神様という名の実像

 ——あたしはどうすればいいの。どうしよう。そんな言葉ばかりが頭に思い浮かんで、足は部屋の中を行ったり来たりするだけ。何もしてないのに汗が頬を伝ってきて、手の甲でぐいと拭った。学校の行事で大役を任された時と同じ、全身が火照ってクラクラとするあの感覚。心臓だって普段は全然意識することがないのに、ずっとうるさく響いてきて、地団駄を踏みながら自分に怒りたくなった。馬鹿馬鹿何やってんのよあたしって、でも本当にそんなことしてる場合じゃない。あたしが一人家でこうしている間にも遠くからずっと悲鳴が聞こえてる。密閉されてるはずの窓からは、変な匂いがしてる気がした。足を止めこめかみをノックし、目の前に半透明の情報用ディスプレイを浮かべる。障害が起きた時みたいにノイズが走ってて見えにくいけど、非常事態であることを告げるテロップが繰り返し上の所に流れていた。……多分これが戦争ってヤツだ。あたしは馬鹿だからよく判らないけど、頭が良くて、親が政府の高官だとかとにかく国のお偉いさんで、あたしには想像出来なかったような、この街の外がどういうふうになっているのかとか色々教えてくれるクラスメイト。あの子が言ってたことを思い出す。あたしたちの国はやり過ぎて周辺国の怒りを買い、みんな戦争を仕掛けるための準備をしてるって。他の子はあーあ、またいつものホラ吹き話だよって言って、あの子の言うことをこれっぽっちも信じなかったけど、あたしはそうは思わなかった。だってあたしは知ってる。学校で先生が教えてくれること全部が正しいわけじゃないって。だから、信じて怖いなと思ってたことが、今、現実に起こっているんだ——そう認めると少し落ち着いた気がして、すーはーと何度か深呼吸した。軽く自分の頬を叩く。……うんもう大丈夫。あたしはあたしにできることをしなくっちゃ。思って、目の前のディスプレイを消した。
 扉の前で手をかざして開くのを待つ。その一秒にも満たないラグさえもどかしかった。音もなく開いたそれを一息に踏み越えていき、あたしは廊下に出て辺りを見回す。流石に廊下に出て見張ってるってことはなかった。でもお父さんもお母さんも弟もみんな、この家の中にいるのは間違いないはずだ。でないとあたしに弟の世話を任せるか、危険を覚悟してでも家族全員で避難所に行こうとしただろうし。そうしないなら、家にいる方がまだ安全だと判断したんだろう。確かにロックさえ外されなければ、そうそう侵入されることはない。この国と周りの国は文化があまりに違いすぎて、使い方が分からないって言ってたし。……ロックなんか無視して家ごと壊されたらどうしようもないけど。それは怖いから考えないでおこう。
 危険が迫ってたらと思うと、音を遮断することは出来ないだろうと考え、靴音を鳴らさないように、抜き足差し足で廊下を進む。弟は静かだ。さすがにこの状況でぐーすか寝るほど無神経じゃないから、さっきのあたしみたいにネットを使ってニュースでも見てるのかな。じゃなきゃ、友達と無音通話してるか。どっちにしろ弟の方があたしよりもしっかりしてるから大丈夫。お姉ちゃんの体裁を守ってくれる為に、お母さんはいつもあたしに弟を頼むけど、でも実際にお守りされているのはあたしだ。下手をすればお父さんよりも頼りになるかもしれない。だから、あたしは心の中で弟に二人のことを任せて先を急いだ。一階まで降りてきたら今後は声が聞こえてくる。ちょっと立ち止まり聞いてると、それぞれ別の誰かに連絡してるみたい。本当にこのままでいても平気なのかとか、一体いつになれば敵の軍を制圧出来るんだとか。そんな話をあたしや弟の前では見せない剣幕でまくし立ててる。話してる相手の人の声は聞こえないけど、質問に答える隙も全然なさそうだった。きっと問い合わせが殺到してるだろうし、うちの親がごめんね、と誰も見てないけど手を合わせて、あたしは気付かれる気配がないのをいいことにそっとリビングの脇を通り過ぎた。
 玄関に行くとやっぱりというべきか、ロックがかけられていて、お父さんかお母さん、どちらか一人の認証がないと内側からも開かないようになっていた。ひと昔前は、これが生体認証で声紋や掌紋を使って照合していたらしい。もしそれなら偽装するのはかなり簡単だったんだけど、セキュリティー的な問題のせいで、生まれてすぐ脳に埋め込まれる端末のシリアルナンバーを参照するようになった。これは当てずっぽうだけじゃもちろん無理で、触れたらアクセスログが残るから、犯罪防止にもなっている。だけど、結局全部人間が作るものなんだ、だから当然、ホールはあるわけで——。あたしの脳にだけ響く声があたしの名前を呼んだ。

