異世界が実在すると証明された結果がこちら

 蛙が潰れたような声ってきっとこんな感じなんだろうな、というグエッと醜い音が僕の口から漏れた。これが就寝中じゃなく昼寝の最中だったら絶対胃の中身をぶちまけてる。そう確信するほど上半身を激しく圧迫されて、夢から現実へ一気に引き戻された。いつも通り勝手に開けられたらしい窓から差し込む光が照らすのは、見慣れたという意識すらもないほど当たり前にある僕の部屋の天井——のその前、あんまりな方法で僕を叩き起こした幼馴染の顔が広がって、そして起きたのを確認するようにそれがググッと近付いてくる。贔屓目を抜きにしても掛け値無しの美少女なのは間違いない。のだが、僕的には物心がつく前からずっと見ていたし、巷に溢れる幼馴染を題材とした恋愛漫画やゲームじゃあるまいし、それで意識するとか有り得ない。もちろん馬乗りの状態で顔を寄せるってことは、その少し下にある結構なサイズのあれもまた視界に迫ってくるので、高一になりたての身としてはまあぎょっとはするけど。いやでも何より手と太腿に圧迫されている痛みの方がキツくそれどころじゃない。

「ゆーちゃん、おはようっ。遅刻するといけないから起こしにきたよ!」
「挨拶なんていいから、とりあえずはどいてくれ」

 言って彼女の肩を軽く押す動作をしてみせると、えーと心底がっかりしたような声を返しつつも、僕の言うことを大人しく聞いて上半身を起こし跨るのをやめた。それでも二度寝常習犯の僕を信じていないようで、ベッドの横に膝立ちになって、じーっとこちらの様子を窺ってくる。
 男女の幼馴染とか小学校を卒業するまでそれらしさを保っていればマシな方で、普通はそれ以前にお互いに同性の友達を作り、別々に登校をするようになるのが当たり前なんだと思う。けど幼馴染の彼女——ヒナは漢字は違うけど名は体を表すというように、いつまでも僕にくっついて回る。別に友達がいないわけじゃなくて、むしろ、素性が素性なだけに、多い方だとは思うけど。僕らの世代はヒナのような人間が当たり前になっていて、それでもいじめの対象にはなりにくいが結構目立つくらいの存在感はあるといった具合だ。小学生から精神年齢があんまり成長していない感はあるものの、それは仕方のない点だし、天真爛漫で裏表がないともいえるのでそれはそれで受けがいい。……主に男子に。
 その純粋さゆえに、将来詐欺師に有り金全部毟り取られそうな同級生ナンバーワンの異名を持つヒナ。その目下の心配なところはといえばやはり恋愛絡みだ。男子高校生の恋愛事情って色々生々しいからな。同い年の僕がいうのも何だけど。その隙しかないヒナの隣を狙う狼は沢山いるが、純真さを大切に保護していこうとする実質ファンクラブ的な団体もある。本来は僕なんて一番の監視対象だろうに、有り難くも下心ゼロの判決が下っているらしく、一緒に登下校しようが誰にも何も言われない。いや反対に、アンタと一緒なら安心だわといい笑顔で言われる。……それってどうなんだろう? ヒナとどうこうって気持ちがないのは確かなんだけども。

「さっさと着替えるからさ、先に下行って母さんにトースト焼いといてって言ってきて」
「さっきもう焼いてたよ?」
「マジか。ジャム何置いてた?」
「マーマレード!」
「あー、はいはい」

 ヒナが横に避けるのを見てからベッドから這い出した足を床につけて、脇を通り抜け制服をかけたハンガーを手に取る。今日必要なものは寝る前にちゃんと確認したけど、時計を見たら案外余裕がありそうだから軽く確認するのも悪くないかもしれない。そんなことを考えているとぴょんと跳ねるようにしてヒナが起き上がり、僕の言うことを聞いてダイニングに向かうため、扉の方へと歩いていく。何となく目で追いながら、フライングして寝間着代わりのスウェットシャツを脱ごうとしたところ、不意に彼女は長い髪を翻し振り返った。
 ——さらさらと流れるのは、桜の花びらのような淡いピンクの髪。根元に地毛の黒さが見えるわけでもなければ色ムラも全くないごく純粋な単色だ。最近では手間と費用さえ惜しまなければ染めてそうすることも可能だし、違和感の薄いウィッグもある。けど家族ぐるみの付き合いが続く僕は知っている。ヒナのそれが地毛であること、そして、彼女もまた近年その存在を主要各国が認めた異世界からの転生者なこと。話す内容全てが真実だということ——つまりヒナの前世が姫なのも。僕も周りの人たちも微塵も疑わず信じている。

「早くしないと置いてっちゃうからね!」
「分かってる」

 素っ気ない僕の返事に彼女は満足そうに頷いた。細まるアメジストのような瞳を最後に覗かせて、パタンと音を立てて扉が閉まる。リズミカルに階段を下りていく音を聞いて、僕はようやく支度を始めた。


 いつものように男子からの羨ましいぞ、そこを変われと恨みがましい視線を受けながら、ど田舎でろくに車も走らない道を二人自転車に乗って登校する。幼馴染が元異世界人であること以外、特筆すべき点が何もない凡人の僕は単に家から近いという理由でこの高校に進学したけど、実をいうとヒナは東京のいちいち名前を出さなくてもあぁあそこか、と納得するような有名どころから、是非うちに来てと声をかけられたらしい。が、何故だかそれを蹴って僕と一緒に進学した。冗談のつもりで聞いたスマホのパスコードも教えるような奴が頑なに理由を言わないのは気になるけど、妙に頑固な部分があるから、一度教えないって決めたら絶対言わないのも分かってる。なので詮索するのはもう諦めた。しかし、小中高と一緒で中学生の時の一年以外ずっと同じクラスってのは何なんだろうな。
 校内でのヒナは友達といつも楽しそうに会話に花を咲かせている。たまにペットみたいな可愛いがられ方してるなあ、と思わないでもないけど、全然ギスギスした空気がないのはいいことだ。まあ昔、小学生男子によくある気になる女の子限定でいじめまがいの絡みをする、なんて奴がいたこともあったけど、平気な顔してたし。よほど酷いやり口でもない限り、天然でかわして毒気を抜きそうな気がする。

