一周回って見えた景色は少し違っていた。

 もしもこの叫び声を文字に起こせって編集者さんに言ったら、絶対死ぬほど困ると思う。なんせ後から聞き直している俺自身が思わずヘッドホンを外したくなるほど、聞くに耐えないレベルだ。それまで静まり返っていたコメント欄に物凄い勢いで「あーあ」の一言が流れていく。でもってガタンとコントローラーを置いた音。視聴者は多分絶句しているように感じるんだろうけど、実際はミュートにしてるだけでしてなかったとしたら「お前は豚か?」とツッコまれそうなめちゃくちゃに荒い息遣いと、人前では言えない味方への罵倒が鼓膜を破る勢いの大声で聞こえてたはずだ。いやマジでミスってたら、炎上して干されてたかもな。まだ中堅どころではあるけどチームプレイが基本のFPSはなんだかんだで派閥が出来やすいっていうか、プロゲーマーとかストリーマーとかバーチャルなアレソレとか、そういう括りの中で更に細分化されてるもんだから案外世界ってのは狭くて。特に俺みたいなプレイスキルよりもリアクションで売ってる連中は上手い人に構ってもらえなくなると負けが込んで、ワンチャンもないと映えないから動画も作れない、そうすると新規も入らなくなって熱心だけど色々口うるさくもある囲いばっかりになって、ますます入り辛くなる——という無いもの尽くしの悪循環に入るわけだ。そうなったらほぼ毎日コツコツ積み上げてきた人気ともサヨナラ。いい歳こいて夢見るのは辞めか、ちゃんと人並みに恋愛をして、嫁もらって家庭作ることも視野に入れなきゃいけねーのかななんてことを自分のクソみたいな配信を見直しがてら、カップラーメンを啜ってぼーっと考えたりする。あるいは今みたいに、こそこそトイレに引きこもって、スマホで昨日の動画を垂れ流しにしたりとかな!

「せんぱーい、平気っすかー?」

 俺以外個室にいないんだろう、無遠慮にゴンゴンとドアを叩きながら、これまた大声で会社の後輩が呼びかけてくる。いっそ俺の存在ごと忘れて次の店に行ってくれねーかなと思わないでもないけど、生憎そういうわけにはいかないらしい。いやマジでやられたら家に帰ってから一人でこっそり泣くかもしれない。謝られるのも何も言わないけど気まずい顔されるのも、翌日になっても気付かれないのも、どの選択肢も普通に地獄だ。イヤホンを耳から外して、スマホをスーツのポケットに突っ込み、元々下ろしちゃいなかったがちょっとわざとらしいくらいガチャガチャとベルトを鳴らし、立ち上がった。無駄遣いだから気が引けるけど一応水を流してからドアのロックを解除して出る。途端におい、ぶつけるぞ、と文句の一つも言いたくなる至近距離に普段以上に弛んだ後輩の顔が見えた。心なしか酒臭い息が届く。いや俺の息かもしれないけどな。しかし飲まないからって割り勘を安く済ませてくれる下戸よりも、飲んでも飲んでも一向に酔わないザルの方が損した気分になるってなんなんだろうな。適当に手を洗う俺の肩を後輩が何度も揺さぶってくる。

「もーっ、いつまで経っても先輩が戻ってこないから、あっちは大惨事ですよー」
「人をあてにするな、酒は楽しく飲める範囲で飲めっていつも言ってるだろうが」
「だって、気持ちよくって気付いたら適量超えてません?」
「……俺にはその気持ちは分かんねえわ」

 悪いけどと付け足して溜め息をついた。しかしこいついつものことながら、キャンキャンまとわりついてくるな。なんだかデジャブ感じると思ったらあれだ、俺が「散歩!」って言った瞬間、急に起き上がって尻尾振りながら体当たりしてくる実家で飼ってた犬だ。まあ若干語尾が間延びするくらいでシラフでもこういうノリだから周りに可愛がられるんだろうと思う。気があるんじゃないかと疑うほど露骨に甘やかしてる同僚じゃなく、俺に懐いてるのはかなりの謎だけど。
 後輩の足取りが案外しっかりしてるのを確認して、前を歩きながらもまた配信のことを考え始める。エイム練習を増やすべきか。野良の噛み合わなさにキレないよう心掛けるっつたって、寺に行って座禅でも組むべきか? ……なんでこんな一応趣味でやってることに本業もそこそこに悩まされてるんだろうな。

