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相手が機械だったら、これでいいの?

必要もないのに、自動販売機が増えてきた

最近は、店頭で店員からモノを買うのではなく、「自動販売機」で買う機会も増えた。相手が人間だったら、失礼な態度の場合は怒るが、機械が不調な場合は、仕方がないとあきらめることが多い。例えばそこで、機械と人間とのやり取り、もっと簡単に言えば「自動販売機」とのやり取りをシミュレーションしてみる。そこには、人間同士ではありえない、無礼なやり取りがあると思うのだが、いつも人間が我慢しなければならないのだろうか。
一応、ある程度リアルなシミュレーションにしたいので、「自動販売機」で煙草を買う場合を想定した。私は煙草を吸っていた頃も、煙草を自動販売機で買う場合に必要だった「何とかカード」を使ったことがない。しかしここでは私もカードを持っていることにして話を進めたい。

自動販売機の中には、おっちゃんが住んでいない

何をしようとしているのかと言えば、「自動販売機」を現実の煙草やさんのおばさんに置き換えて対話を試みるのだ。まず私が「何とかカード」をおばさんに提示して、「煙草を買いたいんです」と申し出る。おばさんは何も答えない。次に私は買おうとしている「キャメル4㎜」の煙草のところにあるボタンを押して、その煙草の価格である430円を「自動販売機」のコインの挿入口に入れる。これで430円は、確かにおばさんの懐に入っているはずだが、煙草も出てこないし、おばさんは何とも答えない。
私はイラっとして、それだったらもういいです。「この店で買うのは止めますので、お金を返してください」と言ったのだが、おばさんは相変わらず何も答えない。「おばさんは私のお金を返してくれないのだ!」と理解した私は、ここにいたって堪忍袋の緒が切れ、私は「自動販売機」を社会的通念として許される範囲の軽い打撃、つまり足で自動販売機を蹴った。

普通は「自動販売機」は、これしきの打撃は想定済みで、一切反応がない。ところが、自動販売機の中でお金がどこかで引っかかっていたのか、私の軽い打撃に反応して、挿入したお金がコインの返却口にポロンと返ってきたのだ。これだけでも相当に無礼なので、私は「もう煙草はいらないので、お金を返してくれ!」と言ったのだが、おばさんは黙って金だけを放り投げてきたことになる。ここで、私がお金を受け取って帰ればよかったのだが、ここまでじらされると煙草が吸いたい気持ちは嫌が応にも大きくなっていた。結局私は怒りより、煙草が吸いたいという気持ちに負けて、また「キャメル4㎜」の煙草のボタンを押した。しかし正しく言うと、つまり間違って「キャメル4㎜」の隣に提示されている「キャメル1㎜」のボタンを押したのだった。もちろん、返却口に戻ってきた430円を使って。そしてそういった悪気のない私の手違いがあったので、「自動販売機」の取り出し口に落ちてきたのは「キャメル1㎜」だった。

人間と機械との取引では人間は弱い立場

当然私はそんなことを受け入れられないので、私はおばさんに、「うっかりボタンを押し間違えた!その煙草は間違っているので、「キャメル1㎜」をください!」と訂正のメッセージをおばさんに叫んだのだった。しかしおばさんは何も言わない。じっと黙っているばかりだ。私は、自分で「キャメル4㎜」を注文したが、それは間違っていた。そこで前の注文を取り消して、値段はまったく同じなので、新たに「キャメル1㎜」への交換を依頼したのだ。しかし、おばさんは一言も言葉を発しない。私は辛抱強く待っていたが、全く私の要求は受け入れられない。もしこの状況が、人間と人間のやり取りとして私の身の回りで起これば、人間は感情の生き物だから、クレーマーの抗議ぐらいでは済まない大騒ぎになるだろう。しかし、人間と人間ではなく、機械と人間の場合は、圧倒的に人間が弱いのだ。人間に要求されるのは完璧な発注と完璧な支払いだ。それを一歩でも踏み外せば、責められるのは人間の方だ。

売る人と買う人の感謝の上に成り立っているのが「商い」

機械化が進んだのだから、機械の不備・無礼、販売者のホスピタリティの欠如については、私たちが我慢しなければならないというのが、文明人に求められる時代の要請だ。しかし私はこのシミュレーションを通して、私たちが一方的に機械の優位を認め続けるのは間違っていると思うのだ。機会が出張るのは限界がある。機械が決してしゃしゃり出てはいけない領域があるのだ。
例えば人間の商いというものは、買う人と売る人の感謝の上に成り立っている。それはどんなに受発注のシステムがIT化、機械化されても決して忘れてはならないことだと思う。買う人、売る人の感謝が少しでも揺らげば、商いは成り立たない。圧倒的に優位性を持った販売者が、なかったら困るでしょう。だから売ってあげるというスタンスを持ち、商いは一種の配給制度に成り下がってしまう。
世の中の受発注のシステムが変わると、届ける荷物を平気で玄関先に放置していく配達業者が時折り話題になるが、それはまさに私が言う販売者が訳のない優位を、当然のことのように感じ始めていることの明らかな証明だと思ってしまうのだ。

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