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家族 その1

叔母が亡くなった。
母方の叔母。私の母の姉だ。

4/16(火)
仕事で朝から電話しすぎて、喉がカスカスになっていく。
昼時、会社を出てサイゼリアでご飯を食べよう、と歩き始めたところで
実家グループLINEの通知が来た。叔母が、今朝、亡くなったと。親戚から、連絡があったそうだ。

ああ、なんてこと。
叔母に最後に会ったのは、去年の今頃だ。
私たちが結婚すると決め、母に報告をするための帰省会合をした際、姉が車を出してくれて、母、姉、姉の娘、私、夫みんなで叔母の暮らす施設を訪ねた。
その時すでに歩行が少し難しくなっていた叔母。糖尿病が進み視力が低下し、認知症もあり、それでも私たちのことを迎えてくれた叔母。
叔母のそばには元気な叔父が寄り添っていて、本当に叔母のことを大事に思っている雰囲気が伝わってきて、おじちゃんはあいかわらずだねえなんてみんなで笑っていたのだ。
ああ、叔父は大丈夫だろうか。大丈夫なはずがない、あんなに大事にしていた伴侶が亡くなってしまうなんて、きっと大丈夫なはずがない。

夫にLINEする。一年前位に会った叔母が亡くなった、たぶん帰省する、葬儀に出る、たぶんサカナクションのライブはいけないかもしれない、と。夫は、一番最初に、叔父さんは大丈夫かな、と送ってきた。そしてライブはいけなくなっても大丈夫、と。

母親から電話がかかってきた。今朝亡くなったみたい、いろんなことはこれから決めるみたいで、とのこと。母も気持ちが動転している。そりゃそうだ、自分の姉が亡くなったんだから。この電話の時点では、葬儀の日取りが不明だったため、予定がわかったら教えて、いまおじちゃんは大変だろうから、わたしから連絡を取るのは避けるね、何か続報があったら教えてほしい、私も帰省する方向で考えておくと母に伝えていた。今日が火曜日だから、葬儀は木曜日とか、金曜なのでは?と思っていた。姉からのLINE。姉が車を出して、母を連れて参列するつもり、と。

 仕事の段取りを頭の中で考える。一日なら休んでも大丈夫なのでは?社内規定のpdfも確認する。やはり叔父、叔母などの関係性の時は慶弔休暇は適用されない。

退社。駅に向かいながら母と電話する。葬儀は明日に決まった、と。明日!想像していたより早い。すぐではないか。明日休む旨をこれから会社に戻って伝えようか、とも思うが、母は参列はしなくてよいという。あちらは親戚が多いから、こちらがそろって伺うのも…と言う。そうか、確かにその通り。参列者が増えれば、その分、ご家族は準備が大変となる。参列は母と姉に任せて、私はお花を送ることにする。葬儀の会場の詳細がわからないという母。何とか会館って聞いたんだけど、電話帳を見たら場所が3か所あるんよね、と言う。大丈夫、こういう時は会場に直接電話するのもありだから、私が3か所全部電話して確認する、と言って電話を切る。

電車に乗る。
気が動転し嘆く母に対して、ケアの言葉が足りなかったかもしれない、と後悔する。

弟からもLINEが来る。母と電話した、自分は帰省が難しいから、お花を出すなら一緒に出したい、とりあえず電話で相談したいとのこと。夜になったら電話しようと返信する。

