バームブラック

紅茶に浸したドライフルーツ、温めたミルク、溶かしバター、シナモン、ナツメグ、クローブその他もろもろのスパイス、こんがり焼けたケーキ生地。

 エミリア小母さんの作るバームブラックの甘くて、香ばしくて、何だかこんがらがった匂いは、ずっと僕たちの悩みの種だった。だって、僕たちの誰ひとりとしてその御相伴に与ることはとうとう無かったのだから。そのブラックバーンは、唯ひとり、エミリア小母さんのナイトのためにだけ拵えられるのだから。
 遠い昔のハロウィンの日、エミリア小母さんがバームブラックに小さなボタンを忍ばせたのは、ふたりの未来を案じたと言うのでもなく、ほんの悪戯心からだった。ああそして、エミリアお嬢さんと結ばれるはずだった青年は、たまたま偶然にそのボタンを引き当てて終ったんだ。両家の親類が会したささやかなホームパーティに、重苦しい沈黙が降りた。でもエミリアお嬢さんのナイトたる青年は少し困った様な顔をしながら、エミリアお嬢さんの小さな手を握って優しく慰めたんだ―なぁに、ただの占いじゃないかって。
 次の春が来て、独立軍の徴用に応じた青年は祖国の自由を守るための苛烈な戦いに身を投じた。青年はエミリアお嬢さんのナイトに相応しく勇敢に闘った。数え切れないほどのブリトン人を手に掛けた。その報いとして卑劣な叛逆者の汚名を被せられ、断頭台を赤い血で染めたんだ。
 それから五〇と幾年、エミリアお嬢さんはエミリア小母さんとなり、すっかり髪も白くなった今も、ハロウィーンがやって来る度にあのたったひとりのナイトのためだけに焼かれるバームブラックは、僕たちの魂と鼻腔をもどかしく擽り続けた。エミリア小母さんはもう指輪だけを入れた。どこをどう切り分けたって正しく指輪が出て来るのだった。
 そしてその夜、不気味な首無しのナイトがエミリア小母さん家の戸を叩いた。エミリア小母さんは、からからに乾いた骨と皮ばかりの首無しナイトがあの青年である事を少しも疑わなかった。「さあ、バームブラックをどうぞ」この度、見事に指輪を取り出したナイトは、それをエミリア小母さんの薬指に嵌め、月明かりに白い指先にキスをした。(どうやって?―僕はただ見たままを話しているんだ!)「私と結婚して戴けますか?」皺くちゃのエミリア小母さんの頬に薄く朱が点した。「ええ、もちろん」快諾を受けた首無しのナイトは掻っ攫うみたいにエミリア小母さんを馬の鞍に乗せ、暗い夜道を一目散に駆けて行った。

―つまり僕たちは、永遠のお預けを食らっちゃったってわけさ!


#短編小説 #ハロウィーン #お菓子 #ゴーストストーリー

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