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熊本市発祥のちょぼ焼に関する考察

※この記事は2020年2月の調査時点の内容です。

熊本市にはちょぼ焼と呼ばれるローカルお好み焼がある。
お好み焼という食文化がそれほど強くない九州地方において特異だし、何より作り方が圧倒的にユニーク。
これは食べてみたい!と思って調査に訪れた。

事前調査から、ちょぼ焼発祥の店は「福田流ちょぼ焼」で開業は1951年(昭和26年)だとわかった。
残念ながら2006年(平成18年)12月16日に閉店している。

「福田流ちょぼ焼」の品書き

品書きを見ると

1:たまご?円
2:にく300円
3:やさい100円
4:いか300円
5:めん80円(※中華麺)
6:はるみ肉ロース300円(※牛ハラミ)
いかちょぼ?500円
はるみ大500円
やきそば500円

「福田流ちょぼ焼」の品書き画像から書き起こし

と書いてある。

ちょぼ焼の基本(素焼きと呼ばれる)は、薄く大きく広げた生地に、刻んだタクワン、天カス、魚粉を入れて折りたたんだもの。
そこへ客の好みで玉子、野菜(キャベツ)、肉(豚肉)などを加える仕組みで、福田流では番号で指定していた。
例えば、玉子、野菜、肉入りならば1、2、3だ。
生地の大きさは1ちょぼから10ちょぼまであり、6ちょぼで鉄板と同じくらいの大きさになるので、それ以降は生地が厚くなったとのこと。

この辺りは広島県のお好み焼と同じで、例えば肉玉そばは「基本のお好み焼に、豚肉と玉子と中華麺を入れてください」という意味だ。
広島と同じで、ちょぼ焼でも、素焼きで食べる人はいないようだ。

生地を薄く焼くので広島県内と同じ重ね焼きなのかと思われるかもしれないが、この写真をみてほしい。

「末広」の店内に掲示されていた「福田流ちょぼ焼」の調理風景

生地の大きさが規格外なのだ。
これを折り畳んで3−4センチの幅に切り、皿に持って提供する。
熊本市においても広島市と同様に戦前から一銭洋食、一銭焼(熊本市ではこの呼び名が主流)と呼ばれる料理があり、具はタクワンを刻んだものと天カスのみ(モヤシを入れる店もあったとの証言あり)だったようだ。
それを福田流の店主が改良し、ちょぼ焼と改名して人気を得た。

この辺りの経緯も広島市と全く同じで、戦前からあった一銭洋食を、戦後に改良してお好み焼と呼んでいる。
日本各地で同じ時期に、同じように新しい食文化が生まれたのだ。
その背景には食糧難と入手できる材料の制限があった。
この構図は全国のご当地ラーメンにおいても同じである。

一銭洋食の具がタクワンを刻んだものというのは実に九州らしい。
戦前の一銭洋食(にくてん)は、手短にあるものを具にしていたので、例えば香川県では煮干しが使われた
同じようにタクワンの生産が盛んな九州では、手短にあるタクワンを使ったのだろう。
なお、静岡県浜松市でもお好み焼(混ぜ焼き)にタクワンを加える食文化が残っている。

事前調査でわからなかったのは、ちょぼ焼という名前の由来だ。
大阪市に同名の料理があり、たこ焼きのルーツと自称されているが、呼称と小麦粉料理という以外に共通点がない。
KBC九州朝日放送の動画では、熊本弁で小さいことを「ちょぼ」といい、戦後に誕生した時は小さかったからちょぼ焼と言うとある。
しかし、僕が熊本市で様々な人達にヒアリングした時、この説は一度も聞かなかった。
また別のテレビ放送の動画のタイトルは「サヨナラちょぼ焼き」となっていて福田流がちょぼ焼の元祖的扱いになっている。

ふと気づいたのは、これって韓国語ではないか?ということ。
韓国語で折ることをチョッタと言う。
それをパンマルで言えばチョボだ。
もしかして福田流の店主は在日コリアンではないか?と仮説を立て、現地でヒアリングを行うと複数の人たちから間違いないとの証言を得た。
ご本人に確認できていないので僕の想像だが、大きく焼いた生地を折り畳むことからチョボ、ちょぼ焼と名付けたと考えている。

