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階級を魚のように飛び越える男が乗り越えられなかったもの(メキシコ)

 エルネストは当時離婚したばかりで、落ち込んでいた。彼によると、元妻は才能あるダンサーだった。結婚してからもダンサーとして活躍していたが、ある日師事していたダンスの先生がニューヨークで公演をすることになり、優れたダンサーだった彼女は「一緒に来てくれないか」と誘われた。ダンサーなら誰しもが夢に見る願ってもないチャンスが訪れたのだ!しかし、そのことについて相談を受けたエルネストは、「これから子どももほしいし、家庭を優先してほしい」と彼女に告げる。元妻はその一言でニューヨーク行きを諦めた。

 それから15年後、下の子どもが中学を卒業した後、エルネストは妻に突然「離婚したい」と告げられる。「この家は私を閉じ込める監獄のようだった」とも。「俺はずっと家族のために働いて、この家を手に入れた。それなのにそんな言い方ないだろう?」とエルネストはひどく傷ついていた。もちろん長年家族のために頑張ってきたエルネストには同情するけれど、私は元妻の気持ちが痛いほどわかってしまった。一生に一度あるかないかのニューヨークで舞台に立つというチャンスを棒に振ってしまったのだ。その時は納得していたつもりでも、きっと事あるごとに思って来たのではないだろうか、「あの時ニューヨークに行っていたら、また違った人生になっていたのではないか」と。

 私が感じたのは、特に女性はパートナーや家族のために自分の夢ややりたいことを犠牲にしがちで、でも「挑戦してみたかった(けど諦めざるを得なかった)」という思いは絶対残ってしまうということ。夢中になって子育てしている間は忘れていても、子育てがひと段落した時に、ふと思いだしてしまうのではないだろうか。人生に後悔はつきものだが、やり残しはなるべくないに越したことはない。エルネストの家はモダンで洒落た作りで、マリアも「あんな素敵な家に住んでみたい」と羨ましがっていた。そんな人が羨むような家に暮らしていても、元妻は監獄にいるみたいに感じていたのだ。エルネストにとっては晴天の霹靂でも、元妻にとっては離婚話は衝動的に突然沸き上がったものではなかったのだろう。長年連れ添って生活を共にしていても、男と女の間には深くて暗い河があるのだ。

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