【歳時記と落語】母の日
昨日の投稿と前後しますが。
2020年5月10日は、「母の日」です。5月の第2日曜日ということになっております。
アメリカで1870年に、ジュリア・ウォード・ハウという人が、夫や子どもを戦場に送ることを今後絶対に拒否しようと訴えた「母の日宣言」(Mother's Day Proclamation)を発したのが「Mother's Day」の起こりやそうです。
これは、その直前の南北戦争中に負傷兵の治療における衛生状態を改善する活動「母の仕事の日」(Mother's Work Days)をヒントにしたんやとか。
この「母の仕事の日」を提唱したアン・ジャービスの娘さんであるアンナ・ジャービスさんが、母親の死後の1907年5月12日に、母親を偲んで教会で記念会を催して白いカーネーションを贈ったんが、実質的な「母の日」の起源とされているようですな。
落語の世界には、なかなかこんな殊勝な心がけのもんは出てきやしません。
さて、ここにおりました男、家主さんに呼ばれてやってまいります。毎日ケンカが耐えんのですが、今日はどんな騒ぎをしでかしたのかと、まあお説教です。
すると、この男、置いておいたアジをみすみす猫に盗られたというので、嫁さんと母親を詰り、嫁さんを殴った上に、止めに入った母親を蹴りたおしたんですな。
さすがの家主さんも、そんなやつを置いておいたんでは世間様に面目が立たんと、店立を命じます。
それは勘弁してくれという男に、家主さんは、
身体髪膚、之を父母に受く。敢て毀傷せざるは、孝の始めなり。身を立て道を行い、名を後世に揚げ、以って父母を顕すは、孝の終わりなり。
という『孝経』の一節を解いて聞かせますがいっかな堪えません。
そこで、「二十四孝」の話をいたします。
《晋の王祥が「鯉が食べたい」と言う義母のために、体温で氷を溶かして鯉を手に入れという。》
すると、男、「氷が溶けたら、その男がドボンと池にはまんのと違いまっか?」
《晋の孟宗の老母がある冬の日に、「筍が食べたい」と言ったが、当然あるはずはない。孟宗が竹林で涙すると、天が感じたものか筍が生えてきたという。》
すると、男、「泣いて筍が手に入るんやたら、八百屋のおっさん年中泣いてまっせ」
《後漢の郭巨が、子供のために老親を養えないため、泣く泣く子供を山に埋めようとしたところ、掘ったところから金塊が出た。届け出たところ、お上から孝行の故に下げ渡された。》
すると、男「金塊なんてもんは、裏山を鍬で引っ掻いたぐらいではでてきまへん」
《晋の呉猛は貧しく蚊帳が買えず、老父が蚊に刺されてはいかんと、裸になって体に酒を吹き付けて、自分が刺されるようにと願って父親の横に寝たところ、蚊は一匹も現れなかった》
すると、この男「わいやったら、二階の壁に酒吹き付けて、蚊を二階に閉じ込めなんな」と言った上に、「大体、親孝行が何の特になりまんねん?」
そこで、家主さん、「お前が親孝行したと、わしの耳に入ったら小遣いぐらいやってもええ」と約束します。
気を良くした男、帰ると家主さんに言われたように「母上」と呼びかけ、更に二十四孝のマネをしようとします。
「母上、鯉は食べとないか?」
「川魚は生臭いさかい鯉は嫌いやわ」
「母上、筍は食べとないか?」
「わて、歯が悪いさかいなぁ」
家主さんに何を言われたか聞かれた男、
「香々を漬けたい時分にナスは無し。さりとてカボチャは生ではかじられん」
「晋の国に王祥という親孝行な人がいたはった。ある冬、母親が鯉が食べたいと言うんで、鍬を持って裏の竹薮へ行ったんが一面の雪で掘っても掘っても鯉は出てこん。親孝行がでけんと、涙をこぼすると、目の前の雪が溶けて土が盛り上がった。そこを掘ると金の釜が出た。その釜を開けると中から鯉が飛んで出た」
とメチャクチャな話をし、子供を裏山に埋めようとして、嫁さんに止められます。いたします。
そこで、呉猛の真似をしようと、母親に寝るように言い、自分の体に酒を吹きかけようとして飲んでしまい、体に吹き掛けるんも呑んでまうんも一緒や、とすっくり酒を呑み干して寝てしまいます。
明くる朝。起きてみると、蚊に刺されていない。
「お母ん、えらいもんや。裸で寝たのにちょっとも蚊に刺されてない。親
孝行の徳やなぁ」
「アホなこと言いなはんな。わてが一晩中起きて、扇いでたんやがな」
ほんまに蚊が出てますんで、ちょうど夏のお離しですな。
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