木津っちの思考がぶっ刺さった
友人の木津っち(@ayumukizu)が久しぶりにブログを投稿していました。
わくわくしながら読んだら、思ったとおり自分にぶっ刺さったので、noteに考えたことをまとめておきます。
このブログ自体が3部構成になってるので、このnoteも3部構成で書いていきますね。
最近、言葉が出なくなってきた。
最近言葉が出なくなってきた理由の一つとして、木津っちが挙げてるのが
(記事より抜粋)
内省と言語化が足りていないこと
です。
これは本当にそうだろうなと思う。
僕自身も、noteの毎日更新を始めてから、自己紹介が上手くなりました。なんなら、自己紹介が楽しい。自分を説明することも楽しいし、他人に見せても恥のない自分になってきたからだと思います。
(記事より抜粋)
ブログを書くということは、いつか誰かに話すことを、先回りして考えておくということです。
木津っちも言ってるとおり、ブログを書くこと(内省すること)によって、未来の自分のために準備をしておける、と思います。
思考の不完全性を担保するために。
思考の不完全性を担保する、という発想は今まで持ってなかった。
だからこそ、少しハッとさせられた。
なぜ"少し"かというと、今後僕もそうやっていこうとは現時点では思ってないから。
毎日更新をしてる理由に内省も含まれてるけど、1年毎日更新っていう実績を持ちたいというのも理由としてあるから、不確実性担保のために更新間隔を空けることはできない。
発酵しきっていない思考をその都度無理やりまとめ上げようとすると、本当じゃないことがアーカイブされてしまうから。
これも一理あるなとはめっちゃ思うけど、今の僕が優先すべきは毎日更新の方だと思う。
だけど、いつかこれも考えられるようになりたいな。
「中長期滞在」と「移住」の違い。
木津っちは「中長期滞在」と「移住」の違いをこう説明している。
「中長期滞在」をしていた時は、今思えば、人に向き合っていたと思います。(中略)一方「移住」をしている今は、人と向き合いつつもそれ以上に、その地にいる人たちと一緒に別の方向を見ているという感覚があります。
僕がいすみに住んで7ヶ月経った。住民票を移してからだと、5ヶ月。
これはもう完全に「移住」だ。
だが、住み始めて2ヶ月くらいのときは確かに人を見ていた気がする。
・こういう人たちがいるから楽しい
・この人に会えるからここにいたい
・こういう人に会えるかもしれないからここにいたい
***
視線の先には「人」がいた。
だけど、4ヶ月くらい住み始めたときから、視野が広がり始めた。「人」の先にあるコミュニティやシェアハウスのことまで見る(見える)ようになってきた。
・移住者を増やしたい
・シェアハウスを立ち上げたい
・コミュニティに貢献したい
視線の先にあるのは「人よりも大きななにか(だけど人の範疇はでない)」に移り変わった。
この気付きは面白いなと今わくわくし始めている。
いろんな構想が湧き出てくる感覚。
終わりに
以上です。
最近、ランウェイデビューを果たしました。
モデルのご依頼待ってます。
またきてね!
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