「うーっす! 何だぁ、大の方か?」

 時間がかかり過ぎだからそう思うのも当然だけど、自分の席に戻った瞬間、上司がニヤニヤからかうように言ってくる。それに俺が愛想笑いを浮かべるより早く、みたいっすよとヘラヘラしながら後輩が返して腰を下ろした。こういうのってわざと言ってるんだろうか。コミュ障の俺には人の心の機微ってヤツは分かんねえわと思いながら胡座をかいて軟骨の唐揚げをつつく。閉じた口の中でゴリゴリと独特の食感がするそれを噛み砕きながら、いっそ英語の勉強でもすっかな、とか考え出した。必須じゃないがまあ出来れば何かしら得にはなるだろうし、日本語対応? 何それおいしいの? ってゲームに手出せるしな。それにほらさ、リリースノートってニュアンスが難しいらしく、結構間違ってるんだよ。有志の意訳ならしゃーねえ、というかいつもありがとなって頭擦りつけるけど、公式でもたまに——と愚痴はやめといてと。離れてる間に補充されてた梅酒に口をつける。

「あ、そういえば先輩。さっきまでずっと話してたんっすけど、——って配信者知ってます?」

 とその名前が耳に入った途端、思わずぶっと噴き出した。いやグラスの中に噴いたから、他の誰かにはかかってないしセーフ。まあ俺の顔にはガッツリかかったけど。隣に座っている姉御というあだ名のオネーサマが甲斐甲斐しくハンカチを取り出して丁寧に拭いてくれる。前にクソほど体調が悪かった時に「無茶はダメよ」とめっちゃ優しい声で諭されて結構マジで惚れそうになったりもした。色々抜きにしても俺には勿体無い人だけどな。と、そんな話はどうでもよくてだ。この後輩今なんつった? いやいや、ハンドルネームなんて食い物とか動物とかの身近な物系か本名をもじったのが大半って相場が決まってるし、同じ名前のヤツとか普通にいるだろうし? そう現実逃避してたら姉御がニッコリと新社会人の退職を思いとどまらせる理由ナンバーワンと噂の笑顔を俺に向けて、

「国内の配信サイトだから結構マイナーかもしれないけど、最近はFPSメインでやってる面白い子がいるのよ。最近やってるのは——っていう歴史が長いシリーズの最新作でね、その前は中堅メーカーのローンチタイトルをやってたわよね?」

 聞かれた後輩は勢いよく頷いてみせた。

「ですです! 出身が東北の方らしくて、素になった時に出る方言とかオレには分かんねっすけど、勢いがあって面白いんですよねー」

 姉御とはまた別の同僚と分かるーと言い盛り上がる後輩。これがインタビューだったら絶対(笑)ってつく。つーか、それ99%俺なんですけど。とはもちろん声に出せるはずもないので黙ってちびちびと梅酒を飲む。
 確かに会社じゃ気が動転することなんてそうそうないし、だから方言とかは全然出ないけどな? けど、俺がそっちの出なのは実家から送られてくるブツをお裾分けしてるから知ってるんじゃないの? それ以前に週五で俺の声聞いてるよね?? そりゃあ使うマイクによって声の感じって変わるけどさぁ。気付かれても死ぬほど困るけど、気付かないのもそれはそれでちょっと傷付くな。いい職場と同僚だから。いやそれよりも、リア充陽キャだらけのメンツがゲーム配信見る事実にビビるわ。っていうか世間って案外狭いんだな。

「でも最近はなんかピリピリしてるよね? 無言タイム多いし、口汚くなったりとかはしないけど、あーこれ内心仲間にキレてるなって思うもん。勝手に突っ込んで勝手に死んでfxxkとかブチ切れられてるの見ると気持ちはよく分かるけどさ」
「見てイライラしちゃうよな」
「そうそう!」

 ……なんでこの話題で盛り上がるのか。せめてなんかもっといい感じの時に話に出たらよかったのになと、本人が目の前にいると思ってない同僚の率直な意見に、往復ビンタ食らってる気分になった。分かってるんだよ。これでも昔よりは上手くなったはずなんだよ。チート転生モノみたいに全部一人でなぎ倒す力があったら、こんな悩む必要もないけどこれは現実だ。ちっとも成長出来ないからもうこれが俺のプレイスキルの限界なんじゃねーのって想像が脳内にわく。そんなマイナス思考を一人でグツグツ煮込んでると、見えないところで割と激しく机を叩く音が響いてビビる。

