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CICADAのつくり方【2】表参道編 Twitter論争まで生んだその魅力

第1部の「広尾編 君はあの頃の3Cを知っているか!」では、シカダというコンセプトが生まれ、広尾で人気店になるまでを紹介しました。今回の表参道編では移転と2回目のオープン、そしてTwitter論争が起きた真の理由について自分の考えを解説します!

■目次
4.9年目の移転
5.再び店づくり、そして広尾との別れ
6.2回目のオープンはちょっと違った
7.Twitter論争はなぜおきたか

4.9年目の移転

広尾でにぎわっていたシカダには、課題がありました。今でこそ不動産は長期契約しかしませんが、広尾の場所は5年の定期借家、つまり5年後に家主が終わりと言えば出ていかねばならない契約になっていたのです。08年の最初の更新では無事に再契約5年となりましたが、シカダの前に自ら店を経営していた家主が「次はうちでやろうかな」とつぶやきます。その時から、13年春の更新時には移転になっちゃうかなと思いはじめました。

その一方で、実は近隣のマーケットでは変化が起き始めていました。08年の契約更新直後に起きたリーマンショックから特に深夜の客が減りはじめ、11年の震災でその流れは決定的に… アクセスの悪い西麻布には人が集まらず、店が減ってさらに人が減るという悪循環です。店の前の人通りが明らかに減っていくのを体感しながら、この辺は早く脱出した方がよいのでは?と思うようになります。

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お世話になっている毛利慎さんの「燃える外食王のブログ」2011年の投稿より… まさに移転を考えはじめた時期です。アクセスの悪い西麻布、実は日比谷線の開業時に駅ができる計画だったのに地元の反対で中止になったとか。なので広尾駅と六本木駅の間だけ長いんです。もし駅ができたら麻布十番のように劇的に変わるのかな?

契約終了まで1年近くになり、そろそろ動こうと思っていた12年1月、ある大企業の総務担当者から一本の電話が入ります。ある建物について相談があるというのですが、実はその場所は1年以上前に賃貸を検討するということでプレゼンをした案件でした。そのときは最終的に貸す話自体がなくなったのですが、今回は別部門が改善案を募ったが良い提案がなく、上層部の方が以前会った寺田に相談してみたら、ということで連絡があったのです。

担当者のもとへ飛んでいくと、1週間後が提案締切なのでそれまでに数字を含めて提案がほしいとのこと!まじですか! 実は前回提案時になんとなんと中華料理で提案をしていましたが、数字抜きの提案だったので1週間では何もまとめられない… 先方オフィスを出て歩きながら、これはシカダを移すしかないと決心します。

表参道にあるその建物はところどころ傷んでいましたが、ソニービルや東京芸術劇場などを建てた建築家の芦原義信さんによるもので、ちゃんとお化粧したらすごい箱になる ーそう確信した自分はリスクをとって勝負するしかないと思い、いくら修繕にかかり、いくら稼ぐかもわからないのに、工事費はすべてこちら持ちという提案をして無事に通ります。

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最初に見学したとき… デービッド君はここがホントに店になるのかと不安そうです。3月に契約しましたが、9月頃までには開けてほしいとのこと… 規模を考えれば超が3個ぐらいつくタイトな日程でした。

5.再び店づくり、そして広尾との別れ

さあ、そして2回目の店づくりがスタートします。

すでに内容的に完成された店でしたが、アクセスが悪いため大衆的でなく夜遊び族の聖地だった環境から、表参道駅徒歩1分という商業環境に変わり、顧客層と使い方が変わることが予想されたため内容の調整が必要です。そして何より箱がデカい!一・二階あわせて200席にテラス、すべて連動したオペレーションの構築も課題になりました。

一方で空間には夢しかありません。建物がもつ色気を活かし、南のコロニアルリゾートをテーマとすることに決めました。そして滝澤さんと再び海外へお出かけです。家具の多くはタイでつくってコンテナで持ってきたので、その工場を見学しつつバンコクやスリランカのコロニアル感あふれるリゾートを見学します。正直、この時の話だけで記事まるまる一本書けそうですがここでは割愛。

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タッキーこと滝澤さんと、CICADAの手前にあるカフェcrisscrossを設計した長﨑健一さんの2ショット。スリランカに数々の名作を残した建築家ジェフリー・バワ、彼の元オフィスを改造したコロンボのThe Gallery Cafeにて。バワの話はIVY PALCEにて詳しく書きます。

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写真のポイントは、スリランカで一般的な屋根を支える柱。滝澤さんのリクエストにより現地のアンティーク屋でこの柱を購入し、シカダの内装に使われています。ぜひ探してみて下さい! 日本語ペラペラ運転手のクマちゃんに前金で渡して発送手続きまでしてもらったのですが、完成直前まで届かずドキドキしました。

しかしあれだけの規模の工事を短期間でするのは容易でなく、現場監督だったD.BRAINの川本さんにはあらためて感謝です。朝現場に行くと徹夜明けでテラスで寝ていたり、ある日の深夜には樹を植えたばかりの根付かないタイミングで台風がやってきため心配になって見に行ったところ、同じく心配して見にきた雨合羽の監督と鉢合わせしたこともありました。

そんな空間の劇的ビフォア&アフターな写真をどうぞ。

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Before:手前は開かずの駐車場で、野良猫たちの楽園となっていました。そして猫好きな自分には残念ながら、工事とともに皆様お引っ越しをされていきました。

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After:3本のうち真ん中の樹が台風に耐えたクスノキです。建物から奥がCICADA、手前はカフェcrisscrossとベーカリーbreadworksの表参道店。

