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凄惨な記憶を分かち合いながら、それでも愛を信じる映画(『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』感想)

『ゲ謎』こと、『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』を観てきました。

原作の漫画もアニメも全然通っておらず、「ゲゲゲの歌」を知っているくらいの状態だったんですが、映画の評判が良く、また度々目にする二次創作がとても素敵だったので、観に行ってきました。

いや~~~~~良い映画でした。

良い映画だったんですが、展開が重く鬱々としていて、その後の水木やゲゲ郎たちのことを考えるとしんどくなりました。

でもそのしんどさが、妖怪というテーマととても合っていて、「鬼太郎ってこんなに奥深いテーマを扱っていたんだな……」としみじみ。

感想を書きだしたら、色々思いがあふれ、妄想が止まらなくなってしまったのでここに供養します。

ネタバレ満載なので、お気を付けください。


3人の共同生活は”ある”

エンドロール前までは救いが無さすぎて、「二次創作でよく見る、水木・ゲゲ郎・鬼太郎の共同生活は、希望を求めたオタク達の幻覚だったんか…?」と不思議に思っていました。

が、エンドロールとラストで「3人での共同生活、”ある”……!」と確信。
水木が再び入村するところを、あえて紙芝居のように、絵だけで見せていく手法には鳥肌が立ちました。

赤子を抱きかかえる水木のその後が気になりすぎます。
目玉の親父になったゲゲ郎と水木で鬼太郎育てなきゃおかしいし、水木の存在があったからこそ鬼太郎は人間を助けているんだろうな、、、と。

これ原作ではどうなってるんだ?と思ってサラッと調べたら、色々設定は異なるものの、漫画もアニメも水木が鬼太郎の育ての親であることは共通しているんですね。

pixiv百科事典の説明が分かりやすく、参考になったので載せておきます。


このサイトによると、原作や5期までのアニメは、水木はそこまで重要なキャラではなかったようです。途中からフェードアウトしていくようで、少し意外でした。

ただ、6期はこれまでと違い、目玉のおやじや鬼太郎が水木のことを慕っているという設定なんですね。
今回の『ゲ謎』はこの6期の世界線にあるということで、色んなバージョンが生まれているんだな、と新鮮でした。

パンフレットを読むと、当初はヒーローものの側面が強かった鬼太郎のアニメが、6期では白黒つけきれない人間の愚かさを描くような内容に変更されたとあり、『ゲ謎』から入って人間の愚かさ醜さをビシバシ感じた私は、ひとまず6期を観るのが良いのかなーと思いました。

……と思ったら6期の1話はYouTubeで配信されているようで。
ありがたい時代です本当に。

16:20あたりで、「鬼太郎が子どもの時、水木という青年に助けられたんじゃ」という目玉のおやじのセリフが出てきてるんですね、、、、

完全に3人で暮らしてるじゃん、、、、、

過去形ってことはもう水木は亡くなってるってことかな、、、、、

しんどい、、、、、、

6期見よう、、、、、、


沙代さんを救いたい

沙代さん、、、沙代さんはどうやったら救われたんだろうか、、、

結局、水木が沙代さんに対して、一切の恋愛感情を抱かなかったのが、物語としてはとても良かったし、展開としてはとても辛かったです。

沙代さんに一切頬を赤らめることもなく、胸に飛び込んできた沙代さんを抱きしめることもなく、後半では二人で逃げることを選ぶけど、それは恋愛感情からではなく明らかに「可哀想な少女を救いたい」という水木の大人として真っ当な気持ちからの選択だったわけで。

沙代さんが豹変してしまうあの場面で、水木が「君に近づいたのは利用するためだった、すまない」って言って目線を逸らしてしまったの、本当に悪手だと思うんですよ。

沙代さんを助けるためには、絶望している沙代さんに「君が受けてきた仕打ちは知ってるけど、だけどそれでも一緒にいたい」と抱きしめなきゃダメなんですよ。

だけど、水木は本音を言ってしまうし、おためごかしの甘いセリフは言えなかったし、それはやっぱり沙代さんのことを最後まで恋愛的に見れなかったからで、、、

そんなところで誠実である必要ないよ〜〜〜〜
嘘でも「そのままの君が良い、一緒にいよう」って言ってあげてよ〜〜〜〜
沙代の存在を丸ごと肯定してあげてよ〜〜〜〜

「俺は嘘はつかない男だ」がこんな所で効いてこなくていいって、、
沙代さんの境遇を知っても逃がそうとした気持ちは本物じゃんか、、、
それをあの場で言ってあげて、、、

