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たった1ヶ月で共貢献な親友ができた

大学以降、仲良くなる人の「質」が上がっている気がする。


ここでいう「質」というのは、頭がいいとか金持ちだとかそういう客観的に測れるものじゃなくて、僕の主観で測ったときに一緒にいて心地よいかの尺度のことだ。


つまり、僕の中での親友の定義は「一緒にいて居心地のいい人」。


高校生以前は、そう思える人に出会えなかった。


だけど、自分で主体的に考え、行動して、自分で選んだ環境にはそういう人がいた。


僕の人生にでてきた3人の親友も、そんな環境で見つかった。


3人の親友

僕の人生には親友が3人いる。

これは過去形になってしまった人も合わせた数だ。


●いろいろあって疎遠になった親友

●相手から親友だと思ってるって言われた時は納得したけど、近ごろ僕的に違和感を感じ始めている親友

●互いの価値観を話し合った結果、あつかましくも僕の方から相手を親友だと認めて、相手も納得してくれた親友


もちろん、全員が親友であることに変わりはないんだけど、3人目の親友は「質」が高いと感じている。



***



1人目と2人目の親友

今思うと、この2人の親友とは共依存の関係だった。


集団内でお互いの居場所を確保するために、仲のいい関係を作っていた。

相手がいないと、自分の居場所を確保できない依存した関係。

支え合わざるをえない関係。


1人の人間を1本の棒に例えると、共依存は「V」の字を上下ひっくり返したような状態。

お互いにもたれかかって、絶妙な位置で均衡を保っている。


片方が離れると、お互いを支え合えずに2本とも倒れる。

逆に、片方が近づき過ぎると、もう片方が押されて、2本とも倒れる。


1人目の親友には、僕が近づきすぎたため離れられた。

2人目の親友には棘があって、近づくのを躊躇っている。



***



3人目の親友

出会って1ヶ月なのに、数年来の友達かのごとく、何でも話せてしまう。


それは僕自身が最近になってようやく自己開示ができるようになったというのが大きな理由だとは思うけれど、それにしても居心地がよい。


お互いに自立している。

相手の考えを否定しない。
理解できなくても、受け容れる。

共貢献な関係。


これができているから、居心地がいいんだろうな。



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こんな親友が増えることが僕の人生のコンセプトになりそうだな、と思いました。


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