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【歳時記と落語】芝浜

年末に、というても、この【歳時記と落語】は暦は旧暦でやってるんで、本格的には年の瀬の話はもうちょっと後でやりますが、こういう時期になると、ようかけられる噺というのがあります。季節のはっきりした噺は、やっぱりその時期にやるんが一番気がのりまっさかいね。

そんな中でも筆頭格なんが「芝浜」でしょうな。上方では、舞台を芝浦から住吉の浜に変えてやります。人情噺としてもようできてます。おかげで、芝居や映画にもなった。


「何でぇ、市場が休みじゃねぇか。かかあに無理やり仕事に出され来てみりゃ、これだ。こんなことならもう一杯のんで寝てりゃよかった」
魚屋の勝五郎は、ずらりと並んだ閉まった店の戸を見わたして呟いた。
と――、そこへ、ゴーンと鐘が聞こえてきた。
「増上寺の鐘だ、――かかあの奴、一時まちがえやがったな」
仕方ねぇ、と勝五郎は芝の浜へ出た。顔を洗って、適当な岩に腰をかけて、煙草入れからキセルを出した。
吐き出した紫煙をぼんやりの眺めていると、陽が昇って明るくなってくる。すると、なにやら波打ち際に動くものが目に付いた。
「ん……、何かと思やぁ、財布じゃねぇか。半分腐ってやがるな。しかしこりゃ妙に重――」
「あら、お前さん、あたしゃ一時まちがえ――」
勝五郎は勢いよく戸を開けて家に入ると、おかみさんには目も遣らずに水壺に飛びつくようにして柄杓で水を飲んだ。
「かかあ、酒だ。肴はてんぷらだ。それから金公や虎公呼んで来い」
「なんだい藪から棒に。大体お足はどうすんだい」
ヘッと、勝五郎は拾った財布をおかみさんに投げて渡した。
「早起きは三文の徳というが、こいつは三文どころじゃねぇや。今日の芝の浜じゃ小判が釣れたぜ」
おかみさんが慌てて財布を開いてみると、一両小判が八十二枚あった。
「お、お前さん、八十二両もあるよ」
「おう、これで朝から晩まで飲んでいてもビクともしねぇぞ」
「お前さん、起きとくれよ。商いに行っておくれよ」
「何だぁ」
二日酔いで重い頭を巡らせて勝五郎は、さも面倒臭そうに言った。
「昨日の八十二両があるだろう」
「八十二両って何ですよ」
「昨日の朝、拾ってきたろ。あの革財布だよ」
おかみさんは悲しそうな目で勝五郎を見つめて息をついた。
「ふーっ。お金が欲しくて、そんな夢見たのかい。しっかりしておくれよ。昨日も商いに行かなかったじゃないか。起こしたら怒鳴られたんで、放っておいたら昼頃起き出して……。お風呂に行ったかと思ったら、帰り際に友達大勢連れてきて、酒買ってこい、天ぷらあつらえろってうるさいのなんの。顔を潰す訳にも行かないから隣近所に頼んで工面したけどさぁ。さんざん飲んではしゃいでまた寝てしまったんじゃないか」
始めは寝転がって聞いていた勝五郎だったが、終いにはおかみさんに掴みかかるようしにていた。
「じゃあ、八十二両は夢で、飲んだのは本当だってのか」
「そういうことだね。あたしゃ革財布もそんな大金も拝んだことはないよ。拝んだのは隣近所のおかみさんの哀れむような顔だけさ」
「それじゃ、借金もずいぶん増えちまっただろう……。なぁ、死のうか」
「馬鹿言うんじゃないよ。お前さんが死ぬ気になって商いに行けば何て事もないよ。元々仲間からも一目置かれる腕っこきの魚屋じゃないか」
おかみさんは勝五郎の肩を力強く叩いた。
「そうか……、分かったッ。商いに行く。――それに、酒が悪いんだ。止めた止めた。今日からもう一滴も呑まねえぞ」
勝五郎は商売道具を担ぐと、引き締まった面持ちで振り返り、行って来るとだけ言って駆け出した。
それから三年――。
人が変わったように懸命に働いたおかげで、勝五郎は表通りに店を構え、小僧の一人も置けるようになっていた。
その年の暮れ。風呂から帰り、正月の準備を終えて、勝五郎は新しい畳の匂いを嗅ぎ、ひとときくつろいでいた。
と、そこへおかみさんが神妙な面持ちで声を掛けた。
「お前さん、話があるんだけど、怒らないで聞いてくれるかい」
「なんだ、あらたまって。黙って聞くよ」
「そうかい。それじゃ、これなんだけど、見覚えはないかい」
おかみさんは勝五郎の目の前にぼろぼろの革財布をそっと置いた。
「なんだ、へそくりかい。そんなことじゃ怒りはしないよ。……しかし重いな、こんなにやるなんて女は恐いな……、八十二両もあるぜ。八十……二両……、あ、夢の中で拾った財布――」
「その財布だよ」
「なにぃ。ありゃお前、夢と言っただろ」
詰め寄る勝五郎に対して、おかみさんは毅然として話を続けた。
「本当はね、拾ってきたんだよ。けどね、心配になってお前さんが寝てる間に、大家さんに相談したんだよ。そしたら、その金はお上に届けなければ勝五郎は死罪になる、夢だと騙してしまえって。で、夢だと騙したら、お前さんが頑張ってくれた。おかげで店も持てた。ありがたいことだよ。けどね、ずっとあんたを騙してたのは後ろめたかったんだよ。三年経って、持ち主が見つからなかったんで、このお金も下げ渡されてきた。けど、今のお前さん、もう大丈夫。怠けの虫が出たりしないね。――ごめんなさいよ。女房に騙され悔しかったでしょう」
最後は声を震わせながら、おかみさんは頭を下げた。勝五郎はあっけに取られた風だったが、おもむろにおかみさんに向きなおった。
「手を上げてくれ。お前の言うとおりだ。あの時使ってれば、お仕置きになってたろうさ。許すどころか礼を言わなきゃならねえ。ありがとう」
勝五郎はおかみさんに向かって深々と頭を下げた。
「なんだい、女房に頭下げて。じゃあ、許してくれるんだね。――今日はね、機嫌直しにあんたの好きなものが用意してあるんだよ」
「ほう、やっぱり女房は古くなくちゃいけねぇなあ。なんだ、お燗までがついてるじゃねえか。畳よりはこっちの匂いだな。呑んで良いのか」
「あたりまえじゃないか。さ、ぐっとやっとくれ」
おかみさんが酌をするのを、盃で受けて、勝五郎は三年ぶりの酒を口元に運こび、その匂いを楽しんだ。
と――、ふっと薄い笑みを浮かべて、盃をしずかに置いた。
「どうしたんだい。飲んでいいんだよ」
「よそう。――また夢になるといけねぇ」

