ドラマ版『パリピ孔明』第1話を観たので、三国志について語りたい


はじめに

2023年9月27日、実写ドラマ版『パリピ孔明』の第1話が放送されました。
アニメ版の出来が良かっただけに、正直あまり期待せずに観たのですが、漫画原作の実写化としては上々の出来だったように思いました。
また、漫画版やアニメ版に引き続き三国志ネタが随所に散りばめられていたので、そのあたりを語りたくなったため本稿を書いています。
以下、お付き合いいただければ幸いです。

「孔明」ってだれ?

孔明は、中国の三国時代の蜀という国の軍師です。
三国時代とは、西暦180年くらいから西暦280年くらいの約100年間を指します。
約400年続いた漢王朝末期から魏・呉・蜀の三国が覇権を争い、最終的に晋が中華統一を果たした時代です。
その頃の日本は卑弥呼とか邪馬台国とかの時代です。
魏・呉・蜀の3つの国のうち、最も弱小だった蜀を率いた劉備の部下で、軍事、経済、政治などを一手に担ったのが孔明です。
簡単に言うと、孔明は昔の中国でめっちゃ頭が良かった人です。

上記の約100年間の出来事を書き連ねた書物が正史「三国志」です。
晋の時代に書かれたもので、色んな事情で誇張や歪曲はありますが、ほかの書物などと照らし合わせた上で事実が書かれている傾向が強い、とされています。
公的に記録を付ける意味合いが強い書物のため、エンタメ性は薄く、ド派手な一騎打ちとかドラマチックな人間ドラマみたいなものはあまりありません。
三国時代を統一した晋の正統性を訴える意味合いもあるため、漢から帝位を受け継ぎ、のちに晋に帝位を譲り渡した魏が正統という扱いで書かれています。

その後、民衆の間では民間伝承や劇のような形で三国志ネタはこすり続けられました。
それらをまとめてエンタメ文学にしたものが「三国志演義」です。16世紀のことなので、今から500年前、正史「三国志」成立から1200年くらい後のことです。
後に蜀を興す劉備が主人公サイド、魏の基盤を気付いた曹操が悪役サイドと明確に色付けされ、ド派手な一騎打ちあり人間ドラマあり、真偽不明というかほぼ想像の産物のエピソードまで盛り込んだエンタメ作品です。
現在日本で展開される三国志もののエンタメはだいたいこの「三国志演義」がベースとなっていますし、『パリピ孔明』の三国志ネタも演義由来のものが多いです。

前置きが長くなりましたが、『パリピ孔明』第1話の中で三国志ネタを感じた部分を挙げていきたいと思います。

第1話に出てきた三国志ネタ

孔明死去

234年、蜀は魏に攻め込みますが、陣を張った五丈原というところで孔明は志半ばで病死します。
三国時代はこの後約45年続きますが、「三国志演義」やそれをベースとする三国志のお話はだいたいここが最後のクライマックスです。序盤中盤に出てきた主要キャラがここ辺りで全員死亡するからです。
演義では、孔明が自らの寿命を延ばすため儀式をしますが、あと一歩で成功というところで部下のミスにより失敗してしまい、寿命通り死にました。
「丞相」と呼ばれていますが、これは孔明の役職です。今でいう総理大臣みたいなものです。皇帝の次に偉いポジションで、軍事、経済、政治などあらゆることを担当する役割です。

「おのれ、司馬懿め」

酔いつぶれた孔明が寝言で言ったセリフです。
司馬懿とは、孔明率いる蜀軍が魏に攻め込む「北伐」の前に幾度となく立ちはだかった、魏の軍師です。孔明のライバルとは?の問いに司馬懿と答える三国志好きは多いと思います。
孔明自身も司馬懿は強敵と考えており、「演義」では、魏の内部抗争で司馬懿が左遷されたときにはチャンスとみて攻め込むものの、最終的に司馬懿が復権して対蜀の防衛に乗り出すとその壁を破れず撤退ということもありました。

孔明の庵を訪れる劉備、関羽、張飛

酔いつぶれた孔明が見ていた夢です。
一番上等の服を着ているディーン藤岡が劉備、ストレートの髭が関羽、馬を引いているもじゃもじゃ髭が張飛です。
劉備が主君、関羽、張飛は部下ですが、演義では、3人は義兄弟の契りを結んでいます。
長兄劉備、次兄関羽、末弟が張飛で、主従関係や力関係は変わりません。
関羽も張飛も武力自慢でめっちゃ強く、戦で頼りになりますが、知略の面では今一つです。
孔明を軍師として迎えるために、劉備自ら孔明の庵を訪れています。
本来は劉備は孔明を呼び出し採用活動をするのが通例ですが、前任の軍師が孔明を推挙した際、「あいつは私より優秀だが、たぶん呼び出しても来ない」と言ったため、わざわざ遠路訪問しています。
劉備はこの頃武力頼みの戦に限界を感じていて、軍師の必要性を強く感じていたため、優秀な孔明のもとを訪れるという破格の待遇をしています。一方、関羽張飛は呼びつければいいのに遠路訪問することにめちゃくちゃ不満を持っています。
なので、庵の小僧に対して劉備は深々と礼をしますが、関羽と張飛は形ばかりの礼をしていますし、
孔明不在を知った際も、劉備は再び深々と礼をしますが、関羽は形ばかりの礼をし、張飛は礼すらせずに馬を元来た方向に向きなおして帰る準備をしています。
この描写は、無名で無官の孔明に対しての劉備と関羽・張飛の温度差や、一応礼は守る関羽と粗暴さが目立つ張飛の違いを端的に表現しています。
このシーンを見て、「『パリピ孔明』いけるかも」と思いましたし、三国志ネタで記事書くかと思い立ちました。