沙代さんは、あんなに外に逃げたがってたのにゲゲ郎と水木のために戻ってきてくれたんやで、、、、駆け寄って抱きしめてよ、、、、3人でゲゲ郎の妻を助けにいこうよ、、、、

と思ってしまいますが、でもとっさにそんな器用なことできないのが水木ですもんね。

しかも沙代さんの気持ちが純粋な恋愛感情以上のSOSだということを知ってしまったから、水木は適当に応えちゃダメだと本能的に察知しちゃったのではないかな、という気がします。

そもそも、たまたま水木だっただけで、沙代さんは多分外に出してくれる男の人なら、水木じゃなくても良かったんだと思います。たまたまあの場にいた水木が、東京から来ていて、若くて面の良い男性だったから選ばれたんだろうなと。

だからやっぱり沙代さんは純粋な「あなたが好き」という恋愛感情100%ではなくて、水木に助けを強く求める少女で、だからこそ水木は「俺も好き」とか安易に言えずその手を取ることもできず結果的には見殺しにしちゃったっていう……

は〜〜〜しんどい、沙代さんはどうなっても幸せになれなかったのかな、仮にトンネルを引き返さず外に出た世界線だったとしても恋愛感情の無い水木と生活することには耐えられないだろうしな……

トンネル進んで外に出て、水木が養育者となって外の世界で新しい恋をするルートなら救われるだろうか。
いやでも水木に恋愛感情を抱いている以上、水木に恋愛感情が無いことを悟ってしまったら豹変しちゃいそうだしな……

つらい…………

水木も水木で何にも悪くないのに特大の罪悪感に苦しめられるじゃんこんなんね…………


沙代さんが塵になった瞬間の水木は、涙は流しつつも割とすぐに泣き止んで引きずる素振りも見せずに「行こう」って切り替えていて、正直(もうちょっと死を悼んでくれ……)と思わないでもなかったです。
でもよく考えれば、別に沙代さんを助ける強い動機が水木には無いんですよね。

そのあたりの匙加減がとても現実的だなと感じました。
あの場の優先順位で言えば、ゲゲ郎の妻を助けることが1番だし、、、

とはいえたくさん便宜を図ってくれて、水木に何度も必死に助けを求めてた少女を見殺しにしてしまったことは事実なわけで。

水木がまたゲゲ郎たちと生活を始めた際、同い年くらいの女の子を見るたびに、フラッシュバックして自責の念に苦しめられそうだな……とも思います。
完全に沙代さんのことを忘れることは、水木はできないと思う。優しい人だから。

そうなれば、沙代はある意味水木の記憶に残り続けられているわけなので、ある意味で恋心が成就したと言えるのかもしれないですね。
誰も幸せにならない残り方ではありますが、、、、つらい、、、、


「守れなかった」「看取れなかった」しんどさと、その後の希望

『ゲ謎』最大のしんどいポイントは、「水木がゲゲ郎の妻を守りきれなかったこと」と、それにより「ゲゲ郎が最愛の妻を看取れなかったこと」だと思います。

崩壊する洞穴の中で、ゲゲ郎は水木に「妻を連れて逃げろ」と言っているので、その時点でゲゲ郎は妻が生きていると信じていたはずです。

(もしかしたら助からないことは悟りつつも、亡骸だけは逃がしてやりたいと思ったのかもしれないですが……それはそれで辛い)

でも、結果的には水木は妻を守りきることはできず、自分の命だけ助かってしまうし、それどころか妻の存在も、なんならゲゲ郎の存在も記憶から無くなってしまう

結局、「妻を連れて逃げろ」と「生きて帰れ」という2人が交わした約束は、果たされることがなかったわけですね。

水木の白髪を、長い年月が経ったことの比喩として捉えると、「友が生きるこの世界を見てみとうなった」というゲゲ郎の思いも、叶わないまま月日だけが経ってしまったわけで。



だけど、普通ならそれで終わりだけど、水木が再び村に足を踏み入れるのが本当に凄い。偉い。

この再入村、「見えるものだけ見ようとするな」というゲゲ郎の信念が、無意識のうちに水木の中に息づいている証拠でもあると思うんですよね、、、、、ひぃ、、、、、、、、

鬼太郎を取り上げた水木は、目玉のおやじになったゲゲ郎と再会し、きっと哭倉村での日々を思い出すようになると思います。

それはつまり、今まで強固に蓋をしてきた「ゲゲ郎の妻を守れなかった」という忘れたい記憶を蘇らせることでもある。

これ、本当に辛くてしんどいけれど、水木にとって必要な工程だと思うんです。

ここで妄想を一つ。

エンドロールで、再入村した水木が、ある屍を悔しそうに抱えあげるカットが出てきます。

抱えられているのは、ゲゲ郎の妻じゃないかな。

ラストで赤子の鬼太郎を一瞬殺しかけたってことは、その屍を見たときに水木の記憶が戻った訳では無いと思うけど、屍を抱えて佇むあの切なそうな水木の心中に、ものすごい寂寥感と罪悪感が渦巻いているように思えて仕方がないんですよね……

