【1972年レコード】34)EAGLES : EAGLES
■データ
・リリース : 1972/06/01
・レーベル : アサイラム・レコード
・プロデュース : グリン・ジョンズ
・チャート : US 22位
・スタジオ : オリンピック・スタジオ(Lon)
ウォーリー・ハイダー・スタジオ(L.A)
・所有ver : P-6556Y(JAPAN 1981 Warner-Pioneer)
■トラック・リスト
[SIDE-1]
1. テイク・イット・イージー
2. 魔女のささやき(Witchy Woman)
3. チャグ・オールナイト
4. 哀しみの我等(Most of Us Are Sad)
5. ナイチンゲールの歌(Nightingale)
[SIDE-2]
6. 今朝発つ列車(Train Leaves Here This Morning)
7. テイク・ザ・デヴィル
8. 早起き鳥(Early Bird)
9. ピ-スフ・イージー・フィーリング
10. トライイン
■メンバー
・グレン・フライ (ボーカル/ギター/スライドギター)
・バーニー・リードン (ボーカル/ギター/バンジョー/ドブロ/マンドリン)
・ランディ・マイズナー (ボーカル/ベース)
・ドン・ヘンリー (ボーカル/ドラム/パーカッション)
■LINK
イーグルス、ジャクソン・ブラウン、リンダ・ロンシュタット共演の「テイクイット・イージー」豪華なメンバー(ギター多過ぎだけど‥)
■メモ
ビートルズ、バーズ、バッファロー・スプリング・フィールドの答えと言える、西海岸を代表するバンド、イーグルスのデビューアルバム。
メンバー各々が紆余曲折の末、リンダ・ロンシュタットのレコーディングメンバーという共通点の下、イーグルスが結成される。
先行シングル「テイク・イット・イージー」はグレン・フライの同居人であるジャクソン・ブラウンとの共作で、全米シングルチャート12位を記録した。
バンドはジャクソン・ブラウンと同じデヴィッド・ゲフィンのアサイラムと契約、グレン・フライはビートルズ、ストーンズ、フー、ツェッペリンと早々たる英国バンドに関わって来たグリン・ジョンスをファースト・アルバムのプロデューサーにするよう希望した。
一方のグリン・ジョンスはデヴィッド・ゲフィンを知らず、何者だ?状態。どうにか知人を介してグリンを呼び寄せる事が出来たが、実際にバンドの演奏を見たグリンはイーグルスとの仕事を断る事に。それでも諦めずに交渉を続け、どうにかプロデューサーに迎える事は出来たが、グリンのバンドに対する印象を変える事は難しかった。
4人がアコギで「テイク・ザ・デヴィル」を演奏した時、その絶妙なハーモニーに一転して感銘を受けたグリンはメンバー全員が歌うハーモニーを重視するイーグルのスタイルを見出す。
当初はカントリー色が強いイーグルスに興味を持っていなかったグリンだが、イーグルスのボーカル・ブレンド、ハーモニー重視のスタイルを見つけてから「君たちはロックに向いていない」と、むしろカントリー・ロックを前面に出すようになる。これがバンド内でロック志向の強いグレン・フライ等との間に軋轢を生む事になる。
当時のグリンはまさに絶頂期で、1972年ではストーンズの「メインストリートのならずもの」リタ・クーリッジの「レディース・ノット・フォア・セール」ニール・ヤングの「ハーベスト」そしてキース抜き、ライクーダ+の「ジャミング・ウィズ・エドワード」らのエンジニアとして参加している。
ベースのランディ・マイズナーは元バッファロー・スプリング・フィールドのリッチ・フューレイ、ジム・メッシーナとポコを結成するが、ソング・ライティングで自身の意見が全く反映されない事に不満を持ち、ポコのデビュー・アルバムが発売される前にバンドを離脱。後にジム・メッシーナもリッチ・フューレイの独善性に嫌気がさしてポコを脱退。今一つ波に乗り切れないポコを追い落とした格好となる。
ジム・メッシーナは新進気鋭のシンガーだったケニー・ロギンスとのユニット「ロギンス&メッシーナ」として活動し1972年にアルバムをヒットさせている。
上述の通り、1972年はジャクソン・ブラウン、ニール・ヤング、ロギンス&メッシーナという西海岸のフォーク、カントリー系のミュージシャン達が勃興し商業的にも好成績を記録しているが、イーグルスの存在は他より頭一つ飛び抜けた感があるのは、冒頭に書いたビートルズ上陸から始まるアメリカ音楽シーンの一つの区切りと、イーグルス以降に完成されていくアメリカン・ロックの始まりを感じるからかも知れない。
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