快食ボイス241・1,000円の壁問題における身近な例と課題のメタ認知

■ マーケティング理論の重要性

はい、こんにちは シャオヘイです。快食ボイス。
前回、ラーメン1,000円の壁問題について課題整理をしたんですけれど、もう少し補助線を引いておこうかなと思います。
マーケティングという学問領域があって、さまざまなマーケティング理論についての知見が積み上がっているから、それを学べばいろんなことが分かるよという話をしたんですけれど、具体的にどういう例があるのかという話を少ししてみたいと思います。

■ 広島市のお好み焼の人気とボリューム競争

身近な例で言えば、お好み焼について、広島県内はどこでもですが戦後すぐから、一番のピークは昭和40年から昭和50年ぐらいにかけてですが、お好み焼はものすごいピークを迎えたんです。
どこに行ってもむちゃくちゃ人気があって、僕が子供の頃なんかも近所の人気のお好み焼店、これ府中市ですよ、広島市じゃないです。
広島県東部の府中市という場所においてなんですけれど、食べに行っても1時間後ぐらいにまた来てくれとか、持ち帰りしかちょっと無理とか、今日はとてもじゃないけど間に合わないみたいな感じのことが結構ありました。
それぐらい人気だったんです。
その店は「ひがし」という店でもう閉店してしまいましたけれど、それぐらい人気だったんです。
店の数も多いし、すごく人気なので、まさに国民食ならぬ県民食です。
そんな状態だったんで、府中市においてはちょっと分からないんですけれど広島市においてはどういう状況だったのかということを関係者にヒアリングして分かっているんですけど、広島市のお好み焼ってですねその他の地域のお好み焼き、例えば県内の府中市であったり、三原市、尾道市、その他の地域に比べてもすごくボリュームがあるんです。
これはなぜなのかという問題なんですけれど、まだ快食ボイスでは話していないですが、noteで以前で解説文書いています。
広島市のお好み焼は、戦後ハラペコの若者たちを食べさせるためにボリュームが増えていったというのがあるんです。
なぜ若者なのかというと、広島市の原爆落ちた後の復興をするための予算がついて、全国からどっちか言えばヤクザ物とか流れ物みたいな若者たちがたくさんやってきて、彼らに食べさせるためにボリュームが増えたというのがあるんです。
その時にすごい過当競争が起きて、値段ではなくこの時はボリューム競争をしているんです。
うちの方がボリュームがある、いやいやうちの方が少し多いみたいな感じです。
広島市において現在においてもキャベツが多い方が良いとされるこの価値観というのは、実は戦後、そのような過当競争の中によって生み出されたものなんです。

■ 江戸時代後期の蕎麦店でも同様

このような事例は他にもあって、江戸時代後期の蕎麦店です。
江戸時代後期の江戸、現在の東京、中でも旧東京市ですけど、その辺りにおける蕎麦店の数というのはものすごくてほぼ飲食店の3分の1ぐらいが蕎麦店だったんです。
蕎麦店ばっかりあるという感じなんです。
しかも当時二八蕎麦というのは別に蕎麦粉と小麦粉の割合を言ってたわけではなくて、二八=十六文ということで一杯の値段が十六文という風に規制されてたんです。
一杯十六文でどう出していくか、その中で量を増やすか減らすかということはあったと思うんですけれど、そういう規制かけられた中での過当競争、今だったら1,000円の壁じゃなくて800円なり1,000円なり、いくらでもいいんですけど、値段決められた中での競争になってたわけです。
そういう風に難しい競争を強いられた中で彼らがどうしたのかというと、蕎麦前というものを生み出したんです。
つまり蕎麦を食べる前にちょっと飲むっていうのがいいんです、粋なんです、どうですかみたいな。
その価値観を提供したわけです。
これによって現在においても蕎麦というのは蕎麦前としてお酒を飲むという文化が現在に至るまで続いているわけです。

■ 江戸後期の蕎麦店と酒文化

その前に、そもそも江戸後期、その頃の時代っていうのは酒飲み大国で、世界的に見てもこれだけ酒を庶民が飲むっていう国はなかなかないみたいなそういう現状もあったわけです。
だから時代背景とかそういうものに即して非常に工夫したということなんです。
これがすぐに現在のラーメンの直結するというわけじゃないんですけれど、結局、その時代背景などの様々な要件に合わせてみんな工夫してきたということなんです。
僕は常々課題、問題が生じたときに思うんですけれど「この問題は世界初なのか」というふうに考えるんです。
この問題、この課題に直面したのがもし世界初、僕だけであるとするならばこれを解決したら僕ははすごいことができて、偉大なことを成し遂げた人間になれると思うんです。
しかし実際、僕が直面するような課題はもう過去に何万回、何億回と多くの人類が向き合ってきた課題なんです。

■ 歴史からの学び

同じ課題じゃないですよ。
しかし構造をメタ化すると、メタ認知すると、結局同じ問題であるっていうのは山ほどあるんです。
それだけ人類というのはさまざまな問題に直面してきたけれど、構造的にはそんなに変わってないわけです。
だからこの構造を分析して、過去の人たちはどのような解決方法をしてきたのかということを学ぶというのが重要なんです。
これを体系化したのが現在ではマーケティング理論というふうにカタカナで言われているわけですけど、別に広島の戦後においておっちゃんとかおばちゃんがやってきた戦略であったりとか、江戸時代の後期に町民たちがやってきたことをカッコつけて言ってるだけというか、学問的にそういうふうに分析してるだけなんです。
こういうのを学ぶというのは1,000円の壁問題とかそういう話ではなく、すごく重要だと思うんです。
歴史を学ぶ意義だと思うんです。
過去の人たちがどうやってこういう課題をクリアしてきたのかということを考えるっていうのはすごく深い学びになるというふうに僕は考えています。
ではまた。

投げ銭(サポート)は超嬉しいですが、いいね!やフォローも大変喜びます。賛否は関係なく、SNSでシェアしてくださるともっと喜びます!!! ご購入後のお礼メッセージは数が多くて難しくなりましたが、またいつもの○○さんが読んでくださったんだと心の中で大いに感謝しています!!