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「愛」をテーマに写真を撮るなら?についてヒコプラメンバーと語り明かしてみた


皆さま、はじめまして!ヒコプラスタッフのしょうちゃん(@edo_fifth)です!※トップ画像は愛しのマイハニー&サンです。

突然ですが、あなたにとって「愛」ってなんですか?

揺るぎない絆で結ばれたカップルのイメージ?

幸せな笑みを浮かべて寄り添い合う家族のイメージ?

図太い信頼の手綱で結ばれた、肩を組み合う親友達のイメージ?

それとも、神様が深い慈しみを持って後光と共に全ての生きとし生けるものを包み込む様なイメージ?

というか、そもそも「愛」ってただの言葉だし、そんなに深く考える必要も無い?

でも、徹頭徹尾絶対に叱らない人は「愛」で、きちっと全身全霊で叱ってくれる人も「愛」って、一体どういう事だと思います?

そんな、質問は尽きないけれど、恐らく真の解答も無いだろう、人類にとっての永遠のテーマ、「愛」。

時に秘密で密室な大人のカンケイの後ろめたさを埋めるが如く、左手の薬指に痕が残る方の口から都合良く囁かれたなと冷ややかな目でテレビを見ている時、はるか遠くの宇宙の彼方では、ダークサイドに落ちきる最後の一歩手前にいる史上最強かつ最凶と名高い暗黒卿の心を改心させて、ついには世界破滅の危機まで救っちゃう「愛」という不思議なSomethingについて、ヒコプラメンバーと語り明かしてみました。

もちろん、ヒコプラメンバーのお家芸、「写真」を軸とした視点から。

▼ ヒコプラ(ヒーコプラザ)とは?
略してヒコプラは、人数限定でおこなっている「写真の新しい楽しみを発見し・発信する」をテーマにした取り組みです。現在80名程度のメンバーが参加中。今後の応募などについては未定。

▼SUUさんの「愛」

まず最初にご紹介するのは、ヒーコ(株)からの刺客であり、毎回編集ミーティングを盛り上げまくって時間軸を捻じ曲げるという超能力を持つSUUさんです。

そんな彼女が「愛」をテーマに写真を撮るなら、こんな風に撮るそうです。

SUUさん
自己愛をテーマに、自撮り写真と自撮りしてる写真を並べてみたいなと思いました。自分でも他人でも、一人の生活に密着とかでも。スマホに写ってない部屋はめちゃくちゃ汚いんだけど写ってる部分はとても綺麗とか、愛せる自分を作り出してる作業過程を写すの、いいなあと。
Twitter : @iamnildotcom

いいですね〜!秀逸なノンフィクションフォトのコンセプト、いっちょ上がりです!

自撮り写真って、正に今を代表する表現方法の一つですが、みんな自分の見せたい姿があって、その理想に近づいた写真を世にアウトプットしています。もちろん、この文化もある程度成熟してきており、すでに一部の人は、従来なら絶対に外には見せないであろう姿についてもしっかりと考えた上でデザインし、トレンドを逆手に取った形でその姿を世の中に発信しています。

しかし、それはあくまでも写真単体の話であって、その過程を写す、と言う事となると、また違った様相を帯びます。

手の届かないめちゃくちゃ高嶺の花な感じの人や、むしろ外見で売ってない人が外に出す為の写真を作る環境を整えるまでの過程を初め、その人にとっての外に出す基準とは何なのか?などが垣間見えると思うので、このプロジェクトは喉から手が出るほど見たいです!

そんなSUUさんが提供してくれた愛な写真はこちら↓

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▼marron_xさんの「愛」

marron_xさん
何も制限がなければ、家族を10年くらい撮り続け冊子にまとめたいです。スナップ的に家族を撮りつつ、生活の中で五感を刺激するような写真も織り交ぜたいです。例えば食事や服の生地感、窓の結露など視覚だけでなく他の感覚を呼び起こすような写真も混ぜて記憶にアプローチするような構成が理想です。
Instagram : @marron_pht

これを聞いた瞬間、僕も作りたいな、と直観的に感じました。

そもそも、自分のメインの被写体は家族でして、Google Photoには、ある時期からの家族の軌跡がほとんど保存されています。

ただし、時期によってカメラも違うし、エディットの嗜好性も全く違うので、今の自分から見ると最初の方は稚拙な感じになってしまうなあという不安を吐露したら、marron_xさんから、

「その統一感の無さも時間の流れとして扱って纏めたら良さそうですね。その時々の違いもそれを選択した理由があると思うので。」

という神助言を頂き、改めて前向きにこのコンセプトに向かう心持ちが整いました。

家族の写真に費やした少なくない時間は、そのまま愛の軌跡と呼べる素晴らしいコンセプトだと思います。

そんなmaron_xさんが提供してくれた素敵な写真はこちら↓

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▼mo-riさんの「愛」

mo-riさん
恋人が仕事に行ったあと抜け殻になった布団を黙々と記録して365ページのZINEにしてみたいです!
Twitter : @sadistic24
Instagram : @lemonadeblue24

marron_xさんに続いて、mo-riさんも日々の記録を編集して愛の輪郭を見せる、というコンセプト。

僕は、渋谷の町の工事が進む様や、冬から夏になっていく自然の様などを映した定点観測のタイムラプス作品を見るたびに、そのアウトプットと同じ位、撮り手が費やしたであろう膨大な仕事量をものともしないその作品への持続的な愛に圧倒されます。

