ドラマ版『パリピ孔明』第4話を観たので、三国志について語りたい


今回も『パリピ孔明』第4話の中で三国志ネタを感じた部分を挙げていきたいと思います。
第3話までの元ネタ列挙で出てきた部分はそちらを参照していただければと思います。
年号に関しては該当項目のwikipediaなどで調べていますが、元ネタエピソードなどはわりと記憶とノリで書いていますので、詳細の齟齬はご容赦いただくか、コメントなどでご指摘ください。

第4話に出てきた三国志ネタ

「これは・・・官渡の戦いの再来か」

これはオーナー小林が、MCバトルを前にしたKABEと孔明の睨み合いを表現した言葉です。
官渡の戦いは、第1話にも単語が出てきましたが、三国志前半最大のクライマックスです。
詳しくは第1話の元ネタ列挙のページにて。

「究極の弱小」

KABEがMCバトルで孔明をディスった言葉です。
孔明がいた蜀は、魏・呉・蜀の中で一番国力が弱い国でした。これは、国土の面積、人口、人材の豊かさ、物資量など、あらゆる面においてです。蜀の丞相だった孔明もこの点には大変苦労していました。
KABEがどこまで意識して弱小と言ったかはわかりませんが、このライムの少し前に「蜀漢(=蜀と同義)」と言ってることから、弱小国蜀の孔明としてディスってると考えて良さそうです。

「必罰と信賞」

四字熟語でいうと信賞必罰のことでしょう。信賞必罰は『韓非子』に出てくる言葉で、功績は必ず賞し、罪は必ず罰するという意味です。
蜀の丞相となった孔明は、この信賞必罰を徹底することで国力を蓄えたといいます。
よく例に挙げられるのは、「泣いて馬謖を斬る」です。第1話で出てきた逸話です。
命令違反をして失敗した愛弟子を斬っただけでなく、孔明自身の地位も何段階か降格させています。
公明正大さは部下からも高く評価されており、罪を犯して流罪となった武将が孔明の死を聞き「これで復帰の可能性はなくなった」と嘆くほどだったといいます。

「戦いは続く。さながら馬超と張飛の一騎打ち。延長戦に突入。」

馬超は第3話にて、オーナー小林と孔明の会話の中に出てきた武将です。
張飛は劉備の義弟です。どちらもめっちゃ強い武将です。
第3話でオーナー小林と孔明が話していたように、三国志演義において、馬超は蜀攻めをする劉備の背後を攻めたのですが、それを防衛したのが張飛でした。
なんやかんやあって、張飛と馬超が一騎打ちをすることになりましたが、両者互角の熱戦は乗っている馬が先にへばってしまい、勝敗がつかず。馬を変えての延長戦はかがり火を焚いて行われましたが、結局引き分け。その後は第3話で言及があった通り、孔明の策で馬超の立場を孤立させ、劉備の配下に招き入れることになりました。
三国志演義の見せ場の一つが猛将たちの一騎打ちで、一太刀で首を挙げるものから勝敗が付かない大熱戦まで色々ありますが、オーナー小林がこの一戦をチョイスしたのは、ナイターの延長戦までもつれ込んだ点を念頭に置いていたのかもしれません。

「天はなぜ孔明を生みながらKABEをも生んだのか。グハッ」

三国志演義において、孫権軍の軍師である周瑜が言ったセリフ「天はなぜ孔明を生みながら周瑜を生んだのか」が元ネタです。
赤壁の戦いで曹操軍を打ち破った孫権・劉備連合軍ですが、劉備軍は戦後のどさくさに紛れて領土を確保しましたが、孫権軍は目立った実入りはありませんでした。
この結果、劉備軍に対する孫権軍の感情が悪化。劉備軍が得た領土を孫権軍が奪おうと、軍事や計略で手を出してきます。
計略の1つと孔明の対応はこの後出てくるのでそちらで触れます。
結局孔明に全ての策を破られてしまった周瑜は、上記のセリフを言いながら病死してしまいます。だから、オーナー小林も「グハッ」と言いながら倒れるフリをしたわけです。
なお、正史では周瑜の死亡の原因は赤壁の戦いのあと曹操軍を追撃した際に受けた矢傷がもとになったようで、孔明に翻弄された描写は基本的に作り話です。

「ここで一騎当千の将を得るということは、KABEはやっぱり趙雲か」

趙雲は劉備に仕える将軍で、まさに一騎当千の働きを見せます。
三国志演義においては、劉備のボディーガード的な役割の見せ場が多く、長坂の戦い(2話の元ネタ列挙記事参照)で劉備の妻子を戦場から救出したり、孫権軍の中で暗殺を狙われた劉備を孔明の策によって救出したり(後述)、劉備の子供が孫権軍にさらわれそうになるのを救出したりと、彼が居なければその後の蜀の皇帝は2代ともいなかったんじゃないか?というくらいの活躍です。


「伏龍鳳雛並び立つってことで、ここでお前は龐統だ」

龐統は劉備に仕えた軍師です。
三国志演義においては、孔明を「伏龍(今は眠っている龍)」、龐統を「鳳雛(鳳凰の雛)」と評されていました。孔明、龐統の師匠である司馬徽(水鏡先生とも呼ばれる)は劉備に対して「伏龍、鳳雛のどちらかを手に入れれば天下が取れる」と助言するほどの才能です。

「もし不安になったりお困りの時はバッグの中にある巾着を開けて下さい」

三国志演義において孔明が実施した計略「錦嚢の計」が元ネタです。
上述の、赤壁の戦い後の劉備軍と孫権軍の軋轢の中で、孫権軍の軍師周瑜は、劉備の妻が立て続けに亡くなっていることに目を付け、孫権の妹を劉備の妻にすることで再び両軍の同盟を強固なものにするとして劉備を孫権軍の元に呼び寄せます。しかしこれは見せかけで、誘き出した劉備を暗殺しようとする計略でした。
何も知らない劉備は護衛として趙雲を引き連れ孫権軍の元に訪れますが、出発前に孔明は趙雲に3つの袋を渡し、「困ったときに順番に開けなさい」と伝えます。
趙雲は困ったときに3つの袋を順番に開けると、その状況にピッタリの行動が指示されていて、その結果劉備と趙雲は、暗殺を切り抜け、孫権の妹を実際に妻とし、無事に孔明らの待つ本拠地に帰還することができたのでした。

余談ですが、コミック版とアニメ版の英子は、袋を渡された直後に3つとも一気に開ける豪傑でしたが、ドラマ版では行儀よく困ったときに1個ずつ開けるスタイルのようです。

「断琴の交わり」

孔明の生きた三国時代より500年以上前の春秋時代の、自分が弾く琴の音色を一番理解してくれる友人が亡くなった際、琴を壊してそれ以降一切弾かなくなったという故事に由来する、非常に固い友情を表す言葉です。
三国志で言うと、孫権の兄で先代当主の孫策と周瑜の深い友情が同じ読みの「断金の交わり(金属を断つほどの固い友情)」と評される方が思いつきますが、あえて断琴の交わりの方を使っているのは『パリピ孔明』が音楽を題材にしているからかもしれません。

おわりに

今回も色んな三国志ネタがありました。
すでに触れた元ネタはなるべくスルーするので、分量的には減ったように見えますね。
第5話も楽しみたいと思います。

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