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空行く雲の子、星辰の娘


長年自らの相棒を務めてきた身の丈もあろうかという大鷹を見て、イズモは何度目か知れない溜息をついた。

「カイリ」

鷹の名前ではない。その不自然に広げられた片翼の後ろに隠れている子供の名だ。

「またアルスランを連れて遠出したな?」

易々と付き合った相棒の方もついでにじろりと睨んでやると、勇猛な獅子の名を持つ大鷹も些か気まずそうな素振りをする。そうしてもう諦めろとばかりに広がった片翼を取り返し、その鋭い嘴の甲で子供の背を前に押しやった。
子供──10歳になろうかという彼の娘は、少しばかり恨めしそうな目で共犯者を振り返る。やがていたずらが見つかった時の顔でおずおずと父を見上げた。

「……」
「……」
「……えへ」

イズモは更に溜息を重ねる。

「何度も言っただろう。アルスランは馬や山羊とは訳が違うんだ。お前はまだ子供なんだから、振り落とされたら怪我どころでは済まないんだぞ」

アジムステップ北部、その山間にひっそりと住む部族の中には、遊牧の他に猛禽による狩りも生業とする者達がいる。イズモのように背に乗れるほどの大鷹を持つ者もいて、それは主に一家の騎獣として珍重されていた。

もっとも、アルスランは殊に優秀な乗騎だから、背に乗せた人間を落としたりなどしない。危険な魔獣の気配にも聡いし、下手な人間がついているより頼りになる。それをよく分かっているから娘はこっそり冒険に出るし、それをよく分かっていてもイズモは父としてお小言を言わざるを得ない。
しかしながら、父親とは得てして娘に弱いもの。そんな義父の言葉を思い出しながら自分もまたそうなのだろうとイズモは独り苦笑を漏らす。

流れ者の自分を受け入れてくれた愛する妻は、早くにナーマの許へ旅立った。その面影、その性質を強く受け継ぐ娘がきらきらとした目でこちらを見ていてはなかなか強く叱り切れない──おそらく、頭の中は今叱られていることよりも土産話でいっぱいなのだろう。

「……出かけるのはこの際仕方ないとして、少なくとも行先くらいは父さんかおじい様に言いなさい。皆お前が大事なんだ。心配するだろう」
「はあい、心配かけてごめんなさい。──ね、もうお話していい?」

イズモは軽く笑う。

「調子のいい子め。それで? 今日はどこに行ってきたんだ」
「あのねっ」

待ってましたとばかりに軽い足取りで駆け寄った娘を腕に抱え上げると、少し高いところから楽しげな声が次々に降ってくる。

「──それから、テール山脈の向こうの大きな市にも行ったの。人がいっぱいいたよ」
「再会の市か」

うん、とカイリは頷いた。

「そこで黄色い服の人たちが話してたんだけど、北の山裾のほうに大きなマンモスが出たんだって。こんなに大きいの」
「ほう?」

イズモは思わず眉をひそめた。それが本当なら、位置が思いの外近い。山を越えてこの隠れ谷までくることはないだろうが、果たして。
イズモが思索を巡らせていると、背後に笑み含みの老爺の声がした。

「草原の知らせを持ってくるのはいつもカイリだな」

おじい様、と弾んだ声を上げたカイリがイズモの腕から飛び降りる。彼女の祖父であり、イズモの義父であるバトゥハンだ。

「空行く雲の子、星の尾の子。お前は本当に旅が好きな子だな。母さんにそっくりだ」

大きな手に頭を撫でられたカイリが、はい、と嬉しそうに笑う。

「……義父さん、あまりカイリを甘やかさないでくださいよ」
「そのまま己に言ってやるがいい。──さあカイリ、おまえにひとつ仕事を頼みたい」
「仕事?」

バトゥハンがちらりとイズモを見る。その意を察したイズモもまた頷いた。

「その大きなマンモスの行方を占えるかな? こちらに来ると恐ろしいのだがなぁ」

途端、カイリの表情が引き締まる。こくりと一つ頷いて、近くの卓子まで駆けていく。胸元から取り出したのは紐をつけた皮袋。それを逆さに振ると、卓上に小さな色石や木の葉、小さな牙のような骨片がいくつも転がり出た。
カイリは神妙な顔でそれを定位置に並べ、色石のいくつかを弾く。一つは骨片に当たり、一つは他の色石の群れの中へ、それで飛び出した石の一つはうまく木の葉の上に乗る。

