ドラマ版『パリピ孔明』第2話を観たので、三国志について語りたい

今回も『パリピ孔明』第2話の中で三国志ネタを感じた部分を挙げていきたいと思います。
第1話の元ネタ列挙で出てきた部分はそちらを参照していただければと思います。
年号に関しては該当項目のwikipediaなどで調べていますが、元ネタエピソードなどはわりと記憶とノリで書いていますので、詳細の齟齬はご容赦いただくか、コメントなどでご指摘ください。


第2話に出てきた三国志ネタ

「大泉喬花と申します」

孔明が部屋探しに訪れた不動産の担当の方のセリフです。
この名前は、呉を興した孫権の兄・孫策の妻の名前「大喬」が元ネタです。
孫策は父・孫堅が急死した後を継ぎ、江東(長江の下流付近)一帯を平定した人物で、美人姉妹と評判だった大喬・小喬のうち大喬を妻としました。
ちなみに、小喬を妻としたのは孫策や孫権の下で軍師として活躍した周瑜です。
周瑜は第1話にも出てきた赤壁の戦い前後で孔明のライバルとして描かれるので、今後の元ネタ解説でも何度も名前が出てくるかもしれません。
なお、孔明の部屋探しのくだりは『パリピ孔明』の原作では本編ではなくおまけ漫画としてコミックに収録されていて、ドラマ版で初めて本編に組み込まれたようです。
さらに不動産屋の屋号「三爪」の元ネタは大泉喬花役の方絡みのものですが、三国志ネタではないので割愛します。

丁原アパート

本編で孔明が説明している通り、丁原は三国志の序盤の登場人物の名前です。
演義では、三国志最強の武将・呂布が最初に仕えていたのが丁原で、第1話の「汜水関の戦い」でも触れた董卓が「1日に千里を走る馬」と言われる赤兎馬を褒美に裏切らせました。
三国志で裏切りといえば呂布。呂布といえば裏切りですが、最初の裏切りがこれです。

「かつて主君であった中山靖王の末裔、劉玄徳公」

第1話でも触れたとおり、劉玄徳は孔明の主君です。
「中山靖王の末裔」とは、簡単に言うと漢の皇帝の血筋です、ということです。

漢王朝は約400年続きましたが、正確に言うと前漢と後漢に分かれています。
前漢は紀元前200年頃から西暦0年過ぎまで。その後15~20年くらい別の王朝が挟まり、西暦20年くらいに興った後漢が西暦220年くらいまで続きました。
中山靖王は、前漢の何代目かの皇帝の息子(次の皇帝には別の息子が就いた)で就いたものです。
劉備の時代の300年以上前の話で、劉備がその子孫だったとしても何代も後のことで、300年の間に身分も平民(むしろ売り・わらじ売り)にまで落ちていました。しかもその中山靖王には子や孫が100人以上いたらしく、本当に皇族の血縁なのかはだいぶ怪しそうなのですが、演義の登場人物はわりとすんなり信じていることが多い印象です。

「大望を胸に秘しながら、片田舎でご母堂とむしろやわらじを編んでおりました」

上述のセリフの続きです。劉玄徳の若いころについての話です。
「むしろやわらじを編んでおりました」という点は、上述の通りです。
「大望を胸に秘しながら」については、少年時代、庭に生えていた立派な桑の木を見て「いつか偉くなってこんな立派な馬車に乗るんだ」と言って親族にたしなめられたエピソードを指しているのかもしれません。

「お前の主君劉玄徳も自分のホームを見つけるには長い道のりだった」

部屋を見つけられなかった孔明に対してオーナー小林がかけた言葉です。
劉備は20代で黄巾の乱討伐の兵を挙げますが、諸侯の下を転戦する生活が続きました。
一時的に城を持つこともありましたが、敵に攻められ城を失ったりで、最終的に中国南西部の益州を拠点にしたのは50過ぎ。そこに蜀を建国し皇帝となったのは60歳の時でした。

「お前は孫堅か」「玉璽など隠し持ってはおりませんよ」「どこの井戸から拾ってきたんですか」

秘策は胸に秘してこそと説く孔明と、それに突っ込むオーナー小林の会話です。
孫堅は上述の通り、孫策・孫権の父です。第1話の記事で触れた対董卓戦で活躍した人です。
諸侯から攻め込まれた董卓は、当時の都洛陽に火を放ち、西側の長安に遷都します。
廃墟となった洛陽に着いた孫堅は、井戸の中から皇帝の必携品である玉璽を見つけました。
孫堅はこれを誰にも言うことなく本拠地の江東に兵を引き上げたため、このような会話になったと思われます。
ちなみに、孫堅は玉璽をどうこうする前に死去。後を継いだ孫策が、袁術相手に玉璽を担保に兵を借り受け、江東平定の基盤を固めることになりました。

