MONEY 〜 もしお金持ってたらこれほどにも政治に怒りを感じただろうか?
確定申告の期限が近くなりました。重い腰を上げなくてはなりません。
現在の私はとても貧乏です。仕事はあるのですが、現状、兼業しないことには税金がまともに払えませんので仕事はいつも探しています。ランサーズさんのアカウントに仕事募集を出してみたり、ようやくPhotoshopを体系的に学んだり(Adobeのクリエイティブカレッジの4期生になって卒業制作も終えて卒業待ち — 後記:無事に卒業いたしました)とちまちま動いてはいます。
ただ…手元にお金が入ってこない中、モチベを維持するのが大変です。
どれぐらいの洗練さが求められているかわからないので、プロジェクトに応募するのも腰が引けてしまっているのが現実。いくつかのコンペ(ロゴやチラシ制作など)に参加してみましたが結局、残念ながらことごとく玉砕してしまいました。
クラウドワークってことになるとやはりランサーズさんなのですが、私の場合、依頼主が逃げてしまったり、ちゃぶ台ひっくり返してしまったり…それを複数回経験しています。あまりにも不運が続くとしんどくなってきます。
なんで弱者同士で争っているんだろう?
ネット上も荒んでるけど、われわれの日常生活の場だって十分に荒んでいます。
アルバイト店員さんが雑な仕事をしても、その人の時給のことを考えるとあまり厳しいことを要求してはいかんだろうな…って場面が多いです。何より私自身もぜんぜん元気がない。
そして世代間闘争。ときどき、私よりも十年以上生きた〝人生の先輩〟がたを思わず心のなかで老害呼ばわりしてしまわざるを得ない。キレる老人がまるで野良犬のように、好き放題に怒りをぶちまけながら徘徊している。通勤電車の中でコンビニのストロング発泡酒をあおってる(部屋でだったら私も時々やりますけどね)。キレる気持ちはわかるけど、私のほうだって似たようなものです。人生の先輩にはやはり先輩らしく(おおらかにつつましやかに)ふるまっていただきたい。
我慢辛抱を美徳とする「おしん」で涙したはずの団塊世代。
ああ、彼らには〝見る側〟のエンタテイメントでしかなくて、いざ自身に降りかかったときの往生際の悪さにはもう…これ以上は何も申し上げません。
私自身は平成初期築の高層マンション暮らし(タワマンではない)。中古物件で購入して20年ほどになりますが、新築で購入された方々がちょうど年金ぐらしという住人構成なんですよね。エレベータで階下階上を行き来しますが、本当に挨拶をしないんですよ彼ら。私ばかりが声を出し頭を下げている。
ご近所トラブルを一度も経験していないのだから、まだいいほうかも知れません。
挨拶は丸腰であることを示すための行為
ちょっと話はそれるのですが。。。
子供のころから、なぜ挨拶をするのかわからなかったフシがありました。
友達とかやや深度のあるつきあいがないのなら、別に他人としてすれちがえばいいじゃん … と思うことばかりだったし、教育として「挨拶をしなさい」とはうるさいほど言われども、その理由にまで言及されたことはなかったと思うんですよね。
私なりの解釈として、挨拶ってのは知人であれ他人であれ「丸腰であることを示すための行動」ではないかと。これがアメリカだったら、密室のエレベーターに見知らぬ人どうしが無言で居合わせたなら、下手をすれば銃殺されかねないって言いますから(さすがにおおげさな表現だとは思うのですが)。
思うに「挨拶をしなさい」とあれほどうるさく下の世代を叱っていた彼らもまた(本能的に?)パーソナルスペースを守りたい人たちで、自分が上だからこちらが挨拶などもったいないというキモチも働いてるかもしれません。あるいはセルフネグレストで、もう何もかもどうでもいいってふうなのかもしれません。
そんなわけで、ちょっとメンタルバランスを崩しているときは、エレベーターにご年配の方と乗り合わせるのが怖い(ってより憂鬱ってふうに言ったほうがいいのかなあ)ってときもあります。
怒り、怒り、怒り …
ワイドショー系のテレビ番組は、見ている側の心を煽ってくる。
最近は(ワイドショーでもバラエティでもない)ニュースを見ているだけなのに、おせっかいにも「卑劣」「卑怯」とかいった言葉がヘッドラインに添えられていたりします。報道に主観なんていらないよ。
「〇〇の犯罪に対して〇〇容疑者は…」といったフシで語られる動機が、声色や抑揚を真似たかのような読み方で紹介されたりします。りりちゃんのニュースなんかを見てると、まるで私がかわいい女子に汚いもののように見られつつ、それでも騙されてしまう〝おぢ〟であるかのような気分にさせられました。
ちっくしょ〜(なんでこんなイラッとするんだろ?)
