子どもの頃の記憶: 女を毛嫌いする母①

母が私の女性である部分を毛嫌いする出来事が
本当にたくさんあって
ひとつひとつが私にはとてもつらい記憶なのだけど
お焚き上げの気持ちで書く。

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小学校低学年くらいまではなんとかなっていたが
それ以降の年齢になると不可避なイベントが起こる。

ひとつは下着問題。
私は母にブラジャーを買ってもらえなかった。
(すごく珍しいパターンかと思っていたけど
 「それ、毒親あるあるなんだよ」と言われたことがある。そうなのか?)

小学校高学年くらいになると少しずつスポブラみたいな下着をつける子が出てくる。

母は
「あんなのいらないわよね」
「小学校のくせに生意気だわ」
などと言っていて
それに対して私が何か言える雰囲気はなかった。

あんなのいらないわよね、とヒステリーに燃えてる母に返す答えは「うん」しかないに決まっている。

それでも中学生になり、身体つきもかわってくる。
胸も少しは出てきて、目立つようになる。

それでも母はいらないと言い続け、
違和感には気付かないふりをした。

私が何か言い出そうものなら
空気がピリついて決して言葉を続けることは許されないという状況になる。
それでも話し続けようものなら
人格を否定される暴言を投げつけられて
自分がボロボロになるだけなのだ。

はたから見たら
そんなにわからなかったのかもしれないが、
私は胸が人目につくのが嫌で
制服の下に何枚もTシャツを着て
いつも猫背で肩を寄せて
できる限り縮こまる。そんな姿勢がくせになっていた。

一日に何枚ものTシャツを洗濯にだすと
母に怒られるから
洗濯にだすのは1枚だけにして
やりくりしてきていたような気がする。

そんなの、気付かないわけがないのに
母は気付かないふりをしていた。

ひとつだけ中2くらいのときに
確か、クラブの宿泊学習のようなときに
荷物リストにブラジャーが入っていて、
顧問の先生が荷物チェックをするから持たせなければいけない、
というような千載一遇のチャンスがきた。

母はひとつだけブラジャーを買ってきた。
サイズもあってなくて、安売りの申し訳程度のものだったと思うが、本当にありがたかった。

私にとっての命綱みたいなものだった。

それから、わたしはそのブラジャーを使い続けた。
洗濯に出すと次の日は使えなくなるから
平日はずっと同じものをつけていたと思う。

母は清潔が大好きな潔癖な人だったので、
父と弟の前で
「こいつは同じ服を何日も着ているんだ汚い、不潔だ!」
とヒステリックに叫ばれた。
でもそれが何なのかは言わない。

替えがないことも、知っているのに
その部分は見ないようにして
私の気持ちを考えず知らないふりをして
私を罵り蔑むことだけはやめなかった母の気持ちが
私にはどうしてもわからない。

あの人は私のことが憎かったんだろうか。

今の私はあのときの母と同じくらいの年代だと思うけど、他人の子に対してだってそんなひどいことできないし言えないと私は思う。

だから理解ができなくて、共感もできなくて
悲しさとやるせなさだけが残る。

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