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ピュアリィ飼育日誌 23日目【R-18】

今日は21時に帰宅。一日の激務を終え、まるで背中に悪霊がのしかかっているかのような重い倦怠をぼくは感じていた。

玄関ドアを開けると、その音を察知したのだろう、リビングの奥からピュアリィが走り寄ってきて、僕の前でちょこんとおすわりした。

今朝、この場で「いってきます」をした時よりも年老いた風体で戻ってきたぼくを見て、ピュアリィは「ピュ?」と小首を傾げたが、それはぼくの背中に取り憑いた悪霊を祓いさらうに不足ない愛らしさであった。

ああ、この子を拾った日のことが最早懐かしくも感じる。その日を回顧するにも、もう1ヶ月近く遡ることになるのか。

ぼくがピュアリィと出会ったのは、出社日の朝、通勤経路にある街路の路地裏だった。路地裏の漆黒の中に、今にも溶けそうな白い姿を見たのを思い出す。

近寄ってみると、そこには泥にまみれた白毛の動物が居た。まるで子犬のような風貌だが、どこかファンタジーの世界から飛び出してきた動物と言われた方が得心のいく、そんな不思議な外見だった。

ぼくはどこか惹かれるものを感じて、その子へと無意識的に手を伸ばした。

差し出されたぼくの手に対して、その子も初めは反射的に身を退いていたが、野性的な警戒心とは裏腹に何かに飢えていたのだろうか、やがてぼくの指に鼻先を寄せた。暗がりの隘路で僅かな光を求めるように。

同様に、ぼくも無産的に消費される日常の中に、一つの光明を見た気がした。故に、ぼくはその子を捨て置くことができなかった。

その日、ぼくは初めて会社を仮病で欠勤した。

その子の名前は「ピュアリィ」にした。きっとそんな名前に違いないと思いながら名付けた。

ぼくとピュアリィの生活は初めこそギクシャクしていたが、互いの心の壁を一つずつ取り払っていき、最近はスキンシップも格段に増えた。

互いの中で互いの存在が膨らんでいく、そんな充実した1ヶ月を走馬灯のように振り返りながら、ぼくはピュアリィの高さに目線を合わせた。

疲れを感じさせないような快活さで、主人の帰りを告げる。

ただいま。
ピュ!

ピュアリィとの幸せに満ちた日が、今日も、いつものように、何事もなく過ぎていく、そう思っていた。

しかし、ぼくとピュアリィとの関係性が徐々に変質していたことに、ぼくは気付いていなかった。そして、その変質は今日この日をもって決定的となる。

それは、ピュアリィと一緒に風呂に入った時の出来事だった。

ピュアリィと一緒に夕飯を食べる。頬袋を作りながら食事を平らげるピュアリィを微笑ましく見守った。

食べ終える頃には、浴槽に十分な量のお湯が張られていた。

ピュアリィ、お風呂湧いたよ。
……。

ピュアリィの様子がおかしかった。具合が悪いのかとも思ったが、風呂には入りたいらしい。

心配に思いつつも、清潔は保たないといけないから風呂には入れることにする。

脱衣スペースで一糸纏わぬ姿になり、ピュアリィを抱き抱えて浴室に入る。ピュアリィの身体は、お湯に浸かる前なのにやけに熱を持っていた。

ぼくがいつものように、ピュアリィを股の上に乗せて身体を洗っていると、ふと違和感に気付いた。

なんだか今日はいつもよりも身悶えが激しいのだ。

確かに拾いたての頃はイヤイヤ期もあったが、それも数日と経たずに解消されたはずだ。

なのに何を今更……と思いつつ、しかし違和感を拭えぬまま黙々と洗うこと2分程経過した辺りで、ぼくの中では違和感の輪郭が像を結び始めていた。

ピュアリィの身体の動きは抵抗のそれとは似て非なるものであり、一定の周期性を持ち、かつ特定の意味性を孕んだ体動であるようだった。

まるで身体を擦り付けているような……。

それに、先程からピュアリィの身体がぼくの身体の一部——雄の象徴に触れ”すぎている”。

しかも、ずっと”臀部”で触れているのだ。

あまり考えたくはないことだったが、しかし増幅した疑念がぼくの頭をがっちりと掴んで離さない。現実から目を逸らすことを良しとしなかった。

時間が経つごとに、”何かの間違い”であることが否定され、疑念が確信へと近づいていく。時間の経過と己の思考能力が恨めしかった。

しかし、それでもぼくが眼前の出来事を否定し、疑念を疑念の段階で留保し続けたのは、倫理の一線があったからだ。

人間同士ならまだしも、人間と獣の間で、かような行為が成立しうるとは到底思えはしなかったのだ。

――思えば、ぼくの二度と引き下がれない失態は、ここで洗体の手を止めていたことかもしれない。

そう、ぼくが”勘づいた”ことを、”勘づかれて”しまったのだ。

それさえ、”それ”さえ見なければ、疑念を疑念のままに終えられる希望はあったろう。だが、それも今となっては無意味なことだ。

直後、ぼくの方を振り向いたピュアリィがぼくに向けた表情が、今でも脳の至る所にこべりついて、離れない。

あれは、獣がしていい”貌”ではなかった。

それを認識した瞬間、ぼくの中の疑念の波を押し返していた防波堤は決壊し、現実という情報の波がぼくの頭を襲った。

ぼくの脳内は、金属バットで思い切り殴り付けられたかのように空になった。

目の前でフラッシュを炊かれたかのような閃光に襲われたかと思いきや、今度は目を塞がれたかのような暗黒に襲われる。

自分の視界が真っ白なのか真っ黒なのか、そもそもそれを判断する思考回路自体が麻痺していた。

しかし、頭が麻痺していても、ピュアリィの蕩けた表情、男根に擦り付けられる豊かな臀部、知覚は閉ざされることなくしっかりと生きていた。

ぼくは為す術なく全身のあまねく血流が身体の中央に収斂するのを感じた。

更に、仕事で疲弊した心身は代償するように全身の血流量を増やしている。アクセルは踏み抜かれているという訳だ。

今すぐにでも自分の脳天をかち割りたかった。

間違った汚れ方をしていく自分に吐き気を催して、直ちにその生命活動を終わらせたい、そう思った。

走馬灯のように蘇る。

出会ったばかりのピュアリィは間違いなく天使だった。

なんの経験や知識の蓄積もない、生まれたての雛、純然たる白――全くの”無垢”色であった。

そして、ぼくとピュアリィの生活になんら有害な素因は無かったはずである。

ぼくの天使は何者にも穢されなかった。

眩む視界の中、上気して紅潮した地肌、獣を逸脱した妖艶で蕩けた笑みが、角膜に直接彫られたかのように目を閉じても思い浮かぶ。

つまり、ピュアリィが正しく汚れていった結果が”これ”なのだろうか?

つまり、ぼくのこの汚れ方は間違っていないのか?

その時、ぼくの抱いた”おそれ”は、ピュアリィに対するものだったのか、ぼく自身に対するものだったのか、今になっても解らない。

ただ一つ確かに解ることは、ぼくたちは既に以前のぼく達とは全くの変容をしてしまったということだけだ。

一体いつからこうなってしまったのか……、そんなことすら考えるのも煩わしく、ぼくは”最低の主人”として欲望に隷属していた。










その後、浴室を出たぼくは足早に階段を上って自室に籠った。

その日の自慰行為に、いつものグラビア誌は不要だった。

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