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ピザよりも先に口にしていた昭和の喫茶店育ち。

『2014年夏から2016年夏に撮られた写真から、当時の二年間の金沢生活を振り返り、想い出を記録に定着させる写真で二言三言。』

前回同様、2015年9月の東京出張時の写真から。
わたしの両親は共働きであり、母は当時電電公社と呼ばれていた現在のNTTで電話交換士の仕事をしていたことから、月に何回か泊まりのシフトが存在した。

泊まりの時の母はいつもより遅い時間(といってもわたしは学校に行ってる時間帯なので実際出勤の姿の記憶は無いのだが)に出勤して一晩仕事をして、翌朝8時くらいに開放されるというタイムスケジュールであったはずだ。

また、小学校時代を通して父は単身赴任で平日は家におらず、金曜の夜に帰ってきて、月曜日の早朝に家を出るという生活をしていた。
そんな両親の元で、我ながらよく道も外さずにまっとうに成長できたなと自分のスペックの高さに自画自賛なのだが、そんな父がいる週末に母の泊まり明けが重なると必ず父に連れられて、母を迎えに行くという習慣があったのだ。

泊まり明けの母と電電公社のビルの前で合流し、家に帰るのではなく喫茶店へ3人でモーニングを食べに行くのである。
ちょうどわたしの両親の世代は喫茶店文化で育った世代であり、そこに生まれも育ちも昭和なわたしもチビ助ながら同席させられていたのである。

そんなことを幼少期から繰り返していたことが、後の喫茶店での軽食や洋食好きに繋がって行ってしまうのだが、この写真の『べにしかの元祖ピザトーストセット』のメニューの写真をみて思い出したのだが、おそらくわたしと同じような世代には共通していることだと思われるが、ホンモノのピザを味わう前に『ピザトースト』の方を先に味わっていた世代なのである。
なので、ピザトーストに慣れた舌であったところに、はじめてピザというモノを目にした時にはこの同じにして異なるモノはいったい何なのだっ!?
と衝撃を受けた貴兄はわたしだけでは無いはずである。

ちなみに写真の通りピザトーストを始めて提供したのは今なお残る有楽町の老舗喫茶『紅鹿舎』ということである。
今でも昭和のあの当時の喫茶店が提供していたピザトーストの味が『紅鹿舎』で味わえるのだ!

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