「それでは今日は、先日また新たな情報がもたらされた異世界観についておさらいしましょう」

 適当に授業を受け数少ない友人と駄弁りながら昼ご飯を食べて。今日の放課後は何するかとぼんやり考えてたら、教師のその言葉が耳に入って思わず僕は顔を上げた。それとほぼ同時に「えー」とクラスメイトからはブーイングがあがる。僕らの親がちょうど高校生の頃に、前世を異世界で過ごした人たちの存在とその世界の実情について、国際的な発表が行なわれた——らしい。ネットでもテレビでも度々放送される当時の映像を見たってなんだか遠い昔の話に思えてならないけど。まあそんなことはどうでもよくて、問題は彼らが異物として世間に扱われてしまったことだ。髪の毛を染めてカラコンを入れ、前世の話は絶対しないようにと皆が必死に元異世界人であると隠そうとしたけど、特に小さな子なんかはどうしても無理があり、周囲にバレることで様々なデメリットを被って、幾つもの事件が起きたという。それを教訓に子供にもこの現状を認知させる必要があると特別な授業が設けられ、実際そのお陰で身近に元異世界人がいなくても、僕の世代は彼らを当たり前のように受け入れられている。が、何ぶんまだ未発達な分野であることから、最早毎週のように学説がひっくり返ったりする。それを都度最新のものに改めるので覚え甲斐が全然なく、聞いていてつまらないのが正直なところだ。そもそも全世界が認めるに至ったのは元異世界人の証言に明らかな整合性があったからだけど、それがどうしてころころ変わるのか最初はとても不思議だった。今最有力な説は、向こうとこちらで時間の流れが違っていて、なおかつそれは不可逆というものだ。要するに僕らが平安とかの古い時代は無論、江戸時代の出来事だってよく分かっていなかったり、戦争の勝者が自分の都合のいいように捻じ曲げるのと同じ理屈だ。同じ時代から来ても出身国によって話が食い違うことも珍しくないので真実の追求はそれはもう、大変らしい。
 身近にヒナという存在がいながら、僕は異世界そのものには興味がなかったりする。だから大体いつも興奮気味の教師の話を聞き流して、隣の席に座るヒナの横顔を盗み見ていた。普段はアホの子って感じのヘラヘラとした顔が、この時だけは真剣な表情を浮かべるから。ヒナの友達はどこかに消えそうで怖いって漫画みたいなことを真面目な顔で言う。でも僕はずっと一緒だからこれからもヒナがいなくなるとは少しも疑っていない。なのでただ珍しいものが見れると、そんな軽い気持ちを抱き眺めている。最近しなくなったけど昔話を聞くのだって、なんとも思わないし。
 それより嫌だ、と思うのは、ヒナが遠くに行ってしまうことだ。別に違う高校に行ってもよかったのは本当だ。そうじゃなくヒナが今時の元異世界人みたいに、テレビや動画配信サイトに露出しまくること。エルフの血を半分引いていた彼女は特別美少女で、本気で活動しようと思ったら、絶対に引く手数多になる。元が長命な種族の影響もあると思っている幼い性格も、そういう意味でもさぞ魅力的に映るだろうし。ほら幼馴染がアイドルみたいになるのって気まずいしさ——。
 不意にヒナと目が合い、彼女はニコニコ笑うと黙って机の上でくるくるペンを回している僕の腕の下に紙を一枚突っ込んできた。これが家だったら鼻歌でも歌い出しそうな上機嫌な表情で、真正面に向き直るのを何となく見送ってから、僕は渡された四つ折りの紙を開く。

『放課後、お買い物行くの付き合って😊 ゆーちゃんセンスいいから期待してるよ😘』

 とスマホの顔文字に似せた絵まで描き、メッセージを縁取るようにカラーペンで装飾しているそれを、黙って眺めて。すぐに閉じ、ズボンのポケットに適当に突っ込んだ。普通にスマホを使えるのにアナログが好きなのは元異世界人だからか、単にヒナの好みというだけか。どっちでもいいと音が出ないように気を付けつつ、定規でノートの端を破るとシャーペンを手に取って、同じように折り畳んで教師の目を盗み、ヒナの制服の袖の中に突っ込んでやった。
 学術的にも娯楽的にも需要が高く、何かといい思いをするなと言われる元異世界人。顔が良ければ一生食うには困らないから、ネットでは元々天才的な才能を持つ人を指していた人生二週目、チート使いなどという呼び名は彼らを揶揄する言葉になった。一体いつ頃誰が言い出したか「俺ももし死んだら異世界に転生してチヤホヤされながら楽に生きるわ」というスラング。確かに人気に違いないけど、記憶が二重にあったりいつどこで何をしていても人目が煩い彼らの苦悩を少しも分かってないようで、僕はその言葉が嫌いだ。元異世界人だからって魔法が使えるわけでもないのにさ。
 研究者はこぞって、資源が豊富なヒナたちの故郷と行き来できる技術を開発すると躍起になっている。僕は密やかに、そんな未来がやってこないよう、ヒナが僕らと同じただの人として生きていけるよう。そうずっと願い続けている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?