この作品も正に、定点観測を持続させるモチベーションを保っているという点において、圧倒的な愛の表現に他なりません。

ここだけの話ですが、その彼がまだ寝ているmo-riさんの姿を365ページのZINEにしてアンサーする事を密に願っているのは僕だけじゃないはず…。

▼ゆみさんの「愛」

ゆみさん
犬がすごく好きなので、出会ってからずっと撮り続けたものかなと思いました。一緒にいる人とかのでも!日々の記録がそうなればいいなと思います!

動物の中でも特に犬と猫は人間とは切っても切り離せない存在だと思っています。僕は犬が大好きなんですが、あの犬の無償の愛感は、いつ触れてもこの上無く幸せな気分にさせてくれます。残念ながら家族の一員として迎えた経験は無いので、様々な苦労を棚に上げた上での極論になっちゃいますが、自分にとっては、犬=愛。

そこに更に飼い主さんと犬の素敵な関係性が描ければ、この質問の返答の中でも一番売れる写真集になると思います!(急にビジネス)

そして、ゆみさんが提供してくれた愛の塊の写真はこちら↓

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▼Fumiさんの「愛」

Fumiさん
食と愛を掛けて考えた結果、わたしは完食した食後の食器を撮ると思います!食べた人の料理を作った人への"愛"が表現できたら素敵だなあって思ってます。 撮れたらひこぷらタグで(以下略)
Instagram : @fumisophoto
HP : https://www.fumikatakagiphotography.com/

自分の愛についての写真は、ビビットな造花が供えられたお墓、しおれた生花が供えられたお墓、何も供えられてないお墓の写真を並べるというコンセプトだったのですが、Fumiさんの返答を見た瞬間、「あ、俺かっこつけてた!!!」と素直に思いました。

食って、一日に三回はほぼ必ず訪れる重要なイベントですが、食を大事にしていると必ず、作り手、食材、食器、テーブルなど、様々な食に関わるモノへの哲学が日々を追うごとに深まっていきます。

その中で、最も大事な関係性の一つである作り手と食い手の関係性を、食い手の視点から撮るなんて、人類共通の普遍的なテーマになり得るコンセプトだと思いませんか?

ちなみにですが、僕はラーメンのスープを飲み干した後の器を撮りたいです。ラーメン職人へのリスペクトを表わす為に飲み干したスープと、若干の背徳感をもまるっと食への愛に昇華できる様な写真が撮れたらなあと感じました。

Fumiさんが提供してくれたしょくじ愛♡な写真はこちら↓

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▼あおいのみづきさんの「愛」

あおいのみづきさん
普段のスナップが、愛、というテーマなのかもしれないです…。一瞬一瞬、愛おしいとおもう時にカメラを構えているような気がします。逆に愛をテーマに作品を撮るぞ、となったときは、真っ暗なものになりそうです。記憶になると、愛と思われる欠片は目を瞑るとか感覚的なものになっていく…

今回、僕自身が愛をあえて語る事を選びましたし、愛についてあれこれと思いを巡らすのは実際に素敵な事だと信じていますが、不特定多数に向けて愛を声高に主張する様を見ると、構えます。

実際、とある曲の「愛の歌は歌わない 歌わなくとも届くから」という歌詞は自分自身が大事にしている言葉です。そんな僕に、みづきさんの返信はスッと入ってきました。

それは普段からそこにあるものだから、むしろ自身の撮影したものは全てこのテーマに合致する。しかし、あえて撮ろうとするのであれば、それは形の無いものだから、むしろ写真が光を映すという特性の真逆の世界にあり、結果、暗闇を表現する事となる…

なんだか、深い愛の森に迷い込んでしまいました。

▼Izumi Schmidtさんの「愛」

Izumi Schmidtさん
自分を愛してくれている人の、目の超クローズアップかなあ。目だけでも感情は溢れてくるので、自分を間違いなく愛してくれている人をチョイスするのが肝かと。ライトは相手の右側(自分の左側)からふわっと当たる感じで?
Instagram : @dunedinwildlife_nz

Eames夫妻が残した超大作、”Powers of Ten”で、僕は宇宙が外に広がっていると同時に、内にも広がっている事を知りました。また、別のアーティストの目のマクロ写真で、目の中の紋様は銀河系のそれに酷似している事も知りました。

いずみさんのコンセプトは、自分を愛してくれている人の目の超クローズアップという事で、言い換えれば、自分と愛を共有している人の目の内に広がる宇宙を撮るというもの。そんな写真を見たら、また愛とは何かについての新しい旅が始まって、色々なところに連れて行ってくれる気がしました。