『——さま、ご命令により現在セキュリティーロックがかかっております。速やかに自室へとお戻りください』

 あたしは悪いと思いつつもその言葉を無視して、自分の端末からアクセスした玄関扉を経由し、家の保守・管理を担っているAIに直接干渉。データの海を探って見つけたアクセス権の記述があるファイルを開いて、あたしの端末権限を一時的に両親と同じ管理者に変更する。もちろんこんなこと、もしやろうと思っても、例えば駅や学校なら権限変更にも管理者の承認が必須で、それを試みた時点で即、違法と判断されて自動通報で逮捕されたりする。けどうちの親みたいに自分が使っている機械の仕組みがよく分かってなくて、利便性を重視した結果ちょっとの知識があればハッキング出来ちゃうザルなセキュリティの家は社会問題になるくらい、かなり多い。……そういうのに弱いところ知ってるから、あたしがしっかりしなきゃってそう思って今いる学校に決めたけど、こんな形で活かすことになるとは思わなかったよ。二人ともごめん。謝りながらバレないように偽装しつつロックを外して、あたしは遂に家を飛び出した。親不孝な真似をしてでも行きたい場所があるんだ。
 外に出て正面を見上げる。そこにはいつも通りちょっと遠い場所に塔があり、でも所々から煙が噴き出していた。誰にも傷付けられることがないようにと、一番頑丈にしてるんだと教わったっけ。だから、まだどうにか無事だけど遠くから魔法という技術を使った兵器で攻撃されていて、集中砲火を食らってて——もしかしたらそのうち崩れ落ちてしまうかもしれない。そんな不吉な予感がして苦しくなる。