ちなみにこの3人はこの後、雪の中再びこの庵を訪れますぐが、またも孔明は不在。
3度目に訪れた際ようやく会うことができ、孔明は劉備の下に仕官することを決断します。

「わたくし、姓は諸葛、名は亮、字(あざな)を孔明と申します」

孔明が英子に自己紹介するところです。
姓は苗字のことです。
字はあざなと言って、人を呼ぶときに名の代わりに使われていました。
名は親が子を呼ぶときや主君が臣下を呼ぶとき以外に使うのは失礼なこととされていました。

「私は月見英子」

自己紹介をした孔明に対して英子が答えます。
あざなをあだ名と勘違いしていますが、英子は基本的に三国志知識がないので、だいたい勘違いします。だいたい、そうはならんやろという聞き間違いをします。
なお、あざな→あだ名の勘違いはドラマ版オリジナルです。

さて、月見英子という名前ですが、演義において孔明の妻が黄月英という名前なので、そこから取ったものと思われます。原作の漫画版において、登場人物の名前を三国志の人物から取っていることは意外と少なく、月英→月見英子は珍しいケースです。

「黄巾の乱、官渡の戦い、赤壁の戦い」

いずれも三国志において重要な出来事。
黄巾の乱は、三国志序盤の出来事。
張角という宗教指導者を中心とした民衆蜂起。目印に黄色い頭巾を付けていた。
漢の衰退を決定的なものとし、鎮圧に尽力した曹操や劉備をはじめとする群雄の台頭を招いた。
孔明は生まれたかどうかの頃で全く関係しない。

官渡の戦いは、三国志前半最大のクライマックス。
曹操が北東部の超有力者袁紹と戦い、打ち破った戦。この戦いを機に袁紹は没落、滅亡への道をたどり、その地盤を曹操が引き継ぎ、中央部から北東部までの支配を強固なものとした。
孔明はまだ劉備に仕える前の話。劉備が袁紹側についていたり、関羽がなんやかんやあって一時的に曹操の元にいたりと複雑な事情を抱えていた頃。

赤壁の戦いは三国志中盤のクライマックス。全編通じて最大のクライマックス。
官渡の戦い以降北部を平定した曹操が天下統一のために次に目を向けた南部。
まずは中央南部に居候していた劉備を攻め、次いで南東部の孫権を攻める。
劉備と孫権は連合を組み、曹操と対峙。黄河を舞台に大水上戦が勃発。
孔明は演義においては、劉備孫権の同盟を結んだり、計略を発動したり、大忙し。
この時の計略をモチーフとしたエピソードは、後の回で登場すると思うのでその際に。
結局、赤壁の戦いは劉備・孫権の連合軍が勝利。曹操による天下統一が大幅に遅れ、劉備が蜀を、孫権が呉を興す道を進むことになった。

263年「蜀漢の滅亡」「その後司馬一族が天下を取る」

孔明死去の約30年後、蜀は魏に攻め込まれ滅亡。
蜀漢の表記は、「劉備は漢の皇帝の血筋であり、蜀こそが漢の正統な後継者」という主張によるもの。
魏はその後、上述の司馬懿や子らにクーデターを起こされ、最終的に滅亡。晋が呉を滅ぼし、三国統一を成し遂げた。


「母の茶を買いたいと願う実直な青年」

吉川英治の小説「三国志」やそれをベースとした横山光輝の漫画「三国志」の物語序盤の劉備を念頭に置いたセリフ。
劉備が母に茶を買うために先祖伝来の宝刀を売るシーンがあります。ちなみに、それを知った母はガチギレします。ちなみにこれは吉川英治が作ったエピソードです。
その後関羽、張飛と出会い、義兄弟の契りを結び、黄巾の乱平定に身を投じていきます。

「泣いて馬謖を斬る」

上述の北伐のうち、孔明が指揮したものは5回ありましたが、そのうちの1回目でのエピソードです。
概要はドラマで述べられた通りです。

カクテルの本を読む孔明

BBラウンジで働くことになった孔明がカクテルの本をパラパラとめくって読んでいます。
その後、非常にスムーズにカクテルを作り続けるシーンがあり、全て頭に入っている様子。
三国志において、「書物を1回読むだけでそらんじることができる」というのが、天才や神童を表す常套手段であり、それを意識した演出なのかもしれません。
孔明が速読術を習得していたかどうかはわかりません。

