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ライフストーリーワーク①乳児院編―前編―

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ライフストーリーワークhttps://note.com/preview/nb083bb93821f?prev_access_key=b01f1e1247e995351d501494a59b11d







実母の顔を知らない。

僕は人間だから実母から生まれたのは間違いないのでどこか記憶の片隅にあるはずなのだが、覚えてないというより知らないのほうがしっくりくる。

自分の乳幼児期のことをどれくらい覚えているだろうか。僕が確実に覚えているのは自分が“乳児院”にいたということ。おそらく1歳か2歳の頃に預けられたのだと思う。預けられた記憶はなく、気がついたらもう乳児院にいた。だから何の疑問もなく当たり前のように親以外の人や同年齢の子どもに囲まれそこで暮らしていた。

乳児院とは、児童福祉法が定める「児童福祉施設」の1つ。
乳児院は原則的には1歳未満の乳児は乳児院への入所となり、1歳以上18歳未満の子どもは児童養護施設への入所となる。
ただし、平成16年の児童福祉法改正によって、安定した生活環境を確保するために必要がある場合は、乳児院に1歳以上の幼児を入所させることができ、同様に児童養護施設に1歳未満の乳児を入所させることも可能になりった。

※ここで記憶に矛盾が生じる。当日の児童福祉法では乳児院は1歳未満の乳児しか入所できない。でも確かに“〇〇乳児院”という施設だった。おそらく、同じ施設に児童養護施設か幼児寮なるものが存在していたのであろうと考えられる。


他にも覚えていることがある。

仲のよかった子たち。“えっちゃん“と“まさみちゃん”。あと職員の“みかんちゃん”と“だいちゃん”。
断片的に誕生日会や朝の体操、職員の言葉も覚えている。社会的養育をうけて健やかに育ったのだと思う。寂しい思いをすることなんてなかった。

年子の兄弟がいた。
兄と妹と弟の4人兄弟。もちろんみんな同じ施設に入所していた。
子どもが施設に入所しているのに2人目、3人目を作る…みなさんはどう思うだろうか?
実際には「よくあるケース」だと思う。
例えば離婚して養育困難で施設に子どもを預けた後に、再婚した相手との子どもを作るとか。他にも。このあたりはまた別の機会に。

話を戻します。

頻度は覚えていないが、所謂「面会」というものがあった。当然、幼児だった自分が望んだ訳ではなく、大人同士の合意で設定されたもの。もしかしたら僕の意思確認はあったかもしれないが記憶にない。乳幼児期の子どもの意思を尊重するのはとても困難。これは僕の実体験なので、僕は“子どもの意思を尊重する”という行為(特に低年齢)にかなり慎重になる。

面会相手は「父と母」。父は紛れもなく実父だが、母は父の再婚相手。誰に教えてもらったわけではないのに、たまに会いに来るそこにいる2人が父と母なんだと認識したのはいつであったのかは覚えてない。

記憶が定かではないが、就学すると同時にみんな施設を卒園していった。毎年のように卒園式があり、豪華な食事が並んでいたのを覚えている。
兄が5歳になり卒園の年。なぜか自分も一緒に家に帰ることになった。妹と弟は施設に残った。このあたりの理由はわからない。順番に卒園すると思っていたので、少し寂しい気持ちと家に帰れるという嬉しい気持ちが混同していたことを記憶している。


家に帰る。いま思えば施設での面会、数回の外泊などの交流でその親の本性をわかった気でいるのは危険。虐待が疑われる、前科があるという親を簡単に信じてはいけない。









後編に続く。

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