さて、実際の口演では、何というても三代目・桂三木助の芝浜が出色で、他のもんは「芝浜」をようやらなんだというくらいです。

故・立川談志の口演もまた独特の味わいがあります。

元々は三遊亭圓朝の三題噺が原作という説が有名ですが、どうも確かなことはよう分からんらしい。

しかし、1889(明治22)年の速記本『流行速記の花』に「芝浜の革財布」と題して三遊亭小圓太の口演が収められております。この名は圓朝の旧名ですが、速記本刊行時期ですと、三遊亭圓流の息子で、初代圓馬門下から圓朝の門下に入った三代目橘家小圓太、後の二代目三遊亭小圓朝やないかと思います。1885年から1893年まで小圓太を名乗っています。

いずれにしても、圓朝存命中に、「芝浜」の型はほぼ出来上がっていたことは間違いないようです。

この「芝浜」について「江戸研究」の泰斗・三田村鳶魚は『鳶魚随筆』の中の「芝浜の財布」で、「芝へ魚の買出しに行くというので見れば、(中略)新場・本芝・芝金杉の魚市場の出来たのは享保六年以降のことで、波打際で革財布を拾ったといえば本芝のことらしい。この心学を加味した落語は,享保時代の出来事を按排したものである」と延べ、享保九年に丹波篠山藩家老・松崎堯臣が書いた『窓のすさみ』中の佳話を引いています。寛政年間以後に落語に仕立てられる時に、当時流行の心学を取り入れて、且つ説教くさくないようにしたのが「芝浜」やというんですな。

