死にたがりの死なない傭兵に愛を捧げる・裏

 足早に去っていく背中を見送り、そっと嘆息する。別にベタベタと仲良くしたいわけではないのだが、ああも警戒心を露わにされると少なからず傷付くのが人情というものだろう。誰に見せるでもないが肩を竦めてみせ、あの背中を預けていた草むらに目をやる。頭上を仰げばそびえ立つ木からポカポカ木漏れ日が射して、唇の端を釣り上げた。地面に縫い付けられた人間という存在がいくら同族で殺し合おうが、空に浮かんだ太陽も月もまるで意に介さず当たり前に朝と夜を繰り返す。憎んでは打ち倒す日を夢見ても生憎と人類の大半は己の生存圏を確保するのに必死だ。ある者は己の地位と名誉を追い求めて、またある者は今を生きる為に泥水を啜る。前者の庇護を受けて後者のように生きる自分たち傭兵とは果たして何者だろうか。例え自問しようが誰かに意義を求めようが、その行為に何ひとつ意味はない。死へひた走る稼業なのだ、考えずとも近く朽ち果てる定めである。
 地べたに腰を下ろして、木の幹を背もたれに傭兵の溜まり場である外れの酷く老朽化した兵舎を見やった。あの黒い影はもう点ほども見えず、完全に中へ入ってしまっている。あれが死神と渾名されている理由を戦場の空気をとうに忘れ、あるいは一度も立ったことがない上層部の連中は、髪も瞳も服も——全てが黒という不気味さからくるものと勘違いしているに違いない。黒一色は戦場でも確かに目に付くし、恐怖という言葉のイメージにも結びつくだろう。しかし現実は真逆で、前線に立つ死神が纏うのは白だ。あまりにも場違いで、祝宴の場に立っているのではと錯覚させる純白が、返り血と自身の血の両方を浴びて、赤くまだらに染まる。それがやがて全身へと広がっていき、時間が経過するに至って黒ずんで——見かけただけの者ならいくらでもいる平時の姿と等しくなる。常軌を逸した美貌はまさに死神と呼ぶに相応しい。その手が持つ刃で喉を掻き切られ、強打で鎧を貫通し心臓を叩かれ、内臓を捌かれる。戦う以外に能がない者からすれば、救済ともいえた。

「そう……あれは、神も同然だ」

 敵全てに死を運び、己はその軛から逃れた死神——傭兵は通常、同業者を高く評価はしない。何故ならこの世で最たる人気商売だからだ。自身の価値を相対的に引き上げる為に汚名を噂に上らせては、活躍に口を閉ざす。自分も、幾度となく経験がある。死神は例外でどこか辺境の弱小国の出身だとか、とある大国の王の妾の子で、名前をつけられることもなく捨てられただとか、そういう出所不明の噂から実際に戦争に参加し得た功績について語られることも多い。人として次元を飛び越しているが故、自分のような崇拝者が異様にいる——それが理由だろう。人間は己が好きなものを他人によりよく見せたがる。しかしその内の何割が本当に不死と思っているのか。
 この世に数多の術が存在すれども、寿命を操作することも致命傷を免れることも絶対に出来やしない。それが通説だ。真理と言い換えてもいいだろう。それを覆すことが出来るのは文字通りの神のみ。その点、死神は明らかに人間だ。長く生きているのは特徴が表れていないだけで、長命な種族の血が入っているのだろうし、死にかけても絶対に死なないのは技巧が高く咄嗟の判断でぎりぎり急所を免れているからだろうと考えている。
 流石に正確な位置は憶えていないので、死神が寝転がっていたのと大体同じだろう場所に身を預けた。葉は意外と冷たく、剥き出しの肌をくすぐってくる。風に揺れ擦れる草の音や鳥の声に自らの鼓動が溶け込んでいった。——人の証拠。死神は憶えていないのだろうが、状況を打開しようと死に物狂いで戦ったあれが生死の境を彷徨った際に、敵としてだが丁度戦場に居合わせていた。そして噂通りの強さと生命力に不死を信じかけながらも、苦しげに眠るその胸元に手を伸ばし確かめたのだ。心臓が動いているその事実を。それでもう夢から覚め、そして生身の人であるからこその尊さを知った。畏怖は崇敬に変化した。不死ではなくいずれ終わるというならそれを見届けるのが己が役目と悟ったのだ。

「互いにいつ死ぬともしれない身だ。——ならばせめて最期を見届けるのが愛というものだろう?」

 死神と呼ばれる伝説の兵ではなく、ただの一人の女となった彼女の顔を、一目でいいから見たい。その衝動だけでずっと死神を追いかけ食らいついている。だがこうも思っている。生きる意味なんてきっとそんなちっぽけなものでいいと。
 風に吹かれながら一人目を閉じる。今日は、とても安らかに眠れそうだ。

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