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難読症の私

さっき初めてのnoteを投稿した。
次は少しだけ私の事を。

私は役者をしてる25歳。
難読症で字を読んだり書いたりするのが難しいです。
自分が難読症だということは隠してはなかったのですが、こういうふうに表に出すのは初めて。

役者というお仕事もしているので、周りからは字が読めない事に驚かれる時もあります。
実際本読みとかには台本を読んでいるので、どう事?読めるじゃんと言われます。

私でさえも、自分が難読症だという事を忘れる時もあります。
でもふとした時に読めたはずのところが読めなかったり、自分の名前すら書き方がわからなくなる時もある。その時に「そうだ。自分難読症だったんだ」と思います。

小さい頃、なかなか漢字を覚える事ができなく、初めに出た漢字が次に出ても読めなくて、クラスメイトの名前すらも読めなくてノートを配る時に困ってたのですが、自分はただのバカだからと思い、漢字の形を絵で覚えるように覚えて配りました。

中学生の時はインターナショナルスクールに通い、高校はカナダに留学していて英語だったので、日本語が読めない事に苦労はあまりしませんでした。

3歳からダンスを始めて、体で覚えるのは得意だったので、海外でダンサーになるのが夢でした。日本語をあまり読めなくても大丈夫だと思ったのと、ダンスが大好きだったからです。
でも素敵で上手なダンサーさんがいっぱいいるので、ある時から自分はダンスで生きていけないと思い始めました。
でも今までダンスしかやってこなかったので、ダンスをやめる事なくずっと続けていました。

そのまま18歳になり、進路を考える時に大学で勉強するよりも、興味があったお芝居を1から学びたいと思い、ある演劇学校に通い始め、お芝居を始めました。
始めは日本語を読むのにとても苦労したのですが、自分なりに読めるようにいろんな工夫をして読めなかったと言い訳を言わないように頑張りました。
そこで、ダンスの言葉で表さないで伝えるところと同じエネルギーを感じて、お芝居に恋しました。
お芝居は自分の殻を少しずつですが剥がしていって、お芝居をやる事で本当の自分になれてる気がして、これで生きていきたいと思い始めました。

そんな中、演劇学校2年目。19歳の時、お母さんとある番組を見ている時、難読症の特集をやっていました。お母さんに「あんちゃんこれなんだよ」ってふっと言われ、その時に初めて自分が難読症だという事を伝えられました。
突然言われて、え!っという驚きもあったのですが、今まで勉強しても読めなかった自分はバカじゃなかったという事に安心しました。

ここまで知らずに自分はおかしいと思わず、生きてこれたのは、私のお母さんのおかけです。
お母さんは私が難読症だと気づき、色々助けてくれていました。学校の後でも勉強に付き合ってくれたり、難読症には英語がいいと知り、英語を学ばせてくれてたり、一度も私がバカだと言わずに、色々調べてやってくれました。

日本語を読むのが苦手ながらも、お芝居というものに出会い、人にものを届けれてる事に感謝です。

今生きていることに感謝です。

初めにこんなに自分のことを書いたのは初めてです。
結構ながくなってしまった。
ちゃんと言葉にできてるかな…?

人に出来ないことはない。難しくても自分なりのものを見つけたら出来ないことはないと私は思います。

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