「……これより7つの太陽が沈むころ、強い戦士たちがやってきます。マンモスは狩られるはずです」

小さな唇がよどみなく言葉を紡ぐのをイズモは黙って見守る。それは死んだ妻が巫覡の務めを果たす時の口調によく似ていた。

「たくさんの人に恵みが行きわたるでしょう。一族のみんなにも、少しだけ恵みがあります。出ていく誰かがいいものを持って帰ってくる──」

そこまで言って、カイリははたと祖父を見上げた。

「……私?」

バトゥハンはとうとう声を上げて笑った。

「そうに違いないな。その時ばかりはイズモもお前を𠮟れまい」

イズモもまた苦笑して娘の頭を撫でる。厳しい冬を前に、毛皮や干し肉が増えて困ることはない。

「仕方ない。その時は父さんも一緒に行くからな」
「ほんと? またアルスランに乗っていい?」
「ああ」

カイリの大きな目がまた輝いた。
──この顔をあと何度見ることが出来るだろうか、とイズモは思う。
彗星の巡り来る年に生まれた子は、いずれ大きな使命を帯びて旅立つ子とされていた。
この娘はきっと、その通りになるだろう。
馬に乗り、鳥に乗り、風に乗り。そうしていつか海さえ渡り、広い世界を見る子になるように。
そう願って名付けたのは、他でもないイズモなのだから。


「カイリ」

呼ばれて彼女は振り返った。
森の都・グリダニアのカーラインカフェ。振り仰いだ先には顔見知りのミコッテ族が立っていた。

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「何してるの? 新しい占い? 綺麗なカードね」

覗き込まれ、カイリもまた己の手元に視線を戻す。
真新しいカード。絵柄は一面の草原と峻厳たるテール山脈。風駆ける故郷の風景を描いた絵札は、様々な占具の中でも不思議と手に馴染むのが早かった。その1枚を卓子に置いて、カイリは淡く笑む。

「そんなところ」
「ねえ、じゃあまたお願いしていい? 酒場でちょっといい感じの人と出会っちゃって。君は尻尾の先までほんとに可愛いね、なんて言うのよっ」
「はいはい、また恋占い?」

てれてれと笑いながら、ミコッテの娘は期待に満ちた顔でカイリの向かいに腰を下ろす。
手元のカードを手早くシャッフルし、彼女の道行きとまだ見ぬ恋の相手へ思いを馳せる。1枚、また1枚と絵札が卓上を彩っていく。そのどれもが故郷の神話や風景、人々を描いたものだ。
そうしてまた、ひとつの「道」が出来上がる。

「月神ナーマにかかる雲……甘い言葉はさておいて、あなたの知らないことがまだ隠されているかも。本当に誠実な相手かどうか、ちゃんと見極めてから行動したほうがいいと思う」

ええっ、と彼女の尻尾が立った。

「あたしったら、またろくでなしを引いちゃったってこと?」
「あくまで可能性のひとつだから。でも、実際会ったばかりなんでしょ?」
「うう、確かにちょっとチャラそうだったけどさぁ……あ」

愕然としたような視線の先をカイリも追うと、いかにも遊び人風の男が宿から出てくるところだった。反応からして件の相手だろうか。しかし、その腕には目の前の彼女より小柄なミコッテ族の少女が絡みついていた。
あれかと視線で尋ねると、ぐったりと机上に沈んでいく彼女がこてんと首肯する。それに苦笑して、カイリはもう1枚カードを引く。

遥かなる大草原、馬に乗って駆けていくゼラの遊牧民。その意味するところはまだ見ぬ彼方への旅、新たな道──そして希望。

「……大丈夫。近々また素敵な出会いが待っていると思うよ。行ったことのない場所に行ってみるといいかも」
「ほんとっ!?」

みるみる顔を輝かせて彼女が叫ぶ。この前向きな明るさが彼女の美徳だ。失われない限り、いつか必ず運命を引き寄せるだろう。

「ほんと」
「やったぁ、さっそく今夜リムサで新規開拓しなくちゃ! ありがとっ、これお礼!」

今日のお代は黒衣森の珍しい鉱石。何度も振り返って大きく手を振りながら去っていく後姿を見送りながら、カイリは小さく祈る。

──彼女の駆けていくその道の果てに、青く高い空が広がらんことを。

いつも思い出す、なつかしい故郷のように。

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