見出し画像

嫌われる勇気 アドラー心理学

ご無沙汰しております。
阿部でございます。

この間お父さんと二人でご飯食べに行った際に今までは使ってなかった敬語がなんとなく出てきた
大人味を感じたよなんだか


今日お話するのはアドラー心理学について

画像1

超ざっくりとこの本を噛み砕くと
どうやったら気楽に幸せに生きれるのかね
人生ってどうやったら上手くいくかねっていうお話


目的論 原因論

僕は大学で心理学を専攻していて、
アドラーとかソクラテスとかプラトンみたいな哲学をつまみ食いのように触れてきた
「猿でもわかるソクラテス」みたいな本を読んだのではなくて、原著を辞書引きながら訳わからないなりに理解してきた

今日読んだ「嫌われる勇気」っていうアドラーの本に書いてあることは自分にとって真新しいものではなくて、以前から自分が実践していること
本や哲学者と出会うまでもなく自分が実践していたことが多くて、知識が身体にスッと入ってきた

本来は学生の頃に意識のどこかで学んでたことで、自分で考えにたどり着けたわけではない可能性ももちろんある
でも自分で見出したと思いたい、カッコつけたいだけかもしれない(今の生き方は自分で作り上げてると今でも思ってるけど)


で、これまでは前置きで
この本に何が書いてあったかって言うと

画像2

原因論と目的論っていうお話

カフェで店員さんにお茶をこぼされて、かけられて定員に怒鳴る男性がいたとする
この男性のとった行動はお茶をかけられて怒っているから、怒鳴っている
原因論の考えではそういうふうに考える

目的論では怒っているから怒鳴るのではなく
怒鳴りたいっていう動作に怒っているっていう感情を理由にしただけだっていう捉え方をする

お茶をこぼした店員さんに悪気なんてあるはずもなく、お茶をこぼした後は謝罪とお手拭きと、クリーニング代を支払うなんて事を考えているかもしれない
今回お話した怒鳴るっていう動作はつまるところ相手を屈服させたいという目的があって、そのために怒鳴っているだけなんだ


目的論は、さっき話した僕が元々知って実践していた事ではないけど
これは面白い考え方だよね

原因論、目的論のどちらが正解とまでは思わないけど
両方ともを理解しておくべきだと思う


でね、ここからが本題
僕はここ1年以上兄と喧嘩をしてるんだ

兄が「お前うざいんだよ」の一言とともに胸ぐら掴んで壁に押し付けてきた
僕の首に2週間くらい残る痣ができてそれ以来喧嘩しっぱなしなんだけど

兄の行動の原因は
・僕が兄を無視してしまったこと(ノイズキャンセリングのAirPodsつけて電話してたから聞こえてなかっただけなんだけども)
・以前から部屋での電話の声が大きいこと
・当時兄からお金を借りていたのにもかかわらず、僕パチンコ屋で見かけたこと
・母が兄に対してあたりが強いのに僕には優しいこと

両親、姉から聞くところによるとそんなもんらしい
(同時期に兄は仮想通貨でやらかしたらしくて、その怒りをぶつけてきただけだと思ってたけどね)

僕は誓って兄を怒らせようと思って行動していたわけでもないのに
もう30になる兄が暴力をふるってきたことに衝撃を受けて
この人と関わること辞めよう、そう思ってた

でも今日知った目的論からすると
兄の怒りはなにか目的があったはずで
僕と兄が未だに口を聞かないことにも目的があるはず

兄は僕を屈服させたい、そんな気持ちで怒りを利用して暴力をふるう
それは何ら新しい気付きではなかったけど

その後喧嘩を継続してるのは
「母の愛の取り合い」
をしてるんだと気付かされた

母は末っ子である僕に対して優しく、長男の兄には厳しい
「電気をつけっぱなしにすると俺は怒られるのに、末っ子のカズキは怒られない」
そんな事を兄は考えているらしい

僕に言わせるとそれは末っ子だからではなくて
日頃の母との関係性が起因していると思う

僕は母に愛されるように、ごはんを作ってもらったらどんなものでも美味しいと言うし日頃の気遣いを忘れない
兄は出されたご飯に対して「まずい」とか調味料を足したりする、なんなら食べない事も見てきた

僕から言わせると食事に関してだけではなくて、兄は母や他人への気遣いを怠ってる
兄を否定したいわけではなくて事実として(僕は兄自身を優しい人間だと今でも認識している)


で、喧嘩を継続することで、特別な兄になれるわけだ
母から僕への寵愛を奪える、って思考なんだろうね

ぜんぶ腑に落ちた
イライラしたくらいで兄は手を出してくるとは思ってなかったし
事実暴力的な人ではあるけれども
喧嘩を継続しなければならない理由なんかなくて
仲直りしようと歩み寄っても突っぱねるのは母の愛が目的なんだろうなって


物事をいろんな側面で考えられるのって面白いよね


自分の人生を生きる

この「嫌われる勇気」って本では主に4つだか5つのことについて語られている

先に話した「原因論目的論」の他に、「嫌われる勇気」っていう題目がある
人の評価を気にするあまり自分の人生を生きれていない人
僕が知っている多くの人がこれ

自分しか愛せず、横暴で、不安定な人たち

共同体意識をもって全体幸福みたいな考えを持てればいいのになあ
他人を愛することが自分を愛することなのに
自分だけへの愛なんて、そんなの愛じゃないのに


もうnote書くの疲れちゃったから
この題目については詳しく解説しないから
知りたい人は本読むか直接僕に連絡してくれ


自由を選択して人生を生きている僕は、そう生きれない兄にとっては目の上のたんこぶなんだろうな


僕がこんな事を言うのは未だに兄から嫌われて母の愛を独り占めしたいと考えているからなのかもしれない



元気ないこのnote読んだ人がいたら
スタンプだけでもLINEしてよ
ご飯でも食べに行きましょう

アドラー曰く、刹那を全力で生きる、それが大事らしいよ

僕は今自宅でシーシャを吸って、紅茶を飲んで、音楽かけながらnoteを書いています

僕と周りの人のことは、僕が幸せにしてみせる

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?