(閲覧注意)かさぶたはかゆい

まだ傷が痛む。
でも、やっと、ちゃんと傷と向き合うことができるくらい立ち直れたということかも知れない。

部屋には山ほどの服が片付けられないまま放置されている。
ハンガーから外して畳んでしまえばいいのに、そのままカーテンレールなどにかけたままでいる。
次第にそれは絞首した死体に見えてきて、もし僕が生きるための犠牲者だとすれば懺悔しなければいけないし、これまで蔑ろにしてきた自分自身だとすれば恥ずかしいなと思う。そのうちに自分と他人の命の境界が曖昧になっていく気がしてくる。

主人公は僕で、家族愛や友情をテーマに、悪い敵をやっつけるストーリー。
そんな夢を見た気がする。気がついたら眠ってしまっていた。うたた寝をしてそのまま眠りに落ちてしまうと、その事実は起きた時にしか認識できない。自分の行為なのに未来にしか認識できないということに強烈な違和感、気持ち悪さを覚える。存外、自分の意識というのは自分の行為に影響していないのかも知れない。

踊りを踊れない。
階段で立ち止まれない。
歌を歌えない。
僕には自由がない。

戦争で人が死ぬニュースを聞いても、僕には何もできないな、と思ってしまう。巻き込まれたくない、自分は戦争に行きたくない、という浅はかな考えだけが漠然と浮かんできて、それ以上には頭が働かない。
ただ、自分が死んでもいいと思えるくらいの正しさや真理を信じ続けられることは、少し憧れもする。くるみ割り人形みたいに、自分自身に課せられた選択の余地のない責務に対して、僕は嫌悪感を覚えてしまうくらい幼稚なのだと思う。

有色透明になりたい、と思ったことがある。
誰の邪魔にもなりたくなくて、誰にも迷惑をかけたくないけれど、存在していないことにされたくはない、という傲慢。
でも、君が美しいと思う風景の見え方を変えてしまうのなら、そんなに良いものではないのかもな、と思った。

家の前にずっと同じ虫が同じ場所にいて、もう死んでるんじゃないかとも思うけれど、それを確認したり動かしたりする勇気はない。きっとそのうち神様が勝手に消してしまって、僕は数日後には忘れてしまうのだと思う。

忘れてしまうことへ、恐怖を覚えることがある。その時感じたことや、そう感じた自分自身を「些細なこと」としてしまうことがひどく恐い。

ずっと監視されていることが苦痛で仕方がない。神を本気で信じているのなら、ずっとその苦痛がつきまとうのだろうか。

「生まれ変わったら何になりたい?」
「木になりたい。」
「どうして?」
「木にとって、神はいないから。誰も僕に興味はなくて、僕はただの世界の一部になれる。」
「私は鳥になりたい。」
「ありきたりだね。」
「ありきたりだからだよ。」

「言葉に変えてしまうことが嫌なんだ。」
「そう?」
「言いようのないものを大事にしたい。」
「まるで思考が言葉に先立つかのような言いぶりだね。」

人形の髪が伸びたような気がする。
三本足の動物の木の置物がなんだか愛おしく思えてくる。

あえて手袋を着けず、ポケットに手を入れることもなく、雪の降る道を歩いてみる。寒さどころか痛みすら感じる。その痛みを感じることが僕を美しくしてくれるような気がした。
でも君はそんなことを含めて僕に興味がなかったみたいだ。それなら、君が神様だったら良かったのに。

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