海で生きた日々を偲ぶ

 両親から与えられた道具を携え、初めて見たその世界はあまりに広大で胸が高鳴った。ぐるりと視線を巡らせども視界いっぱいに水面が続き、それが陽の光を浴びて輝く様はひたすらに美しい。僕はただここに来る権利を手に入れただけであり、数多の人の手によって創造されたこの景色の尊さを、きっと真の意味では理解出来ていやしないだろう。それでもウズウズと今にも飛び込みたがる自らの体をその場で足踏みするに留め、準備に取り掛かった。難しいことは全部父が——実際にはこの道具を購入した店の人に任せきりだったというが——やってくれているので、僕が気にするのはちょっとのことだけだ。焦りで少々手こずりながらもどうにか確認を済ませ呼吸が出来る環境を整えると、僕は小さな頃から周りに言われ続けているようにろくに我慢もせず指定されたポイントから飛び込んだ。勢いよく上がった水飛沫の白色はあっという間に目の前から消えて、バシャンと水面を叩いたときの激しい音は耳元でずっと鳴っているくぐもった音に上書きされていった。それと早鐘を打つ鼓動が頭の中で響き続けている。
 この海の泳ぎ方なんて知らない。広過ぎてどこに行けばいいのかすらも判らない。足を前後に揺らして目についたものを片っ端から眺め、時間を忘れては母に叱られて渋々浮かび上がる——そんな毎日を繰り返している間に気が付けば、目いっぱい首を反らさなければキラキラとした波が見えないほど、随分深い地点まで潜っていたらしかった。今は自由自在、行きたい場所にすぐ辿り着くくらいに慣れた。今日は昨日見つけたけれど時間が足りずに諦めた方に行く。案内されずとも到着するまではほんの一瞬だ。この一帯は最早僕の庭と言っても過言ではないのだから。
 目的のところに着き、しばしの間僕は言葉を失った。上下左右、くるっとターンして後ろ。三百六十五度見渡してみても、何かしらの目を惹くものがある。それはそう、原石というのが最もしっくりとくる表現だろう。絵に描いた虹を丸めて石の形にして、半透明だから内側のきれいな色が透けて見えている——そんな感じ。七色といわず一つとして同じ色はないんじゃないかと思うほど色とりどりの石がまるで魚みたいに、いや、動き回るわけじゃないからクラゲに近いのかな。とにかく大きさもバラバラなそれらが僕の周りに漂っていて近付いたり見る向きを変えるたびに研磨したらこうなるんだろうなと思わせる断面を覗かせる。普通はそれを手に取って自分のものにしたいと思うのかもしれない。けれどそれを見て僕が真っ先に取った行動は、自分の手のひらを見ることだった。
 何の変哲もない手がそこにある。ただそう見えるのは僕だけであり、他の人にとっては空気のように透明だということをよく知っていた。黙っていれば泳いだときの水の揺らめきで誰かが訝しむ顔をするが、声を掛ければちゃんと認識して応えてくれる。僕と同じ透明人間もこの世界には沢山いるらしいけれど、わざわざ僕に話しかけてくる人なんていなかった。たぶん僕がその人たちを認識出来ないのと同じ理屈なんだろう。だからいちいち、拗ねたり不貞腐れたりはしないけれど。
 ——もしかしたら僕もこの原石たちのようになれるかもしれないなんて。唐突な考えがふとよぎった。そして、思い立ったが吉日と、今日思いついたことをすぐ実行に移した。もちろんこの海に慣れてきたといっても簡単な話ではなくて、解らないところは親——は宛にならないので、それが専門の先生に聞きに行って色々教えてもらった。先生は溺れてしまう可能性を懸念しながら、それでも将来に向けて選択肢を広げるのはいいことだと応援してくれた。そうして僕はいつか光る為の一歩目を踏み出したのだった。

