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ボウリングの思い出でも書いてみようか

いまどきの子は、ボウリングってやるんだろうか?

走ることを除いて、あらゆるスポーツが苦手だ。

とりわけ、ボールを投げたり受け止めたりすることが下手くそでして。
投げればまるで変なほうへ行ってしまうし、フライを受け止めようとしても距離感がつかめない。理系のくせして、アタマの中での放物運動のシミュレーションがまるでダメだった。

サッカーもバスケも…ボールを回し合うスキルがない。誰に回すのかなんて考えてる余裕なんてあるものか。たまたま足元にきてしまったサッカーボールは、できる限り遠くへ蹴飛ばした。バスケはどうやってたのだか記憶がない。

バレーボールは見当違いなところで待ち構えて、床に落としてしまってばかりだったような。レシーブしかやったことがないような気がする。

ボウリングならまだどうにかなるか…?


そこへいけば、ボウリングならまだなんとかなりそうに思えていた。
たしかに一見、すごく簡単そうなスポーツのように見える。
それでも…やはりだめだったなあ。
スコア100に乗れば上出来といったふうだったよ。

あの重いボールを手放すとき、穴から指を抜くことが下手なのかもしれない。
ランダムなスピンがかかる。左の溝にガーターさせてしまったから、次にはボールを手放す位置を右寄りにすると、今度は右の溝にガーターさせてしまったりする。職場仲間で行くと、もう相手をしらけさせてしまうには十分だった。

巧者でならした父親からの英才教育は無し


話が変わるが、私の父親は相当な腕前だったみたいだ。

家にはいくつもの優勝トロフィーがあった。自慢話がやたら長くてくどい人なので、どんなコンペで優勝したのかについても、ウンチクについてもまったく訊かなかったけれど(本人が気持ちよさそうに喋ってても左から右へ流していた)、まあ力量は本物だったみたいだ。スコアで言えばコンスタントに二百超えで勝負していたみたいだから。

糖尿病とかのへんてこなものはしこたま貰っているのに、
こちらの素質はひとつたりとも遺伝しなかったみたいだ(泣)。

当の父親本人も、子供なんて相手にしたくもなかったのだろう。子供の頃にボウリングに連れて行ってもらったことなんか一度もない。父親が私を連れ出すときの私はこれっぽちも楽しませてなんかもらえず、役回りは近くの公園でのゴルフ練習の球拾いばかりだったし。
いや、社会人になってたった一度だけボウリング場に行ったか。
でも私もポンコツ、母親もそれに輪をかけてポンコツ。父親はしらけていた。
そういうわけで、親元でやったのはそれが最初で最後になった。

父業 (家族サービス) としてのボウリング


いっぽう〝父業〟として、私が娘たちをボウリングに連れて行ったこともそれなりにある。彼女たちもそれほどうまくなかったから、ちょうど都合良かった。

活発な次女はそのうち友達同士で行くようになり、私などさしおいて腕前も上げていったはずだ。家内はあまり乗り気でないことが多く、家族で遊ぶってことになると、ボウリングなんかよりもカラオケルームのほうが御用達だった。

そんな中、シャイな長女だけはボウリングに誘うといつも嬉しそうにしてくれた。まあ一緒に行くとふたりして〝溝掃除合戦〟ってふうにはなるんだけど。
はなやいだレーンのなかで、私んとこだけがブービー合戦だ。スコアはディスプレイに表示されている。実に格好悪かった。さらにいえば、下手くそな私が長女にアドバイスをするのだから、それも滑稽なものであった。

レーン上で歩みよりながらボールをリリースする(手放す)ことが苦手だったみたいで、この際、球速なんてどうでもいいから立ち止まって転がしてみなってふうにアドバイスした。そうしたら、わりとまともなほうへ転がるようになった。
ボールに勢いがないから、いい位置に転がって行っても、へなへなへなってふうにピンは倒れる。わりと多めの頻度でスプリットになるが、たまにストライクも出る。

私は私で、それなりの球速で転がすことがひたすら快感。これまで生きてきたとおりに投げこむのだけど、これまた生きざまを象徴するかのように、勢いよく右や左の溝に飛び込むことの繰り返し。
ごくたまに綺麗なストライクが決まる。いや、ストライクの直後に溝に落としてしまうようなもったいないことばかりやってるから、スコアが伸びんのだわさ。

ハイタッチだけは一丁前。っていうか、思春期になり20歳代になり適齢期になりゆく娘の手に触れることのできる機会なんて、そうあったりするものではない(動機が不純である)。

結局、スコア80前後の低レベルでデッドヒートを2〜3セットばかり繰り広げる(デッドでもヒートでもない)。俺を負かせたら帰りに服でも買ってやるよってふうに目標を用意し、あるときはガチで負け、あるときは巧妙に花を持たせたり。懐かしい。

時代はめぐって…


世の中がコロナ禍でものものしかったあの時期に、次女はつきあっていた男性のほうへと巣立って行った。彼とボウリングでご一緒したことはないが、気さくで人望も厚くて場数をこなしていそうな彼のこと、きっとボウリングは上手いんじゃないかな。長女も上手な人に教われて幸せではないか。

名古屋の駅前にあったボウリング場の入ってた「レジャック」という建物は、駅前再開発で取り壊すとかで閉館してしまった。名駅界隈はいつも地下ばかりで行き来するものだから、そのビルがまだ残っているのか、すでに取り壊されたかどうかは知らない。

ありし日の名鉄レジャックビル

いまはボウリングなんて楽しめる相手がいない。
こうなったら遊び相手は、娘たちの孫ってふうにでもなるのか?

とはいえ…こんな時代。子供を持ち、育てること自体がむずかしい時代だ。
彼女たちがどういう形を選ぶのかはわからないが、私自身もそれほど孫ってものに興味関心があるわけではない。このあたりは、団塊世代の親とはちがって、なんだかクールだったりする。

とはいえ孫ができたというのなら、手放しで歓迎するだろうけど。
てか…もう「おじいちゃん」になっていてもおかしくない年齢かよ?!
… びっくりだよな、もう。

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