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世のアラサーは休日に何して遊んでいるの?

とある休日の話。大学時代の部活メンバーで集まって渋谷でランチを食べた。メンバーは4人。ランチを食べた後、1人が美容院に行って、残った3人で宮下公園に行った。マクドでテイクアウトした飲み物と共に1時間くらい話した。その後、メンバーの1人が買い物に行くと言って抜けて、美容院に行っていた人と合流した。

午後3時という中途半端な時間に渋谷に取り残された3人。別に解散すれば良いのだが、皆んな夜に予定が入っていて、予定まで暇を持て余している状態だった。「別に解散してもいいけどなあ……」と皆んな思いつつ、何だかんだ、どこか行こうかという話になった。ただ、どこか行く当てもなく、結局カラオケに行き着いて1時間くらい歌っていた。

土曜日の昼間に渋谷で路頭に迷っていたわけだが、世のアラサーは休日に何して遊んでいるのだろうか?社会人の遊びは、気が付けば飲みばかりになっている。飲み自体は好きだから構わないのだが、大学時代を思い返すと少々物惜しさを感じる。

私は京都大学に通っていたのだが、京大生は下宿する人が多くて、近所に住んでいる友達が多かった。特に用事もなく友達の家に入り浸っては、他愛も無い話をしたり、スマブラしたり、麻雀したりして、有り余る時間を過ごしていた。

そう、アラサーの休日に足りないのは、仲間内で気軽に集まれる場所なのだ。社会人になると、勤務先や家庭の事情により近所に知り合いが集まっているような状況は滅多に無い。飲みでも楽しいのだが、私が求めているのは暇な人で誰かの家で集まってスマブラしたりタコパしたりする遊びなのだ。ああ、大学生の頃が懐かしい。

社会人になりたては、大学生に戻りたいとか思わなかった。働いている時の方が圧倒的に使えるお金が多かったからだ。大学生のときにセコセコとバイトしていたのが馬鹿みたいだ。ただ、社会人を何年か過ごしていると、お金ばかりあっても仕方が無いと思うようになった。結婚したり子育てしたりするならお金はあった方が良いが、独身サラリーマンなんてお金があってもしょうがないと思う。お金に対する魅力が減ってくると同時に、大学時代の自由な遊びが恋しく思えてくるのだ。

だからと言って、どうすることもできないのだが。かつての大学時代の友人は各々キャリアなり家庭なり築いているわけで、今から大学生活を繰り返そうと呼びかけても無謀にもほどがある。

アラサー社会人は大人しく、忙しい生活の合間を縫って、友人を飲みに誘うかしないのだろう。寂しい気持ちもあるが、これが社会というものだろう。

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