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【1972年レコード】70)ROBERTA FLACK & DONNY HATHAWAY


■データ

・リリース : 1972/04/20
・レーベル : アトランティックレコード
・プロデュース : ジョエル・ドーン
          アリフ・マーディン
・チャート : US 3位
・スタジオ : アトランティック・レコーディング・スタジオ
        レージェント・サウンド・スタジオ
・所有ver : SD 7216

■トラック・リスト

[SIDE-1]
1. アイ(Who Have Nothing)"
2. きみの友だち  "You've Got a Friend" (キャロル・キング)
3. ベイビー・アイ・ラヴ・ユー(アレサ・フランクリン)
4. ビー・リアル・ブラック・フォー・ミー
5. ふられた気持ち  "You've Lost That Lovin' Feelin'"(ライチャス・ブラザーズ)

[SIDE-2]
6. フォー・オール・ウィ・ノウ
7. 恋人は何処に  "Where Is the Love"
8. 愛が芽生えて  "When Love Has Grown"
9. カム・イェ・ディスコンソレイト
10. ムード  "Mood"

■メンバー

・ロバータ・フラック(ボーカル/ピアノ/オルガン)
・ダニー・ハサウェイ(ボーカル/ピアノ)
・エリック・ゲイル(ギター)
・チャック・レイニー(ベース)
・バーナード・パーディ(ドラムス)
・ラルフ・マクドナルド(パーカッション)
・デヴィッド・スピノザ(ギター)
・ジョー・ジェントル(フルート)
・ビリー・コブハム(ドラムス)
・ジョー・ファレル(サックス)
・ヒューバート・ロウズ(フルート)
・ジャック・ジェニングス(ヴィブラフォン)

■LINK

Discogs
Wikipedia

■メモ

  • 1972年で最も売れたアーティストの一人ロバータ・フラックと、後に”ソウルの伝説”と評されるダニー・ハサウェイ共作によるアルバム

  • 両者ともその実力は高く評価されていたが、音楽的多様化、マーケットの拡がりにより商業的な成功という面では限定的だった

  • 「R&B」という言葉を作り出し、オールマン、レイ・チャールズ、ツェッペリン、アレサ・フランクリン、ボブ・ディランなど錚々たるミュージシャンのプロデュースを担当したジェラルド・ウェクスラーは「ジョイントで売り出したら2人の人気も定着するのでは」と提案

  • もともと同窓で同時期にキャリアを重ねて来たフラックとハサウェイは、1971年にキャロル・キングの同年リリースアルバム「つづれおり」に収録された名曲「きみの友だち」でシングルをリリース。同曲はほぼ同時期(フラック/ハサウェイ版の1週間前)にジェイムス・テイラーもシングルでリリースしており、テイラー版はビルボード1位を記録する大ヒット曲となった。一方のフラック/ハサウェイ版も29位を記録している

  • ジェイムス・テイラーは1972年にアルバム「ワン・マン・ドッグ」をリリースしている

  • 続くシングルはフィル・スペクターによるライチャス・ブラザーズ「ふられた気持ち」をカバーして30位を記録した

  • 3枚目シングルの「恋人は何処に  "Where Is the Love"」は1972年6月にリリースされ、ビルボードで5位、イージーリスニング、ソウルチャートで1位と本アルバムで最大のヒットとなった。

  • 72年「恋人は何処に  "Where Is the Love"」が大ヒットした背景には、クリント・イーストウッドの監督デビュー映画「恐怖のメロディ」(1971年)の挿入歌として、イーストウッド自身が直接フラックへ電話をし熱望したフラックのデビュー作「ファースト・テイク」からの曲「愛は面影の中に」が72年4月にシングルチャート1位を記録した事による相乗効果がある71年からデュオ活動で積み上げて来た実績が72年に大きく結実した結果が同曲と言える

  • ロバータ・フラックが1972年に大きく飛躍したのに対し、ダニー・ハサウェイは、本作以降は混迷期に入る。従来のソウルシンガーとは事なり、シャウトをせず、綺麗な澄み切った声で歌い切るスタイルで、本作以前のソロ活動期でも一定の成果は上げてきたが、1971年に発症した精神疾患が73年以降に重度化し、ハサウェイのキャリアに大きなブレーキとなった

  • 妄想型の精神疾患に悩まされ続けたハサウェイだったが、1978年に再びフラックとのデュオ曲「クローサー・アイ・ゲット・トゥ・ユー」で全米2位を記録する。本作は元々デュエット曲ではなかったが、フラックの希望によりデュエット曲に修正された。しかしハサウェイの状況は深刻で、シカゴからフラックのスタジオ(N.Y)まで行く事が出来ず、シカゴでハサウェイのパートを録音し、再度N.Yでミックスする事になった

  • 翌1979年にハサウェイも自身のアルバム制作に取り掛かたが、病状が重度の為に、レコーディング続行は不可能と判断されスタッフは解散した。その同日、滞在先のホテル自室から投身しこの世を去った

私はドニーに連絡を取ろうとしました。そうやって去年作った曲をなんとかやり遂げたのです。どうしたらいいか分かりませんでしたが、その必要性を感じました。彼が病気だと分かっていました。でも、彼がピアノの前に座って私のために歌ってくれたとき、まるで8、9年前に戻ったようでした。彼は一生懸命歌い、演奏したからです。
                       (ロバータ・フラック)

  • ロバータ・フラックは「クローサー・アイ・ゲット・トゥ・ユー」を永遠にダニー・ハサウェイへ捧げ、同曲の収益は残されたハサウェイの家族へ寄付する事とした


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