「張飛が酒を飲む際は、周りの手拍子も速かった」

張飛は武力自慢の猛将ですが、三国志+酒=張飛というくらい酒飲みエピソードが多い武将です。
主に飲みすぎによる失敗で、飲みすぎて夜襲を受けたり、酒宴で部下にパワハラをかました結果一晩で城を失ったり、散々です。
この当時の酒はオーナー小林が言うように、意外と度数は高くなかったという話をよく聞きますが、度数の高い酒の製法もあると孔明は言いたそうでした。話が途中で切られてしまったので、先が気になるところです。
たぶん、今後もオーナーと孔明の三国志トークはぶった切りでCMに行くパターンが続く気がします。

「大手レーベルとは?」「魏軍」

孔明とオーナー小林の会話です。
曹操が基盤を気付いた魏は、孫権の興した呉、劉備の興した蜀に比べて広大な領土、強大な軍事力を誇っていました。呉と蜀が強固な同盟を結んだとしても、単純比較では魏の圧勝と言えるくらいの規模の差です。

三顧の礼

劉備が3度も孔明の庵を訪れて部下に迎え入れた事を由来とする故事成語。
上述した通り、1回でも異例のことです。

石兵八陣

西暦222年、関羽が呉軍に討たれたことを強く恨んだ劉備は、呉への侵攻を決めました。
当初は優位に戦を進めましたが、そこは孔明登用まで連戦連敗と戦下手の劉備。間延びした陣形で深入りしすぎた結果、手痛い反撃の火計をくらい惨敗。何とか逃げ切るものの、翌年病没してしまいました。
演義においてこの時の敗走を救ったのが、孔明の石兵八陣でした。
基本的に想像の産物な上、大岩が落ちて来たり突風が吹いたり、方向が全く分からなくなったりとやりたい放題で、場合によっては妖術を使ったとも言われるこの石兵八陣。これをどう表現するかが各三国志系作品の腕の見せ所です。

オーナー小林の「石兵八陣をどう思う?」の問いに孔明が「石兵八陣とは?」と答えますが、これは正史では石兵八陣は全く触れられず、演義のみの記載であるという点を反映したものと思われます。その後孔明は「あれはそのように伝えられているのですね」と続けるあたり、何かしらの策は講じたが、石兵八陣という計略でもなく、ましてや妖術を使ったわけでもない、ということでしょう。

なかなかの大舞台だ。さながら黄巾の乱の討伐軍か、あるいは汜水関の戦いの反董卓連合軍ってとこか

黄巾の乱は上述の通りです。鎮圧に乗り出した漢の正規軍の配下として活躍した曹操や、孫堅(孫権の父)らはこれを機に出世しました。また、広範囲で蜂起が起こったため、漢の正規軍だけでは手が足りず、劉備・関羽・張飛らの義勇軍も正規軍の下に編入して戦いました。
黄巾の乱は三国志の物語のスタートであることが多く、討伐軍の描写は序盤の重要人物紹介としての役割も大きいと思います。

汜水関の戦いの反董卓連合軍は、黄巾の乱から連なる漢王朝末期の動乱シリーズのクライマックスといえるエピソードです。三国志全体では序盤の序盤です。
黄巾の乱以降、漢の皇室は混乱を極めました。すでに皇帝自身に統率力はなく、皇后の親戚のような有力者が次々と現れ、入れ替わり立ち代わり権勢をふるう状況でした。
そんな中、都の外に連れ出され路頭に迷っていた皇帝を助けた董卓が実権を握り、専横が始まりました。これを快く思わなかった諸侯が連合を組み、董卓のいる都を守る汜水関を攻めました。
演義ではこの時の諸侯の中に、これまでに触れてきた曹操、孫堅、袁紹など豪華メンバーが名前を連ねています。劉備も参加しましたが、公孫瓚という諸侯の部下としての参加でした。

「泣く子も黙る張遼だな」

ミア西表のパフォーマンスを見たオーナー小林の一言です。
張遼は曹操軍の武将です。孫権軍との戦いで大きな戦果を挙げたことで、呉の人々から恐れられました。どれくらい恐れられたかというと、泣いている子供に「遼来遼来(張遼が来るぞ)」というと子供が泣き止むと言われるくらいです。

漢帝国建国の立役者、百万人を率いた大将韓信

孔明の年代の400年ほど前の武将で、漢の劉邦の配下として多くの戦いに勝利しました。
背水の陣はこの韓信の戦いが元になった言葉です。
ちなみに演義では、孔明も背水の陣を使ったことがあります。

前園ケイジ『SO SO』

これ、曹操ってことっすかね?草

おわりに

最初の方にも書きましたが、多少心配しながら観た第1話でしたが、クオリティ的にも三国志ネタ的にも密度の濃い、満足のいく内容でした。
第1話はアニメの第1話~第2話に相当する内容でした。放送時間は数アニメ版の2倍くらいありそうなので、原作13巻106話分を一気にやるんでしょうか(アニメ版は概ね原作通りで4巻28話分)。たぶん若月3兄妹編、京都編、新レーベル編あたりをばっさりカットするんかな。

第2話以降も三国志ネタを見つけて記事にできればと思います。可能ならもう少し早めに書きたいです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?