そのくらい、あの亡骸に対しての、水木の筆舌に尽くし難い無念さを感じ取りました。


さて、ゲゲ郎の妻を守れなかった事実を思い出した時、水木はまた終わりのない罪悪感と申し訳なさに押し潰されてしまうように思います。

戦争のPTSDに苦しんでいた人に、新たなトラウマが生まれてしまうわけですね。地獄。

でも、ゲゲ郎にしてみたら、水木が最後まで妻を守ろうとしてくれたことは当然分かってるし、自分を助けてくれたことも、記憶を取り戻してくれたことも、鬼太郎を助けてくれたことも全部事実なので、まったく水木を責める気持ちは無いと思います。言うまでもないことだけど。

だから、希望があるとしたら、そうやって罪悪感に苦しむ水木の隣には、今を生きているゲゲ郎と鬼太郎がいるところですね。
仮にパニックになっても、傍で2人が守ってくれるだろうし。

それは水木にとっては救いであり、鬼太郎が、ゲゲ郎と妻の希望であると同時に、苦しむ水木の希望にもなっていくということでもある。

……そりゃ3人が共同生活を送る二次創作描きたくなりますね、、、流れてくる二次創作はその後の希望の結晶なんだな、、、、


ゲゲ郎が水木を看取るとき

一方で、ゲゲ郎の心境も簡単に言語化できないほど複雑なはずです。
特にそれは、水木を看取る段になって、一層前景化するのではないでしょうか。

最愛の妻を守りきることができず、最愛の妻の最後をきちんと看取ることもできず、妻を託したせいで水木に余計な苦しみを感じさせてしまったゲゲ郎が、それでも得た希望の子とともに水木の最後を看取るとき、彼は何を思うんだろうか。

共同生活が楽しかったことも、巻き込んでしまった申し訳なさも、人間と妖怪の時間の流れが異なることも、その事実を認めつつどうしようもない寂しさがあることも、命に限りがある弱い水木を愛おしく思う気持ちも、自分ひとりで鬼太郎を育てることになる不安も責任感も重圧も、早く妻に会いたい気持ちも、全部が本当なはずで。

涙もろい妖怪だから、たくさん涙を流すだろうか。

鬼太郎の前だから強がって我慢するだろうか。

涙なんて流れないほど喪失感で空っぽになるだろうか。

穏やかな笑みを携えながら冷たくなった水木の頬を撫でるだろうか。

どの感情もどの態度も、確かにゲゲ郎だと思うけど、多分きっと、看取るその瞬間だけは、「鬼太郎の父」から「水木の友」に戻るような気がします。

そしてまた翌日には「鬼太郎の父」として、水木のいない世界を生きていくんじゃなかろうか。

いずれにしても、6期で水木を偲ぶような発言ができるのは、水木の顔をちゃんと見て、鬼太郎とともにしっかり看取れたからこそなのでは、と思います。
「水木と暮らしていた」ことがゲゲ郎と鬼太郎の中で大事な思い出として息づいているからこそ、あんな風に穏やかに回顧できるんじゃないかな。

そして、水木の看取りを通して、妻を看取れなかったゲゲ郎の悔しさや罪悪感がゆっくりと溶けていき、あのおぞましいほど綺麗な桜吹雪の光景が、「彼女を看取れなかった」痛ましい記憶ではなく、「彼女を見つけ出し、鬼太郎に出会えた」希望の記憶として、ゲゲ郎の中に穏やかに残り続けているのでは、と思います。


鬼太郎に人間の愛おしさを教える父二人、究極の愛では

鬼太郎が時弥くんの話をゲゲ郎から聞いてるってことは、当然お母さんの話の詳細も聞いているわけで。

自分を産んでくれた母が、尊敬する父の最愛の存在が、人間の手によって凄惨な目に合わされたことを知って、それでも鬼太郎がなお人間を助けようと思えるのは、絶対水木の存在があったからだと思うんです。

水木が自分をここまで大きくしてくれて、愛情をかけて育ててくれたから、「人間=悪」という思考に陥らずに、母の意志を継いで人の弱さ脆さを慈しむ優しい妖怪になったんだろうな、きっと。

