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一度認識してしまうと、常に目に入ってくるマイコンビル。

『2014年夏から2016年夏に撮られた写真から、当時の二年間の金沢生活を振り返り、想い出を記録に定着させる写真で二言三言。』

今となってはGoogleマップという文明の利器が整備されているので、どこに行こうが道に迷うということもなくなったが、この文明の利器がまだ充分整備される前の10年前くらいまでは、地図が読めない男として自他共に認めるわたくしとしては、知らない土地を歩くときには特に特徴的な建物を記憶しておき、道を間違えたときはそんな特徴的な建物を頼りに来た道を戻るような緊張感に苛まれながら目的地へと向かうようなことをしていたのである。

写真のビルは広くて見渡しの良い県庁通りを歩いていると2015年当時は必ず目に入ってくる建物であった。
今現在Googleマップで調べても出てこないのだが(解体されてしまった?)、建物の名前は『マイコンビル』。
ビルの最上部にデカデカと文字看板が出てるので、おそらく間違いはないと思うが、屋上に備えられているいつ飛び立つとも解らぬロケットのオブジェがまずは気になったのだが、それよりも深くわたしの記憶に刻まれたのは『マイコン』という文字である。

『マイコン』と聞いて話が通じるのはおそらく50代半ば以上の年齢層ではあるまいか?
今となっては全ては『パソコン』に置き換わられてしまっているが、というかそもそもパソコンも通じないような気もしないではないが、マイコンとは『マイクロコンピュータ』の略である。
わたしがはじめてこの『マイコン』という言葉を認識したのは1970年代後半。
街の本屋さんでNECが販売を開始した「TK-80」の書籍を目にしたときである。

現在のパソコンとは似ても似つかないというか、パソコンの中身の基盤を限りなく簡略化した基盤の緑色がなにやらやたらとミライを醸し出していたただの部品である
しかしそんな部品一つで様々な「演算処理」(そんな言葉もこの時にはじめて知ったのだが)が実行可能ということで小学校の中学年だった当時のわたしには、得体の知れないなんとも魅惑的な板に写ったのである。
このTK-80の発売を契機に当時マイコンブームが勃発したのだが、計算機の右も左も解らない小学生には、ワケもなくワクワクするだけで、緑色の小さな基盤を親を説得して買ってもらうだけの知識もなかったのである...(遠い目)。

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