「……そりゃあ最近のあの人はちょーっとアレですけど!」

 と言い出したのは話を振るだけ振って少しも騒がなかった後輩だった。ちょーっとと言う時にめちゃくちゃタメを入れつつ、いつもはふにゃふにゃのくせに不機嫌そうに口を尖らせる。おいそれお前がやったって可愛くないからな。他の奴が見たらどうかは知らねーけど。

「でも本当はすっごい楽しそうにゲームやる人なんですよ。プレイスキルはオレの方が絶対あるけど、プレゼン力だったら圧倒的にあの人の方が上っすもん。あの人の配信を見てオレがいくつゲーム買ったと思います? 通帳の額かなり違ってたと思います。別に後悔はしてないんすけど……」

 と言いつつなんで溜め息ついた?

「なんか、友達の家行って横でゲームしてるとこを見てる、あの感じが好きなんですよねぇ」

 ——あ。いじけた感じから一転、後輩が楽しそうな顔をするのを見て、俺は遥か昔——という表現はふさわしくないが、一応まとめサイトは見たものの面倒くさくなり、家電量販店で買ったそこそこ安いマイクを置いて初配信した日のことを思い出す。直前にチェックしたはずが音量バランスがガバガバで初のコメントで「声聞こえないよ」って言われたり、画質がクソで今時の死ぬほど小さい字幕が見えず、よりにもよって初見RPG実況を選んだ俺は絶望した……そんな黒歴史だ。当然のように視聴者数は常に一桁でコメントもろくにつかないから、苦し紛れに配信を始めた動機とか抱負とかを一人でベラベラ喋ってたっけ。その時に言ったのが後輩が言ったやつ。もちろん俺のオリジナルなわけじゃなく、有名な人の受け売りだ。学生時代、人の輪の中心にいて率先して笑かしにいった、みたいなエピソードのない陰キャのオッサンにでもそれくらいは出来そうな気がしたんだ。いうほど簡単な話じゃなかったけどな。
 もしかしてこいつ古参か? それともアーカイブ見てるガチ勢か? 色々疑いたくなりながら、俺は梅酒を一気に煽って息をついた。

「そういうのっていいよな」
「ですよね。先輩なら分かってくれるって思ってました!」
「……お前の中の俺は一体どういうイメージなんだよ」

 ぶっきらぼうに呟くも後輩は何故だかご機嫌だった。あーもうこういう時酔わないって面倒くせぇな。下戸だったら今の後輩みたいに顔が真っ赤でも酔ったせいだってごまかせるのに。幸いにも同調意見が増えて、俺なんか足元にも及ばない有名ストリーマーの話題へと移った。そのままアウトドアとか俺と一切無縁の話題になってくれねーか。
 ……そうだよなぁ、プロゲーマーでもない俺にプレイングのうまさを求めてるやつなんてほぼほぼいないだろう。実際ゲームもトークも面白くて人気の人は一握りで、後者しか才能がなくても多少のグダリは喋り倒せば案外どうにかなるもんだ。発言の一部を切り取られて曲解され、ご意見が投げ込まれたりとか、ファンのつもりで暴れてるのとか、面倒なことも時々あって疲れて帰った日なんかもうやめようかなと思ったりする。比較されて自分の取り柄が分からなくなって、とりあえず上手くなれりゃ解決するって脳死してたんだろうな。大事なことは最初から分かってたとか、すげー陳腐。けど悪くはないな。

「——これからも活動が楽しみですよね。ね、先輩?」

 ニヤつく口元を余り物を頬張ってごまかし、意気揚々と子供の話をしだした上司の陰に隠れてると不意に後輩が言って笑った。なんか悪どい顔だな、そう感じたのは俺の頭が興奮でバグってるからか? よく分かんねぇままに「そうだな」って頷いたら、後輩はピッと舌を出してみせた。だから、お前がやっても可愛くねーんだよとは口には出さず、俺は今日もし野良で陽気な外国人と当たったら適当な英語で絡み返してみようかとかそんなことを考え始めた。

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