葬儀の会場をスマホで検索。3会場ともに電話番号が載っている。自宅近くの駅の改札を出てすぐに1件目に電話。明日のそちらで葬儀予定の、喪主が○○、故人が○○の親族です。3つある会場のうちどちらで執り行うかが不明でして、と言うと、その方なら明日こちらで執り行いますよ、との返事。とても頼りになりそうな方だ。安心する。お花を出したいのですが電話で注文出来ますか?もちろんですよ。価格が2段階ありまして、22,000円のお花と33,000円と、どちらにいたしましょう。親族と相談して決めたいので、一度電話を切ってまたかけてもよいでしょうか。大丈夫ですよ。何時までお電話可能でしょうか。私共は夜中の12時まで対応可能でございます。
夜中の12時。業界的には当然なのかもしれないが、頭が下がる。支払いは後日請求書が届いてから払えばいいとのこと。すぐにネットバンキングで振り込もうとしていたが、後払いでよいのか。一度電話を切り、すぐにまた母に電話する。
会場は○○館だって、今担当の人と話した。お花に掲げる札は、私と弟の名前じゃなく、○○家、でいいよね。母親は動転したままで、それでもしっかり話そうと頑張っているのが分かる。お花のお金は、私と弟が出すから。大丈夫だから。母はこれから香典のためにお金をおろしに行くという。ああ、私が近くに住んでいれば、そんなこと私がやるから大丈夫と言えるのに。私は愚かだ。あの母を残して東京に出てきて。でもこれについて考えるとき、すぐに脳内で違う声が聞こえる。じゃあ、あの母親と暮らせるの?わたしは脳内で即答する。
無理。無理なんだ。悲しいね。悲しい。

家に着いて、弟と電話。会場の担当者と話し済なこと、花の値段と、札書きについて。値段は安いほうの22,000円でいいと思うの、うちは控えめにするのがふさわしいと思うからね。札は○○家、でいいよね。この後また担当の人に電話して進めるから。費用は申し訳ないんだけど、割り勘でいい?電報も送ったほうが良いかもしれなくて、NTTとかのやつでいいかな。電話を切る。会場の担当者に電話。請求書はうちに送ってもらうことにする。

医療職の姉は、夜勤開けすぐに高速を飛ばして実家に帰省し、母を連れて参列するとのこと。この姉の夜勤明け高速飛ばし帰省はいつものことなのだが、毎回感服する。夜じゅう仕事した後で?車を飛ばして?わたしだったらとてもできない、と思うが、姉はやる。姉のことを鉄の女だと思っている。
姉曰く、夜勤のある仕事と三人の子供の育児をやってるとまったく空いた時間が取れない、勤務と勤務の間に車を飛ばして実家へ行くしかない、ゆっくり帰省できる日など永遠に来ないそうだ。
姉がいなかったら母は参列が難しい。長時間の車の運転が難しいからだ。姉に本当に感謝。LINEにありがとうと送る。

その後、ソファに寝転んでぐったりする。小さいころ、叔母夫妻によくしてもらったことを思い出す。お正月、お盆の、親戚の会合。父親を早くに亡くした私たち兄弟のことを、見守ってくれた。そのことがどんなにありがたいことなのか、子供の時は分かっていなかった。自分が大人になった今では分かる。大人だからといって、全員があんな風に子供にやさしいわけではないのだ。お世話になったなあ、と思う。私たちが成長できたのは、周りにいる大人が気にかけて、親切にしてくれたからだ。母と私たちきょうだいだけだったら、きっと今みたいな暮らしにたどり着いていない。私はすぐに一人で生きていたような考えに耽ってしまうが、そんなことはない、と思う。あんな風に子供を見守ることが、自分にはできるだろうか?心配を押し付けたり、あの父親と同じようになるなというようなニュアンスの言葉をかけるような親戚は、一人もいなかった。兄弟の中で、わたしだけは特に危なっかしく見えていたはずなのに。そして同時に、子供のころは気が付いていなかったけど、いや、気が付いてはいたけど、周りの大人から見たら私たちは、気にかけるべき不幸な自殺遺児だったのか?という考えが浮かんでしまう。いろんなことを考えすぎている。

夫が帰宅。
わあわあと、頭の中のことをそのまま夫に話してしまう。うん、うんと聞いてくれる夫。一通り話したところで、落ち着き、電報の注文に取り掛かる。弟に、連名の電報を注文するとLINEし、NTTのサイトを見る。文面のテンプレートが出てくる。なんだかどの文面もよそよそしい気がしてくる。でも、自分たちの言葉で書くのも失礼に当たるのかもしれない。テンプレートを一部引用し、一部は書き直し、注文ボタンを押す。

叔父は大丈夫だろうか?いや、大丈夫なわけがない、と何度も考えてしまう。喪主として今は大変だろうから、電話をするのも遠慮したほうがいいんだから、と、何度も同じことを思う。

その後、焼きそばを作って食べ、明日会社帰りに香典袋と現金書留用の封筒を買ってくるわ、と夫に話し、すぐに寝た。

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