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三十二の数字の男

数字は人生に付きまとう

人生に数字はつきものだ。まず生年月日に始まり、成長するにしたがって幼稚園や小学校で席順とか、何かしらの番号が与えられる。そこからその人に関連する番号はほとんど無限に広がっていく。子供の頃に子供が知っておかなければならない数字は、最初に誕生日に、次に年齢くらいだが、そのあとは自宅の電話番号、中学生なら自分のスマホの電話番号などが記憶しておかなければならない番号となる。必要な記号や番号はどんどん増えていくが、その中には公開しない番号や記号、つまりパスワードなども含まれる。そのように考えると、昔と比べて知っておかなくてはならない番号や記号は膨大なものになる。

そして高齢になると、今度は逆にこの数字に悩まされることになる。必然的に今の時代の数字の氾濫に高齢者が対応できるはずもなく、大切なものを保管しておく箱かファイルの中に、買い物を買った際のレシートやチラシの裏側に書かれた無数の数字が蓄積していく。こうなると実質的に数字は管理されるはずもなく、やがて高齢者は数字そのものを捨てなくてならなくなる。高齢者になると知っていなければならない数字は、家族の誕生日、電話番号、亡くなった親族や家族の亡くなった日、年忌の数字くらいになる。

覚えておかなければならない数字は?

さて私の両親はすでに亡くなっているが、かつて両親から私には32番という数字が与えられていた。本来ならば、私が記憶しておく必要がある番号だっと思うのだ。しかし、両親から私が直接伝えられたことではなく、父がなくなり、しばらく後に母がなくなり遺品を整理していたとき、私たち兄弟ごとに名前が書かれた袋が残されていて、その中に大切なものが残されていた。へその緒や、子供時の通信簿、幼稚園から高校までの卒業証書や卒業アルバムといったものだった。それに加えて私のすぐ上の兄には、国連主催の絵画コンクールの受賞の賞状など、記念となるものが収められていた。押し入れの中に大きな木箱、おそらくお茶の箱だと見受けたが、その中に兄弟一人一人の分の厚紙でできた洋服箱のようなものに収納されていて、シミや害虫で痛まないように、防虫剤が添えられていた。

他の兄弟のことは知らないが、私は私に残された貴重品をチェックしてみたが、へその緒、学校時代の物に加えて、小学校時代の私が書いた小説らしきものもあって、思わず苦笑してしまった。すべての物は懐かしいのだが、同時に苦い思い出を伴うものもあって、それが何かと分かった時点ですぐに箱に戻したり、箱から出してちょっと眺めてから箱に仕舞って、しばらくしてからまた箱から出してみたりと、自分でも訳の分からない行動をとっていた。そんなことを繰り返しているうちに、箱の中にちょっと由緒がありそうなしっかりした袋に入ったものが出てきた。由緒があるというのは、シボの入った和紙に包まれていて、袋の裏に達筆で読めない文字で名前が書かれている。さっそく包まれている和紙を解くと、一枚の色紙のようなものが出てきて、そこには私の名前と生年月日が小さく書かれていて、真ん中には漆黒の墨色で「三十二」という数字が書かれている。

失われた32という数字

それだけではこれが何とも判断もできず、せめてものヒントを得たいと東京にいる年の離れた長兄に電話して、「三十二」の文字ががかれた色紙のことを尋ねてみた。幸いにも長兄はこの色紙のことを知っていて、うろ覚えだがと断っていろいろと教えてくれた。私の両親は、占いを信じるタイプではなかったが、たまたま安倍晴明の血を引くとか、あるいは晴明と何か深い縁があるらしい日本有数の占い師と出遭う機会があって、その人にわが家の運勢を占ってもらったという。その人が、兄弟の中から私を選び出し、私が32歳の時にわが家に関するすべての運気が私を軸に急速に集まり、永劫の繁栄を誇る家系になると占ったのだそうだ。その時に占い師が書いたのがその色紙で、実はその色紙に添えて、その運気を解説する易経に関する文書があったはずだが、それは知ったかぶりする親戚の年寄りが持って帰ってそのままになっている。
だから、「三十二」の運気の背景もわからずしまいになっていて、両親も私が32歳になる頃まではたまに話題にしていたが、32歳になっても私が鳴かず飛ばずなので、いつの間にか忘れられてしまったのだそうだ。32は私にとっては覚えていなくてはならない数字ではなく、失われた数字だったのだ。



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