夜の闇に溶けた海が、人との会話を浮かび上がらせる。

先日海に行った、正確には夜の砂浜。

端的に言うと、夜の海って良いなと思った。
隣にいる相手との会話に
集中させてくれるから。

砂浜に座っていると、夜だから
海なのか空なのか
自分の見ているものが何なのか
はっきりとは分からない。

周りにいる人が何をしているのか、
それもあまりよく分からない。
ある程度の距離感を保って、
みんな砂浜にいるからだ。

その日、花火大会があった。
本当はそれを見ようと思っていたが、
仕事やら電車の緊急停止やらで
間に合わなかった。

私が砂浜に行ったのは、
花火大会が終わって
2時間以上経ってからだ。
花火の余韻に浸る人だけがそこにいる。
数時間前まではもっとぎゅうぎゅうだったであろう所に人はまばらにしかいない。
ほとぼりの冷めた砂浜。

少し遠くで、誰かが手持ち花火をしている。
パン、という弾ける音がたまに聞こえる。
耳に入るのはそれくらいだ。

周りの人の話し声は、
自分の真横を通る時くらいしか聞こえない。
砂浜からどこかへ帰る人達の話し声。


それくらいでいいのだ。

いつもなら無限に流れてくる余計な情報が
色んな角度からほどよく遮断されている。
0にされているわけじゃない、
少しの猶予がある。
それが心地よい。

そんな環境。

色んなものをぼんやりとしか認識できない。
はっきりとは分からない。
これだ、と明確には知り得ない。

だからこそ隣にいる人との会話が、
空間が、空気感が明確に浮かび上がるのだ。


そういう環境を作ってくれている。

それを初めて知ったから、
夜の海は良いなと思った。

何年ぶりか分からない。
冗談抜きで一番最後に海に行ったのが
いつなのか思い出せない。

大学生の時にバイト先の店長から、
海が似合わない女、という異名をもらった。
ひどいあだ名、と思いながらも
否定出来ないと思った記憶がある。
実際、夏だから海に行くなんてことは
基本したくない。
焼けたくないからだ。

それでも、海とは縁遠い私が
海の良さを知った。
そんなある夏の日のこと。
食わず嫌いなだけでこういうことってもしかしたらたくさんあるのかな、と
思ったりもした。

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