも分けてあげてほしいと思ってしまう。好意をくれた本人からすると、その行動は好意を拒否されたと受け取れてしまうようだ。その気持ちは分かる。
調和を求めるがゆえの弊害だ。他者に分配することを求めてしまう。
平等に同じ分だけ、分け与えることを善としてしまっていたようだ。そんな必要はないのに。
平等にしたところで、みんなが欲してる需要量は異なるはずだ。それなら、「今」欲してる自分が全部受け取ったほうが公平だなと今は思う。お腹いっぱいの人に与える必要はないもんね。
受け容れる器は空のはず。しかも、平たい皿じゃなく、深い器を持ってるはずだから、勢いのある思いでもこぼさず受け容れれる気がするんだよね。
平等にすると誰も幸せにできない。公平になるように譲らない意志を持って生きよう。
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