「神様、どうか無事でいて……!」

 あたしは両手を合わせてそう懸命に祈りを込めると、でもそれだけじゃ救われるか分からないから、自分で何とかしようと歩き出した。ほとんど囁いたのに近いくらい、あたしの声が小さかったのもある。けどそれも自分の耳に届かないほど、街のあちこちにある機械が爆発する音や誰かの悲鳴がすぐ近くから聞こえてきた。部屋にいた時よりも生々しく、今この街が壊されているんだって、肌で伝わってきて凄く怖い。足は震えて、心臓はもう爆発しそうだ。端末があたしに警告を出す。誰かに襲われる可能性も、ドキドキしすぎて倒れちゃう可能性もどうだっていい。自分の身が可愛いなら元からあの部屋を出ようなんて思わないよ。
 神様どうか、見つかりませんように、見つかりませんように——祈りながら、いくら鈍臭いあたしも塔に辿り着くまでは死ねないと息を殺して、慎重に慎重を重ねて通りの隅を進み、あの塔を目指した。あそこの一番上には神様がいるんだって思うと、怖い気持ちと一緒にワクワクとする気持ちが湧いてきた。街の中にだって神様のことが嫌いな人はいて、その人たちに襲われるといけないから、神様のことは多分お偉いさん以外には内緒にしてる。あたしは男の人なのか女の人なのかも知らない。神様だしどちらでもなかったりその両方って可能性もあるのかな。よく分からないけど学校で神様の話を聞く度に、会ってみたいって思ってた。話なんて出来なくてもいいから、一目その顔を見てみたいって思ってた。それで、もし許されるなら、ありがとうって言って頭を下げたい。
 もしかしたら一生分の運をここで使い切ったのかもしれない。不思議と誰にも気付かれずにあたしは塔の前まで辿り着いて、しかもこの辺りは、人による直接の侵攻がまだ届いてなかったみたいだ。上は相変わらず凄い音が鳴っていて、足元も踏ん張らないと転んでしまいそうだ。耳も痛いので端末を操作して一時的に聞こえる音を小さめにした。と、扉の前まで来てふと気付いた。……どうしよう。これあたしに開けられるのかな?
 さっきあたしが自分で考えたことが返ってくる。駅や学校のセキュリティがしっかりとしてるのに、この塔の中に素人よりはちょっと知識があるレベルのあたしが入れるのだろうか。不安に思いながらも打開策が見つからないので、とりあえずはと触れて、それでセキュリティー以前の話と解り、さっと血の気が引く。ここかずっと遠い街にあるのかも知らないけど、サーバーがダウンしてるみたい。そもそもロック機能自体使用出来なくなってる。なんで家の方が無事で、ここが駄目なのか意味が分からない。けど実際そうなってるから切り替えなきゃ。あたしは意を決してそっと触れるとあっさり開いた扉の向こうへ足を踏み入れた。
 全く入ったことがないし、知られてもないしで、構造が分かるわけもないので適当にずんずんと突き進んだ。塔の内部は静まり返っていて扉のロックも機能していないくらいだから、あたしが歩いていっても進行方向に明かりはつかず、壁に手をついてその軌跡を透かすことで、光源を確保しながら一歩ずつ慎重に前へ進んでいった。もしこれが夜だったら本当どうしようもなくなってたな。街の中で明かりのない場所なんて絶対にないから、懐中電灯なんて古めかしいものは普通誰も持ってない。こういう緊急時に備えて、どこかに常備してるんだとは思うけど。探す時間も惜しいというのが本音だった。
 神様はこの国が国になる前からずっとこの塔にいて、それで一度も出たことがないらしい。……それってすごく寂しいことだ。外には面白いものがいっぱいあるのに神様はそのことを一つも知らないんだから。神様にだってあたしたちみたいに、遊ぶ権利はあるはずなのに。そう思うと苦しくなって、急いで更に前へ進む。揺れるたびに躓きそうになるし、手をついてるからバランスも取れないしでいつもよりもずっと歩くのが遅いけど、立ち止まりたくなかった。
 どれだけ時間が経ったんだろ。あたしは誰かに見つかるかもしれないけど、神様を見逃したくないから、一つずつ部屋を開けていって、なのに誰にも会えなくて、もしかしたら無事逃げたのかもって考えてた。だから半分諦めつつ扉を潜り、そして顔を上げて、息を飲んだ。
 ——真っ白なひとだ。最初に思ったのはそんなすごい頭の悪い感想だった。絵の具でもこんなきれいな色見たことがない、っていう青い青い瞳がゆっくりあたしの目を見返した。歳はあたしと変わらない。そういっても実際は神様なんだし、あたしの何百倍も生きてるんだから、間違ってるのは解ってる。けど子供みたいだなって思った。目の色だけじゃなく、顔とか手足とか、人と同じなのに全然違う。疑う余地なんて欠片もない神様。神様はただ玉座に座っている。ほんの少し、収まりが悪そうに。お礼を言う為に何とかここに来たのに、そんなことも忘れてあたしはつかつか歩み寄った。それから何も言わず手を引く。

「……!?」
「神様あの、逃げなくっちゃ駄目! 敵が、ええと、よく分からないけど今、この国は襲われてるの! このままじゃ、神様も殺されちゃう。だから、あたしと一緒に逃げよう!!」

 一息に言って引き寄せようとする。でも神様はあたしに触られてない方の手で玉座の肘掛を掴んで、黙ったまま首を振ってあたしのことを拒絶する。どうしてなのとこんな時なのに悲しい気持ちになった。神様からすれば知らない人間が連れ出そうとするんだもん。怖いのは当然なのに、頭では分かっていても気持ちがついてこなかった。掴んだ手は少し冷たくて、神様が振り払おうとしてくるのにあたしは食らいつく。そのきれいな真っ白の髪を振ってまだ拒む神様。まるで、死んでしまいたいって思ってるみたいだ。このまま国と一緒に心中する気なの? 想像したらあたしまで、手や足の先が冷たくなる。