▼nobuさんの「愛」

nobuさん (浅草人力写真家)
どの角度からモノを見るかという観点が大切ですね。自分なら『手』だけを撮ります。大抵の物事や行為、生まれた物は手を使って伝わっていて。ヒトとの温もりを知る体のパーツは『手』だと思うからです。ただの手でも人の生き方、愛し方が伝わるような気がします。

これは本当に深いアンサーだなと思いました。

あらゆる想像は手によって具現化されるし、あらゆる愛の表現もまた、手によって伝えられます。カメラを撮るという行為自体も手を介すものですし、そういった意味で、手って、何をしてる姿でも愛に直結できませんか?しかも手って普遍的だし、具体的だし、これがいわゆるコンセプト勝ちってやつですよ・・・

素直に度肝、抜かれました。

▼Eauroge-Spaさんの「愛」

Eaurouge-Spaさん
どうしても「愛」という言葉から「エロス」に繋げたくなってしまうのですが… 裸で抱き合ってる、緊縛、同性愛、とかを綺麗に切り取りたいかなぁと思いました。
Instagram : @eaurouge_inspagram

言うても、僕にとってのヒコプラはまだ始まって2カ月ですし、メンバーとは、まだズーム越しにしか会った事がありません。

なので、愛というテーマについてお聞きした時点で、かの大哲学家フーコーでさえも数冊本を出した「性愛」に関して触れるなんて、そもそもの選択肢から外していました。しかし、Spaさんはそんな僕の浅い迷いなど吹き飛ばしてくれるが如く、愛の大事な一側面について、まっすぐな返答をくれました。

エロスもまた様々な側面がありますが、この世で愛を最も受けるだろう存在、子供の始発駅だって、エロスと密接に関わっています。ここから少しずつ、愛、ことさら性愛というテーマについての議論が深まっていく事になります。

ちなみに、そんなEaurouge-Spaさんが提供してくれた写真はこちら↓

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▼Erinaさんの「愛」

Erinaさん
鑑賞者が追体験できるようにしたいと思いました!愛を向けられていると感じる写真を撮ってみたいです。愛は先や端に宿ると考えているので、被写体は目線、手や足の指、口元、手紙やメッセージの言葉やプレゼントにします。暖かいものから毒々しいもの、有機物から無機物まで、いろんな愛を!
Note : fluere62

Erinaさんのコンセプトは、みづきさんやいずみさんが言及してくれた内なる世界とはまた別の視点で、愛は先や端に宿る、というものです。

手を始め、口を含む粘膜の末端はもちろんの事、目線の先が表す愛の対象や手紙など、物理的に、もしくは脳内に宿った愛が表出して相手と触れ合う突端にこそ愛が宿るというコンセプトは、なるほどそうだなと感心させられました。ブランディングで言えば広告もその一つですし、服のブランドで言えばデザインや素材もまた然り。

自分や自分の分身が愛を向ける対象と触れる突端は、最も神経が研ぎ澄まされる運命を背負った場所です。

また、最後に添えられた、「暖かいものから毒々しいもの、有機物から無機物まで!」という言葉からは、愛は自由であり、どの様な形であってもその表出を精一杯応援するという寛大な心意気を感じて、改めて愛をテーマにして良かったなあと純粋に思いました。

▼Katsumiさんの「愛」

Katsumiさん
撮る写真は全てフィルムを使用してベッドをメインに撮ります。
・男性一人/女性一人のシーン
・パートナーとのシーン(これは男女のみならず)
・親と子供が寝てる写真
個人的意見ですが誰かと寝る(一人でも)という行為に愛を感じるのでデジタルでは表現出来ないフィルム独特の世界を切り取りたいです。

ごくごくプライベートな場所、ベッド。ベッドに迎える / 迎えられるという関係性は、愛以外の何ものでもありません。もちろんエロスに通じる部分があり、また、僕が愛する息子をベッドに迎える事実もまた、愛の一側面です。

フィッシュマンズのとある曲で、「眠ってる人を思い出すんだ 眠ってる人は皆好きだから」という歌詞があります。この歌詞は、起きている時は色々あるけれど、眠っているその無防備な姿は皆等しく愛しいものであるという事だし、ベッドの上で紡がれるストーリーは愛の輪郭を写し出し得るという事実をサポートしてくれている様に感じます。

▼みすぎさんの「愛」

みすぎさん
ゴミ拾い

総帥…。僕、何も言えません。

強いて言うなら、渋谷でゴミ拾いのボランティアをやった時に、元・宮下公園下の側溝の中に、愛の真逆の何かを見た気がしました。

あ、あとこの前訪日したハワイアンの友人を近所の滝に連れて行ったら、滝つぼ近辺を浮遊していたいくつかのゴミの中から一番大きなゴミを一つ拾って、「ハワイでは、ゴミが落ちていたら一つだけ家に持ち帰って捨てるのが習慣なんだ。それを皆がやれば、必ずいつか綺麗になるから。」と言っていて、そりゃあ深い愛を感じましたよ。

いや、これ以外にも今思い出したんですが・・・って、ゴミ拾いの四文字の中に相当な愛のストーリー、詰まってました。

すみませんでした。

というところで、今日のヒコノートはお開きとさせて頂きます!


また来週!!!!(?)

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