参考までに、以下にその「原話」をあげておきます。踊り字は使いにくいので、書き直してます。

芝浦に魚を賣る者の子二十歳ばかりにて有りしが、きはめて孝行にすて、又人を憐れむ心深かりければ、そのあたりにて稀人を稱しける。朝毎に日本橋に行きて、魚をもとめて直に賣りもて歸ること日々なり。三月初の頃、未闇に出でて、例のごとく終日魚を賣りて、夕方金杉を通りしに、包みたるものの足にさはりければ、取りあげて見るに、金二兩つつみ、中に證文あり、八王子の農夫女を江戸に奉公に出して、給金を請取りたる由を書けり。是を見て、あな淺まし、はるばると江戸に來り、いささかの金にかへて、そもかくも世を渡らんとする由なるが、此金を落したる、さぞな歎き迷ひて苦しからん、それのみかは、主の許よりはたりたらば、世法にてあれば、いかなるうきめに逢ひなん、これをよそにして見過ごしたらんに、外の人の見附けて、幸を得たりと思ひ、おのがものとしたらば、元の主に返す事大かた有るまじ、さらば見捨ては忍び難き事なり、是より直に主の許に訪ね行きて、返し與へんと思ふに、常に宿を出るごとに父母に暇乞、今日はいつごろ歸り申さんと云ひて、必其頃をたがへざるに、八王子は四五里の程と聞けば、明日の晩ならでは歸り難し、親の尋ねまどふらん事、心くるしけれど、よしや事とげて歸りたらん時、その由をあかしたらば、罪許されなん、此落したる者の切なる患を見捨ては、得有まじくと思ひ定め、その邊にいつもよる所のありしに、親の尋來る事もあらば、しかじかの事見過しがたく、八王子にまかりぬと云ひてたべとあつらえつつ、簀をもここに脱ぎおきて、直に西に向ひて、彼包めるを與へたるに、家擧りて落したるを悲び、如何はせんと愁ひ居れる所なれば、いかなる神の恩惠にて、かくまれなる情深き人に見附られし事よと、一村こぞりて 歡びあひ、村の長も來てさざめきあへる事限なし。さて歸りなんとするに、今暫とどまりてたべ、かたの如く一村してもてなし度しと、しひて止めけれど、親にも告げずして、道より直に參りたれば、さまざまに案じなんが心ぐるしく、暫時も居り申す心地候はずとて、やがて出でければ、二三人の夫附き、草刈馬にて送りける。父母は暮ぬれども歸らざるを怪み、足を空にして尋ね問ひ、金杉に來て、云ひ置たる主に逢ひて、行衛はしりたれば、人けなき野らを夜半かけて行きたるに、いかなる目に逢ひなんと、立ちて見居て見、思はじ事なう案じ居るに、餘多の人送り來て、事の由を云ひほめののしれるにぞ、初めて生還りたる心地してけり。かくて四五日の曉に、例のごとく魚を買に出けるに、曉方なればほのぐらきに、足にかかるものあり。又此頃の如く見過しがたき事にもやと思ひながら、取りあげて見れば金十兩白紙に包めるなり。此度は主も知れされば、何方に届くべきやうもなし、さりながら所の者に告げ知らせたらば、其主のいでくるやうも有りなん、見捨たらんにはまさりぬべしと思ひ、其所の役人に逢ひて渡しけるに、白紙に包めるならば届くべき樣もなし、是ぞ天の與ふるなるべし、拾たるを、幸に、取て歸られよと云ひければ、初より取べき心ならばかく告ぐべきや、落したる主に返す手立も有るべくやとてこそ申したれ、渡し申す上は、所の人の分たれなんは心まかされよ、我等これを取りては、こころよからずとて歸りたれば、町より奉行所に出て訴へけるに、彼子をも召出て問れしに、同じ答なり。其時芝浦のものども一同に、此子勝れて正直にして、親に孝なる上、五日以前にもしかじかの事の候ひしとて、初よりの事を申しければ、奉行所にも感じられて、珍しきものなり、所のものども心附けて憐むべしとありて、偖此金は主の出る事もぞ有る、三日の間市にさらすべしと命ぜられしが、終に主といふもの出ざりければ、又一日しければ此子を召出て、これを以て親をはごくむべしとて、下し賜りて厚く賞せられける。近日の事とて芝の人の語りし。

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