熊本市二本木3丁目5-14「福田流ちょぼ焼」跡地

ここで実際にちょぼ焼とはどのような料理なのか、調理プロセスをご覧いただこう。
協力してくださったのは松本家だ。
ここで働かれている女性が昔「福田流ちょぼ焼」のすぐ近くに住んでおられて、色々とコアな情報を教えてくださった。
改めて感謝申し上げたい。
焼いてもらったのは、基本となる肉ちょぼ焼630円である。
これが本来のちょぼ焼で、麺や野菜を入れるのは本来のちょぼ焼とは違うとのこと。
広島お好み焼で、海鮮を加えたりするのは違うという感覚かな?と感じた。

「松本家」では豚肉を150g使う
豚肉を店独自のちょぼ焼ソースで味付けして炒める
生地を薄く大きく伸ばす
生地の上に魚粉を振りかける
刻んだタクワンを中心に一筋並べる
タクワンの上に、味付けして炒めた豚肉を置く
豚肉の上に天カスを置く
具がバラバラにならないよう、繋ぎの生地を振りかける
全体をひっくり返す
肉押さえで生地の上から十分に押さえる
再びひっくり返すと、具材が香ばしく焼けている
両端の生地を中心に向かって折り畳む
生地の上からちょぼ焼ソースを塗る
端から3-4センチ幅に切り分ける
皿に盛って完成

予想以上にユニークな料理なのだ。
ちょぼ焼ソースはウスターソースに醤油を加えたような味で、この料理と非常に相性がいい。
ちなみに原初のイギリスのウースターシャーソースにも醤油が入っていたし、戦前の一銭洋食の「ソース」は醤油に酢、唐辛子、胡椒などを加えた代用品が多く使われていた。
熊本市のちょぼ焼は、その歴史を現代に伝えているのだ。

味わい的にはモチモチした皮の主張と旨さが突出している。
食感としては生八ツ橋に近いと感じた。
ただ味わいがウスターソースと醤油味なのだ。
そして咀嚼すると中からしっかり焼いた豚肉の香ばしさと旨味、タクワンのコリコリした食感が追いかけてくる。
これがあとを引く。
「福田流ちょぼ焼」の店主、福田康守さんが生み出した、一銭洋食とクレープが合体したような料理、ちょぼ焼。
これは間違いなく傑作だ。

他店のちょぼ焼も見てみよう。
田崎市場の中にある末広の肉玉子入り400円だ。
この市場はルーツが闇市で(広島市の荒神市場と同じ)、福田流の店主が天カスを無料でもらいに来ていたと語られていた場所だ。
ここでは素焼きが肉入りなので、玉子だけ加えてみた。
店主曰く、野菜や麺を入れたほうが旨いとのことなので、店によって見解は分かれるようだ。

玉子は溶いて生地の上に大きく広げる。生地の形は楕円だ。

具材は、タクワンの細切り、天カス、味付けして炒めた豚肉、生地の上に広げた溶き玉子である。

「末広」のちょぼ焼、肉と玉子入り

やはり生地が生八ツ橋っぽい。
ソースが醤油とウスターソースを混ぜたような味がするのも同じだ。
やはりこれがちょぼ焼のスタンダードな味わいなのだ。
ただし「末広」ではひっくり返して焼くことをせず、片面だけ焼いて具を載せて折り畳んだ。
理由を訊くと「ひっくり返すのが本来だけど、回転数が落ちるから」とのこと。
なにせ僕が頼んだ料理で400円である。
原材料費は比較的安いが、鉄板を加熱し続けているので高熱水費は他の業態よりもコストがかかる。
手順を省略しないと利益を出すのが難しいのだろう。

もう一軒はす多にも行ってみた。
ここは比較的郊外の住宅地にあり、住居兼店舗である。

追加具材に番号が振られているところは福田流インスパイア!