 思えばあの頃の俺が作り出していたのは、どれも稚拙で見るに耐えない代物ばかりだった。しかし、無知は罪だが愚かさは行動の原動力にもなる。完璧さを求めて一人で静かに腐り落ちるのもまた、本人が望んだ結果なら良しとするにしても。切っ掛けがなければ、その選択肢と対面する機会さえない。何もしないという答えだけがこの世界では唯一無二だ。息を殺せば、確かに存在は誰にも知られず済む。しかし一度表舞台に立てば、己の与り知らぬところで延々と生き続ける可能性は拭い去れない。消えるのもやり直すのも楽なようで、それを決して許さないのがこの世界だ。
 初めて触れたときの感動などとうに失せ、むしろ今は真逆の気持ちを抱えて、俺はこの世界と向き合った。あのとき歩み出さなければよかったと、後悔が胸によぎる日も増えた。せめてもう少し年齢を重ねていれば、孤高を気取ってこれを仕事にする道など選ばなかったかもしれない。俺を目に留めた彼の言葉も巧みだった。井の中の蛙を思い上がらせるには充分で、運は俺を時代の波へと乗せた。世間の持て囃す声もまた、浅はかな俺を増長させていった。とはいえど、彼らに怨嗟の声を吐き捨てることは俺にはとても出来ない。何故ならば得るものも多かったからだ。例え今は凋落の一途を辿ると嘲笑われるばかりだったとしても。
 嫌々に飛び込んだ海はかつてきれいだと思った面影もなかった。辺りは黒々と淀んで、数メートル先も見えないほど濁りきっている。俺が見る景色が醜くなったというのもあるだろうが、ネタになるかと毎朝チェックしているニュースにも不穏な文字ばかり踊っていた。もっとも権力者の都合で歪められた情報と恣意的決断に果たして如何程の真実があるというのか。人間の心とは零と一の配列で出来たものではなく、だからこそ己が生きる意味を問い、芸術を生きる糧とするのだが、この世界が誕生して以降蓄積されてきた数多のものを抱えるだけの強さも持たずに次々と潰されていった。——無論俺もそのうちの一人だ。世間が評価する通りに。
 吐き出した息は泡になって、俺が知り得る限りの単語を形作り、そして誰かに届くでもなく溶けて跡形もなくなる。少し頭を捻ってアイディアを閃いたとして、されどそれらは先人たちによってとうに使い古されているのだ。見たことも聞いたこともないものの盗作だと矢面に立たされるのではないか、そしてそれが濡れ衣であると信じてもらえず、俺が俺である限り未来永劫後ろ指を刺され続けるのではないか——そんな被害妄想が頭の中でむくむくと膨らみ出し、そうと自覚するに至って俺は己の為すべきことを見失った。この世界から逃げれば済む話だが、長く連れ添ってきただけにいっそ全て幕を引いてしまおうかとも幾度となく考え。眠れない夜に見る夢は海に溺れ、肉食の魚に喰われて心が千々に散らばるものだった。それを望んでいるくせに目が覚めれば冷や汗を掻いて、悪夢に苛まれた素振りをする自分に失笑する。死ぬ勇気のない臆病者にはお似合いの地獄。

 終わりは私が願ったよりは少し遅く、しかし情勢を鑑みれば有識者が予想したよりも早くやってきた。原因は人の欲望。犯罪者は言うまでもなく、一般市民の無責任と自覚した脊髄反射の言葉が多くの人間を殺害し、憎しみは憎しみを生んで、溺れた者を巻き添えにとうとう破綻したのだった。もう一つの世界——新しい世界とも呼ばれた電子の海はもうどこにも存在しない。人類はみな数世紀前への退行を余儀なくされ、目の前に現実として横たわる景色しか見えないようになった。
 窓を開け、淀んだ空気を外に送って、代わりに様々なものを取り入れる。風に揺れる木々と、その葉の一つ一つが擦れる音や川のせせらぎ。遠くには鳥のさえずりが聞こえる。更にはいつものように隣家に住む主婦が子供を叩き起こそうとする声がしていた。世界の在り方が崩壊する前は子供たちが遊んでいる声さえ疎ましかったものだが。恐れをなくした今ならただ心穏やかに、それらを受け止められる。
 とはいえ、挫折をしようが人生に疲れ果てようが、結局のところ私の本質は物書きらしい。一文字もキーボードを叩けずにいた間も、最も便利な連絡手段を失った混乱の渦中にも、絶えず頭の中で展開していた物語は私の中で息衝いていた。であれば当然ながら、心の憂いのない現状、紡がないという選択肢はあり得ず私は支度もそこそこに机の前に置かれた椅子へと腰を下ろす。
 己の書きたいものを書きたいままに書くなど何十年振りだろう。未だに対価を得られるほどの価値があるかどうか、様々な経験を経て臆病者になった私に面白さが残っているのか。疑念は尽きずに、絶えず私の足を竦ませる。それでもあの頃を思えば余程気が楽なのも確かだった。
 ノート上の拙い走り書きを元にして、組み立てたプロットを感性に任せて紡ぐ。一度走り出せれば文字どおり寝食を忘れて止まらなくなると、私の身体は未だによく理解していた。

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