死なないためにずっと誰かのために生きてきた話

目が覚めたことに絶望する朝

変わらない毎日を愛おしいと感じたことはあるだろうか。私は人生で2回だけある。
桂枝雀師匠の「いたりきたり」を初めて聞いたときと、付き合っていた彼氏が拘留されたのち釈放された次の日の朝。この2日だけは毎日特別な不自由なく生きられることの幸せを噛みしめることができたが、それ以外は私にとっては地獄に等しい。

子どものしつけ絵本として一時期にわかに流行っていた絵本「地獄」を知っているだろうか。

なぜこの絵本がしつけに役に立つかと言えば、「迷惑をかけると地獄におちるぞ」という言葉の説得力が増すからだ。地獄のおそろしさを生々しく描いている。
地獄には8つの階層があるとされており、その8つには共通する性質がある。それは「繰り返し」だ。石を積んでは鬼に倒される「賽の河原」が代表例といえるだろう。地獄では鬼の監視のもと、1兆年近く同じことを繰り返させられるらしい。

それを知ってから、私は変わらない毎日のことを「地獄」と呼んでいる。
昨日と精神的に全く同じ自分でいる日々こそ、私にとっての生き地獄だ。
知らない世界に触れたり、新しいものに出会ったり、いつもと変わらない風景に目新しさを見いだせた日なんかは超ラッキー。
これだけ聞くと、私の幸せのハードルってもしかしたらものすごく低いのかもしれない。

でも、今まで所属してきた社会のほとんどには鬼がいた。
日付が変わる頃に「明日は鬼がいませんように」と祈って、朝起きて社会に出ては鬼がいることに絶望していた。

ああ、今日もわたしは変わらないことを求められている。

ヒトは変化を嫌う生き物らしい

食堂でいつも同じ席に座ったり、喫茶店でいつも同じメニューを選んだり、ハズレが少ないからいつもと同じメニューを選びがち…な人がいるらしい。
あいにく私は新しいものとの出会いに幸せを感じることが多いのでそういう気持ちになったことはほとんどないのだが、安定を好む人というのはリスクを嫌っているらしい。

これは私の生きてきた狭い世界での話になるのだが、肌感覚でいえばそういう人のほうが多数派な気がする。というか多数派だった。
ゆえに、毎日が息苦しい。なぜこの人たちは現状に文句を言っているのに改善しようとしないのだろう。もしかして改善案が思い浮かばないのかと思って案を出すと「責任が負えないのでやめてほしい」と言われるような社会に人生の8割くらい所属してきた。
私の洞察力がないだけかもしれないが、そういう社会の中にいることは私にとって地獄に等しかった。

その点、障害福祉の仕事は楽しかった。
会社の中で変化はなくても、毎日客が変化する。毎日違う人と話せば、なにかしら新しいものがみつけられる。
こと福祉においては、変化を見つけられる幸せが相談相手の幸せと直結していることが多かった。私が努力を見つけることで、相手が少しずつ心を開いたり、成長を感じているように思えた。

地獄の中で咲く小さな花を探すことが、誰かの成長につながるのなら。
そう思うのは、鬼への小さな抵抗だったのかもしれない。

誰かのためだと思うと際限なく頑張れる

それは例えば疲れているときに優先席を譲ることかもしれないし、頼まれてしたくもない残業をしているときかもしれない。
断る理由なんていくらでもあるのに、困っている人の顔が思い浮かぶと、袖をまくり仁王立ちになってはりきってしまう。
どうやらわたしはそういう人らしい。

地獄に咲いている花の種類は、多くなかった。花を見つけるのも、だんだんと早くなっていった。
そうなると、地獄に咲く小さな花を見つけることもルーティーンと化す。
この辺りに咲いているだろうな。ああやっぱり。
花を見つけることに、もう感動することはない。
それでも、同じ地獄の誰かが笑ってくれるなら、と私は花を探し続けた。
最初は自分のためにしていたお花摘みが、誰かのためへと変わっていった。
それでも花を探すことはやめなかった。誰かの笑顔が見られることが私の幸せになっていったからだ。
体が引き裂かれて、地獄の大釜で煮込まれようとも、誰かの笑顔があれば頑張れた。誰かの笑顔を見るために必死だった。

あるとき、鬼が増えた。鬼の居ぬ間に洗濯…ならぬお花摘みができなくなった。その鬼は、地獄で幸せを感じることを決して許さなかった。
否、鬼の姿をした人だったのかもしれない。
その人は「あなただけが幸せになるのは許せない」と言っていた気がする。

私は、なんのために地獄に生きていたのかわからなくなった。
「そんな職場辞めちゃえばいいのに」という友人の言葉が、ストンと落ちてきた。
三日三晩考えたが、やめない理由が見当たらなかった。
他人のために働くことを禁止されると、私がそこにいる理由はなにもなかった。

裏を返せば、私は私のために働いているわけではなかったのだと思う。
スキルアップや学ぶこと、昨日の自分を顧みることが何の役にも立たない場所で、どうやって自分のために働けばいいのかわからなかった。
そうして私は仕事をやめた。


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