基本だと390円と安すぎて申し訳ないので、豚肉とネギ入りの520円でお願いした。
この店では福田流と同じような巨大チリトリでちょぼ焼をひっくり返し、肉押さえで押しつぶしていた。

「はす多」のちょぼ焼、豚肉とネギ入り

味的には先の2店と大きく変わらない。
やはり皮が旨いし、ウスターソースと醤油のキリッと辛口のちょぼ焼ソースがよく合っている。

もう一軒、ちょぼ焼の兄弟のような料理を紹介しよう。
橘屋本舗という店で提供しているバター焼き400円だ。
メインは広島お好み焼だが「宝食堂」という店で提供していたバター焼きを復刻したことで知られている。

バター焼きは昭和30年代頃、訪れた客に提供できる料理がなく困った店主が、冷蔵庫にあったタクワン、天カス、バターを使って作ったありあわせ料理とメディアなどでは報道されている。
しかし、戦前の熊本市の一銭焼は、生地を薄く焼いて、タクワンと天カスを入れていた。
つまり「宝食堂」の店主が作ったのはバターを使った一銭焼なのだ。

しかし当時、バターは高価かつ入手困難なはずで、それを一銭焼に使うだろうか?
調べてみると、当時の熊本県には雪印乳業の事業所があり、主に乳製品の加工を行っていた。
昭和33年には雪印乳業が作るバターの8割が熊本県で作られていたのだ。
未確認だが「宝食堂」の誰かがバター工場と関係があり、比較的バターが入手しやすい環境だったのではないか?と僕は想像した。
つまり、高価なバターを使い、リッチな味わいの一銭焼を提供したから人気になった。
それがバター焼の本質ではないか?というのが僕の結論だ。

なお、この店では玉子入りで提供しているが、当時は玉子が高価なためオプションだったようだ。
バターをたっぷり使って生地を焼くのではなく、生地に溶かしバターを塗ってあるので、そこまでバター感は強くない。
高価なバターを節約するための手法だろう。

皿の上でヘラを使って切り分けるのが斬新

生地の大きさがちょぼ焼に比べて小さめだが、それは一銭焼の直系だから。
半折りにして提供するのは、戦前の広島の一銭洋食と同じ。
一銭焼を母体として、昭和26年にちょぼ焼が生まれ、昭和30年代にバター焼きが生まれたということだ。

その他には福田流唯一の弟子というちょぼいちにも行ってみたが、営業している様子はなかった。
最も楽しみにしていた店だけに残念だった。

インターネット上は休業となっているが新しいレビューがない
具材を番号で書くところなど福田流の直系らしさを感じる

「ちょぼいち」以外では「つぼい」という店で提供されていたが、そちらも営業していないようだった。

ちょぼ焼の課題は鉄板の専有面積が大きいこと。
「はた多」では並が一度に2枚、大だと1枚しか焼けないとのこと。
さらに1枚焼くのに10-15分かかるので、回転が非常に悪い。
それなのに売価が安すぎる。
回転が悪く、利益率が低い料理なので、店ごとに様々な工夫をされていた。
「末広」ではひっくり返さずに焼くというのもその一つだ。

また、圧倒的人気を誇った「福田流ちょぼ焼」の閉店から15年以上過ぎ、当時の熱狂を知る人たちが高齢化している。
ちょぼ焼を喜ぶのは40代以上で、若者は料理そのものを知らないという話もあった。

そのため、生地を小さく焼いてキャベツなどの野菜を入れたものをちょぼ焼と称する店が出てきており、定義が揺らいでいるようだ。
とてもユニークかつ旨い料理なので、何とかローカルお好み焼の一つとして、熊本市の食文化の一つとして大切にしてほしい。

最近では福岡県の博多辺りでちょぼ焼を提供する店が何軒かあるようなので、機会を作って食べに行きたい。
皆様もぜひ、熊本を訪れる機会があれば、ちょぼ焼を試してほしい。
熊本グルメと言えば、太平燕、熊本ラーメン、馬肉、辛子蓮根などが有名だが、僕はそこにちょぼ焼を加えてほしいと切に願っている。

追記
焼きそばおじさんこと塩崎省吾さんに教えていただいたのだが、焼そばの名店「みかさ」や「真打みかさ(閉店)」を創業した福島三郎さんは熊本市のご出身で、学生の頃は「福田流ちょぼ焼」によく行かれていたとのこと。
また、熊本市で営業されていた頃は、焼そばだけでなく、ちょぼ焼も提供されていたらしいのだ。
そして「福田流ちょぼ焼」ではソースを4年間熟成させていたことがわかっていて、福島三郎さんの店でもソースの熟成を行っておられた。
「福田流ちょぼ焼」のミームが「みかさ」に繋がっていたのだ!

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