「駄目……駄目だよ。神様だって何も知らないじゃない。この街のことも何も」
「…………」
「ここからでも外の景色は見えるかもしれない。でもあそこのお店のアイスが美味しいとか、どんなデザインの服装が今みんなの間で流行ってるのかとか、何を食べてるとかきっと、そういうこと全部。全然神様は知らないのに、終わらせるなんて駄目。イヤだよ」

 とにかく必死だから、自分でも何を言ってるのかよく分からなかった。でも神様の顔が苦しそうに歪んだのは見えた。実は嫌なの、それとも迷ってるの。何も言わないから何を考えてるのか判らない。でもあなたがあたしと同じ心を持っていることは解る。

「それにあたし、お礼を言えてない……神様がここにいてくれたから、あたしは今ここにいるんだ。あたしはこの街で一人、生まれる前に死ぬはずの人間で……あたしはみんなとは違うから」
「……!!」

 あたしが端末を操作して、ありのままの姿に戻ると神様は驚きに目を見開いた。けど気持ち悪がらなかったことに内心ほっとする。神様にも嫌な顔されたら、あたしは壊れてどうにかなってしまったかもしれない。
 ……突然変異なのか遺伝子操作を間違えたのか、あたしは失敗作として産声をあげるよりも先に殺されるはずだった。でも神様が判断を仰ぎに来た医者か何かの話を聞いて、殺すべきかって問いかけに首を振った、そのお陰であたしは命を貰えたんだ。怖がられるのが嫌で、家族に迷惑もかけたくなくて、自分の好きなようにすればいいって言ってくれたのを断って嘘の格好でいるけど。そもそもその選択すら神様がいなかったら出来なかったんだよ。だから、ありがとう。そんなことを小さな破片が降り注ぐ中で言ったんだと思う。全然覚えてないけど。

「生きよう。ここを出て逃げて、それでもう一度戻ってくるの。そうしたらちゃんと街を見て。神様がいてくれたお陰で在るこの街のことを……」

 無理強いは出来ないからあとは祈るだけだ。あたしが黙っても辺りは騒々しい。塔が揺れて、軋む音は誰かが泣いている声みたい。

「……おれなんかが、生きていいのか」

 幻聴と思った。思ったより低い声がそう言って、あたしの目をじっと見返した。塔が神様の代わりに泣いてるんだって思うくらい神様は泣きそうな顔で笑ってる。あたしは少しも迷わず頷いた。

「あたしの為じゃなくっていいの。神様は自分の為に生きて。言いたいこと全部、言えばいいんだよ」
「……ああ……」

 ぽつり神様が呟く。視線は遠く、壁の向こうを見てるよう。神様はここに来るまでどこにいたんだろ。何故だかふとそんなことが気になった。

「ただ、それだけでよかったんだ」

 声が掠れているせいか、疲れた、でも晴れやかな声だった。神様はあたしに手を掴まれたままゆっくり玉座の上から降りて、あたしの手を握り返した。ちゃんと温かい。心地よさに笑うと、神様も笑い返す。凄くきれいな顔にほっこりした。と、そんな場合じゃないというようにドシンと一際大きい地鳴り。あたしは転びかけた神様を抱き留め、それからもう一度手を握った。離さないように、ちょっと強く。

「神様、行こう」
「ちょっと待て」

 歩き出そうとしたら思いっきり引っ張られて後ろに引っくり返りそうになった。でも神様が申し訳なさそうな顔をするので怒るのはやめとく。

「おれのことは神様じゃなくて名前で呼んでほしい。おれは——」

 その唇から紡がれた名前をあたしはしっかりと胸に刻み込んだ。分かったと言って早速名前を呼べば、彼はまた嬉しそうに笑う。
 あたしも神様も自分らしく生きよう。その為にも今を生き延びなきゃと、あたしと彼は顔を見合わせ、そして未来の為の第一歩をようやく踏み出した。

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