「禿竜洞に向かった蜀軍がやられた毒水の再現か」

BBラウンジの倉庫で孔明が作っていた毒々しい謎の薬に対するオーナー小林のセリフです。
三国志演義において、蜀の地に拠点を置いた劉備軍は基盤を固めるために益州の南方の平定を目指しますが、南蛮王孟獲の激しい抵抗にあいます。
孔明は策を用い、孟獲を7回捕まえ7回釈放し、ついに孟獲は抵抗をやめ蜀軍や孔明に心服したのでした。
その何回目かの抵抗の時に孟獲が協力を仰いだ朶思大王(だしだいおう)の作成が禿竜洞にしかけた毒水の罠作戦でした。蜀軍はだいぶ苦戦しましたが、孟獲の弟・孟優の協力もあり、孟獲と朶思大王を捕まえることができました。
ていうか、朶思大王って一発変換できるんだ、すげーな。
ちなみに、南蛮遠征をする孔明に対し、孟獲をただ武力で倒すのではなく心服させることが大事と進言したのが、第1話に名前が出てきた馬謖でした。優秀ではあったんです。

横山光輝「三国志」の孔明

オーナー小林が上述の毒について熱く語っている時に手に持っているものは、横山光輝「三国志」で、表紙に描かれているのは孔明です。

三顧の礼(2回目)

薬を煎じる孔明がみた夢のシーンです。
前回は劉備・関羽・張飛が初めて孔明の庵を訪れたシーンでしたが、今回は2回目です。
前回の記事でも少し触れたように、2回目は雪の中の訪問でしたが、またも孔明は不在でした。
今回出てきた諸葛均は孔明の弟です。劉備が諸葛均を孔明と間違えて挨拶するのも、三顧の礼あるあるの一つです。
諸葛均は、正史では劉備軍に仕官しそれなりに出世したりしていますが、演義ではこれ以降あまり登場しません。

「瞞天過海、囲魏救趙、借刀殺人、以逸待労、趁火打劫、声東撃西」

「兵法三十六計」に記された、第一計から第六計までの6つです。
それぞれ、戦いや物事を成すための定石が記されています。

「無中生有」

「兵法三十六計」に記された第七計です。
内容は本編で触れている通り、偽装工作で相手を油断させて隙を突くというものです。

「兵法三十六計」

オーナー小林が言うように、戦を有利に進める方法が36に分類されている書物です。
成立時期は西暦400年代のようで、孔明の時代の150年後くらいです。
春秋・戦国時代や三国時代の故事に由来する項目が多く、またのちの時代に成立する三国志演義に登場する(正史「三国志」に記されていない)エピソードと対応する項目も多い印象です。
ことわざ「三十六計逃げるにしかず」の三十六計はこれのことです。

観相学

孔明の言うように「人の表情や人相からその人物の人となりを見抜く」もの。
三国志ではよく出てくる能力。
演義において、劉備軍が赤壁の戦いの後のどさくさに紛れて荊州南部に攻め込んだ際、魏延という武将が太守の首を挙げて劉備軍に降伏したときに、孔明は魏延の人相に反骨の相を見て取り「信用ならない」と劉備に進言しました。結局劉備は魏延を登用し、魏延も劉備に忠誠を尽くしましたが、孔明の死後に魏延は裏切る素振りを見せ、(孔明の予見による対策もあり)斬られています。

「かつて曹操軍に追われ、我々は民を連れ敗走せざるを得なくなりました」

長坂の戦いのことを指しています。三国志最大の山場である赤壁の戦いまで続く、曹操対劉備の一連の流れの大きな見せ場の一つで、演義においては曹操軍の苛烈さ、民を引き付ける劉備の人徳、張飛や趙雲の一騎当千ぶりなどが描かれる重要な戦いです。
第1話で触れた官渡の戦い後、袁紹一族を滅ぼし北東部を平定した曹操は、次の軍事行動の矛先を荊州と江南に向けました。
その頃劉備は、荊州北部の新野に居を構えていましたが、荊州の主劉表の食客(居候みたいなもの)の立場で、曹操軍が南下する際最初の標的になる立場でした。
この頃劉備軍の軍師になった徐庶や後任の孔明は、曹操軍の先鋒隊を退けることはできましたが、本隊南下には為す術もなく、新野を捨てて南に逃げることになりました。
その時に曹操軍を恐れた新野の民が劉備軍についてくることになったのです。
劉備軍は民を引き連れた状態で曹操軍の騎馬隊を防ぐことはできず、壊滅的な敗戦を喫したのはドラマ内で孔明が語った通りです。

「天の万物は有より生じ、有は無より生ず」

「老子」の一節。
「兵法三十六計」の「無中生有」とはあまり関連がないし、三国志ともあまり関係はないけど一応。

おわりに

第2話も三国志ネタが多くて楽しかったですね。原作コミックやアニメにはないネタがぶっこまれたりして、非常に良かったです。
第3話以降も三国志ネタを見つけて記事にしたいと思います。


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