最近は視聴者提供の動画まで見せられたりもします。生々しい映像なんて必要でしょうか? ただテレビ見て「知る権利」を行使しているだけなのに、なんで、まるで裁判員制度に参加させられているかのような刺激的な映像まで見なきゃならないんですかね。
ほんとにドーパミン社会なんですな。きっとカスタマーの喜怒哀楽の振れ幅を増幅させることに、経済活動を活性化する効果があるんでしょうね。
そして政治家の不正・暴言・愚政 …
それにしても岸田文雄氏、これほどにも内閣支持率が地を這っているというのに、ほんとうに無敵の人だな … 感心してしまってます。この「聞く力のなさ」「空気を読む力のなさ」ってなんだろう? 暖簾に腕押し、ぬかに釘といった慣用句が次々と頭の中をよぎってしまいます。
それと政治家のコトバの粗野さ。本当に薄汚くなったものです。説明責任どころか、「言い訳」「はぐらかし」が実に上手になりました。さすがです。
政治家も権力者も最近は「謝らない」「開き直る」といったスキル磨きにご熱心なんだなと身をもって感じます。また、こうした政治家たちの態度を(ものを売る側や権力者など)市井でも真似ることが流行っているような気がしています。SNSなんか見ていても、モンスター店員・モンスター経営者よりもむしろ、モンスタークレーマーのほうで炎上が起きることが多くなってきたように感じます。
お金と怒り
我々のフラストレーションとお金との相関関係。
もし私がたくさんのお金を持っていて、昭和後期・バブル前みたいにかなり自由にお金が使えたとしたらどうだろう?
あの時期にも実際には〝消えた年金記録〟(「消えた年金」問題)という、信じがたい事件があったのです(2006年に発覚 〜 第一次安倍内閣下。これによる政治不信がきっかけで、2009年の政権交代へといたったと言われている)。
たしかに当時も怒りは街中にあふれた。
だけど私、あのとき怒り狂うレベルで怒りを覚えたような記憶がないんです。
おそらく、懐具合と怒りのレベルって相関してるんですよ(笑)。
ルサンチマン(弱い自分は善で、強者は悪だという「価値の転倒」)の問題、だとも言われたりしますが。
現にいま、岸田氏・自民党、そして政治に対する不信感と怒りは私にとって半端ないエネルギーで頭のなかで渦巻いております。おそらく、貧乏と貧困といったものも、メンタルコンディションを悪化させる燃料なのでしょう。
強く生きたいものです。下世話ですけど … お金ほしいですよね(泣)。
ただあまりセミナーに参加するとか、投資とか詐欺とかに加担するとかもしんどい(っていうか「しんどい」って問題じゃないだろ?!)。
もうベイシックインカムでいいじゃんって思ってしまいます。っていうか、なんで収入が減って物価が上がっているのに、税金は下がらないんでしょうね?
最後になりましたが …
こちらの音楽でも聴いて、少しでも機嫌直しましょう。
サビのハーモニーの美しさと歌詞のギャップが泣かせます。ぽっぽ。
長々とした湿度の高い愚痴におつきあいくださって、ありがとうございます。
それでは、また。
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