新店舗の工事が進む一方で、広尾の店はギリギリまで営業をつづけました。移転が近づくとそれを知った人から「なぜ移すのか?」と問われはじめ、変わらずにぎわうシカダを見ては「本当に移転して大丈夫なのか?」と悩みます。広尾は恋に落ちた場所ではありましたが、表参道も魅力的なハコだし、移転して良くなったと言われるよう頑張ろうと強く誓ったのでした。

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最終日、みんなで路上を占拠して記念写真を撮りました。よく見ると… 撮影の最中に予約の電話がかかってきたことが想像できます。この時ちょうど40歳、大切な思い出の一枚です。

5.2回目のオープンはちょっと違った

前回同様にしっかりと練習を積んだあとの12年10月20日、オープニングパーティーとともに店はスタートします。

盛大で楽しかったパーティーの裏側で、実は嬉しかった出来事がありました。なんと工事をした職人さんたちがのぞきに来てくれたのです。自分はかなり現場に行って職人さんにも声をかけるのですが、終わった工事なのに気になって見に来たとのこと!顧客だけでなくお店に関わる人たちにも楽しめる場であってほしいという哲学をもつ自分としては、ああよいプロジェクトだったなと思った瞬間でした。半年間みっちりと共にがんばってきた工事関係者とも大パーティー、全員でナゾの胴上げまでしました。

この移転オープンが2003年の開業時と一番違っていたのは、SNSでの拡がりです。前年に代官山T-SITEで、家主のCCCがオープン日を告知しなかったにもかかわらずFacebookなどで情報が拡がり、初日から人が殺到したのを経験しました。そのときに当時広がりはじめた「写真映え」の重要性を感覚的に理解していたのですが、キーポイントはプールでした。

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プールは拡がり、奥に滝がつくられました。ここが表参道駅徒歩1-2分とは思えない別世界で、サラサラ流れる滝の音を聴きながら夕暮れ時に飲むシャンパンは格別の味です。

実はこのプールと滝、相当な金額がかかりました。滝澤さんが庭の池を拡げていいですか?というので、かっこいいならいいですよと軽く答えたら、急に弱気な声で「でも3000万円かかるんですよ」...  倒れそうになりました。この金額で店が一軒開くぜと思いつつ、巨大な総工費で金銭感覚がマヒしていた自分はゴーサイン。でもいざできると、お客さんはみんな店に入る前に「わぁすごい!」と言ってプールの写真を撮り、SNSに流してくれました。象徴的な場所となり、コストは回収できたのかも?

そんなこんなで華々しく立ち上がったものの、実は裏側はバタバタでした… いきなり席数が倍増した上にバカ混み、2Fも含めたオペレーションは複雑で現場は混乱、チームが崩壊しかけたこともありました。でもそれも程なく落ち着き、皆さんご存知のシカダは表参道の地で再出発を果たしたのです。

汗とコストの結晶であるリノベーションの成果を、これまた前後の写真比較でお届けします!

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名建築ならではのピロティの色気を活かしつつ、リゾート感のある入口ができました。

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小さなキッチンと食堂だった場所は、大きなキッチンとプールを見るカウンター席になりました。ここは人が多く通るところだからどうしようかなあと思ったのですが、プールに向けてみたところカップルが仲良くできる一等地に変わりました… あ、スリランカの柱がある!

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比較写真を撮りようのないのが残念ですが、前の写真の通路を入ってくるとこんなダンスホールが広がっていて、小さなミラーボールもついてました!ダンスホールの構図は、現在の写真のテーブル前からワインセラーを向いて撮った感じです。今は天高を活かして、軽自動車が買えるぐらいなタイ製のシャンデリアが吊るされています。

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上の写真のプールを向く席。ここに座ると後ろを通る人やスタッフは目に入らず二人の世界に入れます。広尾のシカダのアイコン、キャンドル照明はこんなところに活きています。

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二階の個室がまさかこんな座敷だったと知る人は多くありません。変われば変わるもんです。滝澤さんは、やりたかったことを全部やれたと言ってくれました。そんな場を共につくれたことは喜びです。

6.Twitter論争はなぜおきたか

さてトレンド入り事件。後で調べてみると、結論から言えばデートの店選び論争に象徴的な店として巻き込まれたような形でした。シカダでのデートに対して色々な世代の色々な思いが交錯し、今さらかっこ悪いとか懐かしいとか、あるいは店は悪くないとか、様々なご意見やつぶやきが飛び交っていた模様。

ただ、決して悪いことではなかったと思っています。なぜならこの論争、お店が長く最前線にいないと起きないからです。かつてデートで多用した人には今さらな店かもしれない一方で、今でも大切なデートで利用したいと思ってくれる若者がいるというのは、店が顧客と一緒に歳をとらず新陳代謝がうまく進んでいる証拠です。長く使っていただく顧客も多くいて、そこに新しい世代が入ってくる… それはお店が文化を保ちながら長続きする秘訣ですよね。

表参道に移転してちょっとしたころ、営業のトップがしみじみと「最近客層が若くなりましたよねえ」と言ったのですが、ちょっと待って!それって実は客層はずっと同じ年代で、うちらが歳をとっただけじゃないのか?と話して大笑いしたことがあります。新規オープンで話題のお店がもてはやされがちですが、長く一線で頑張りつづけ数々の思い出を生んできた店というのも、もっと評価されてもよいのではないかと思います。

実は広尾での開業から半年後の04年春、CICADAの誕生にあわせたかのように米国でセミが大発生しました。そのセミは17年ごとに生まれる「周期ゼミ(Periodical Cicada)」と呼ばれ、北米にしかいないそうですが、実は今年21年5月に17年ぶりの眠りから覚めて、また数十億匹が生まれたそうです。セミの生命力ってすごい…と思いますが、同じ期間を成長しながらずっと第一線で過ごしたシカダもまた、すごい店なのかもしれないと認識したのでした!

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