ということは、ゲゲ郎が鬼太郎に改まって母親や自分の過去の話をするタイミングがあったということだし、その話をする際に、ゲゲ郎は人間の愛おしさがをなんとか鬼太郎に伝えようと苦心したんじゃないでしょうか。

(事実をそのまま伝えただけでは、鬼太郎が「母をこんな目に合わせた人間クソ」になっちゃうので……)

その話をするときに、水木はどんな風に関わったのかな、と思いを馳せると、とても幸せな気持ちになります。


例えば、水木が元気だったら、ゲゲ郎は水木に「どんな風に話せば伝わるかのぉ」なんて言いながら、二人で協力して鬼太郎にも人間の愛おしさが分かるように説明したかもしれない。

水木の死期が近づいているような状態だったら、ゲゲ郎は病床に伏している水木を「人間の弱さ」の象徴として話し、枕元に座りながら「愛しいじゃろ?」と鬼太郎に優しく問いかけたかもしれない。

水木が亡くなった後に話したんだとしたら、水木の死が、鬼太郎の中で単に悲しい出来事としてではなく、あたたかい思い出として残るように心を配りながら、穏やかに言葉を紡いだかもしれない。


いずれにしても、母親が人間にひどいことをされて、かつ周りに妖怪しかいないという環境で、それでも鬼太郎が人間の味方でいられるのは、水木という存在を通して「人間はこんなに愛しいんだな」と心から思えているからなんですよね、きっと。

そして、人間嫌いだったゲゲ郎と、強さを渇望していた水木が、「妻を助けられなかった」という罪悪感を共に抱えながら、彼女が慈しんできた人間の弱さ脆さを、愛おしいものとして未来を生きる鬼太郎に伝えていたとしたら、それはもう究極の愛だろ、と思うわけです。


……感想をあれこれ書いてきましたが、なんだか妄想チックになってしまいました。
二次創作をする方たちの気持ちがよく分かるな、、、私も書こうかな、、、、


映像・演出についての感想

『ゲ謎』は映像的にも素晴らしく、例えば入村した直後の「リアルな田園風景+線の太い水木」のカットは、画面的には爽やかでありながら、相容れない異物感を強めていて思わず息をのみました。一瞬のカットでしたが、とても好きな画です。

他にも、がっちりとした軍隊上がりらしい水木の体格と、線が細くてこの世のものではないようなゲゲ郎の体格の対比も、よりちぐはぐコンビ感を強めていて良かったですね。

龍賀家に水木を足を踏み入れるシーンで、頭を下げた分家の人々の目だけが動くシーンも、ゾッとしました。
しかも長いんですよね、一瞬目が動くとかじゃなくて、右の列も左の列もじっくり映して、目がジーっと水木を追う様子をねっとり描く。

「なにかある」雰囲気を、言葉や音楽ではなく、目の動きだけで表現するのは、少し実写の手法に近いのかな、とも思いました。
あんまりアニメで多様される表現ではないような気がして、新鮮で興味深かったです。

あと、アクションシーンは凄かったですね……!
私、アクションで線が乱れるのが好きというか、あえて綺麗な線ではなくて「シャッシャッシャッ」とした線や、線を震えさせて躍動感を表現する画作りが大好物なんですよ……!!!!
(湯浅政明監督の作品でよく見られるような、魚眼レンズを通したように一部分が過度に強調されるのとかもたまらないですね、『ピンポン』の最高動画を貼っておきます)


特にゲゲ郎が長田たちと戦うシーンはもう~~~~最高でした、綺麗な線にしないことで、「追い付けない」疾走感がこれでもかと溢れていてとても良かったです。あのシーンを手掛けたアニメーターさんに直接お礼が言いたい。あそこだけYouTubeで何度もじっくり見れるようにならないかな、、、、

アクションシーンに限らず、全体的にテンポが速くて、カットが切り替わるたび次の画が予測できなかったのも、ドキッとさせられて良かったです。
心の準備をする暇がないまま次々と凄惨なカットが出てくるので、ホラーとの相性も良く、最後まで前のめりで観ることができました。

(一方で桜の木のような、壮大な画を引きで魅せる妖艶さも良かった……)



他にも色々と書きたいことはあるのですが(石田彰が裏切る細目役で裏切らないな~と思ったこととか)、ひとまずこのあたりで。

何にも知らないままで観ましたが、とても面白く考えさせられる映画でした。

水木先生が生まれてから100年が過ぎ、作品が作者の手を離れても、表現の核を残しながら現代に通用する作品が作られ続けているって、本当に偉大ですね。

水木先生の漫画や6期にも、これから少しずつ触れてみようと思います。


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